三十五話

「いやーすまなかったね」

 ボロボロのソファーに腰掛けてこれまた襤褸な白衣を羽織る、細身でガラスの曇った眼鏡をかけている青年は苦笑いを浮かべる。

 先程の懐中電灯に照らされた正体はこの人だった。

「あぁいや……此方こそ大きな声出しちゃってすみません」

(普通に人だったのか……)

 正体が分かったせいで、先程絶叫した自分が馬鹿みたいに思え、照れくさくなる。

「まぁ、人いるなんて思わないだろうし仕方ないよ。……にしても肝試しに一人なんて珍しいね。外に友達いたりする?」

「あーいや、別に肝試しに来たわけではないんですよ。と言うか貴方こそこんな所で一人何してるんですか?」

「なんだ、肝試しかと思ってた。で、僕が何してるかだって?んー……まぁ色々あってね」と男はそう言葉を濁し肩をすくめた。

「……あーそう言えばこの辺に一人警官来てませんか?見たとかでも良いんですけど。実は人探しをしていて」俺は何となく気まずさを感じ、話を変えようとここに来た理由を話す。

「……警官?ここには来てないと思うよ」

「そうですか……」

(となると更に上に登ったのか?

 今更だが行方不明の警官が、なんで山を上がったのかって理由を聞くべきだったな。

 仕方ない、もう少し上がってみるか)

「……分かりました。ご協力感謝します」

 軽く会釈をして先程の峠道へ戻ろうとすると、「あ、待って待って」と肩に手を置かれ止められる。

「そういやここまでどうやって来たんだい?流石に歩いてじゃないんだろう?」

「途中まで車で来ましたけど……」

「じゃあ帰りも車だよね?

 その迎えが来るまで話し相手になってくれない?こんな山の中で一人だと言葉喋られなくなりそうでね」

「……折角なんですが俺まだこの山上がらなくちゃいけないので」すみません。と断ろうとすると、「この先は何も無いよ」男は被せるように俺に言った。

「この先少し行くと下りになってて、街までの下り道は公衆便所位しかないよ。

 流石に公衆便所なんかに籠もったりはしてないだろうし、もう下山してるんじゃない?」

「……そうなんですか?」

「そうそう。……て事でさ、飲み物一つでないけどおじさんに付き合ってくれない?」

 歩き疲れたのもあり、何処か座りたいという気持ちが心中で大きくなっていた俺に、その提案は心が揺さぶられた。

「……そう長く話せるかは分かりませんけど」

(この先何もないって言ってたし良いか……)

 俺がそう言うと男はニコリと笑い、「この先に僕の部屋がある。ここのソファーよりはマシな椅子があるよ」と立ち上がり、先程驚かされた通路を進み始めた。

 俺はそれに続き、暗闇の通路を歩いていく。

「いやー実は今ここで暮らしてるんだよね」なんとなく察していたことを男は、懐中電灯がないと見えない暗闇の通路を慣れた様子で歩きながら言った。

「あ、警官が見つかっても僕のことは内緒で頼むよ、なんか色々めんどくさそうだからさ。えっと……、そういえば君の名前は?僕は羅夏ラナツ 万太バンダって言うんだ」畳み掛けるように男―――羅夏さんは口を動かす。

(偉く饒舌だなこの人。まぁ話し相手がどうこう言ってたし喋りたくて仕方なかったのか)

「……まぁ、はい。俺は真九呑地刃って言います」

「真九呑地君ね、よろしく」

「よろしくお願いします」

「真九呑地君、若いけど学生さん?探してる警官の人と兄弟か何かなの?」

「いやそう言う訳じゃないんですけど……知り合いなので」

 へぇ、と相づちをしながら羅夏さんは暗闇の中ピタリと一度止まり、角を曲がる。

 そして数歩前に出ると、左に体を方向転換し壁に手を伸ばした。

 そちらに懐中電灯を向けると、そこには一つの扉がある。

「ここ元は手術室だったみたい。今は僕の寝室だけどね」

 がちゃりと扉を開き、部屋に入った羅夏さんは「来なよ」と中から呼び掛ける。

 恐る恐る中に入ると、はじめに目に入ったのは倒された手術台だった。

 ひっくり返った手術台や、周りの散乱した器具類を見れば過去どんな部屋だったかが分かる。

 意外だったのは先程まで感じていた埃っぽい匂いがかすかに薄まり、それの代わりに何か美味しそうな匂いがその部屋では感じられる事だ。

(なんだこの匂い。……炭火……肉の匂いか?)

「暗いから灯りを点けるね」

 いつの間にかライターと枝を持っていた羅夏さんは一箇所土が露出している―――経年劣化か意図的な破壊による物なのかは分からないが、ぽかりと空いた穴のような所に、炭や灰が土の上に累積している―――床に枝を置き火をつけた。

「そこは開けっ放しにしといてね。あとこれ」

 半開きの扉を指差しながら、もう一つの手で比較的綺麗なパイプ椅子を俺に手渡す。

「あぁ、はい」

 焚き火を挟むように座る事となった俺は、羅夏さんと向かい合う形になる。

「焚き火も暖かくていいでしょ?」

「ですね」ゆらゆらと揺らめく火を見ながら俺は同意する。

 電球にはない文字通り暖かさのあるそれは、確かに落ち着くものがあった。

 ……少し暑いのは否めないが。

「そう言えばその着ている白衣ってここの物なんですか?」

「これは僕の私物だよ。もう長年着てるからボロボロだけどね」

「……コスプレが趣味とか?」

「今はこんなだけど僕元医者だよ」と笑った。

 今だと確かにコスプレだけどね、と付け加えながら。

「……元とは言えお医者さんがなんで今こんな所に?」

「……それ聞きたい?」

「あぁいや、話しにくいのであれば無理にとは言わないですけど」

「……良いよ。折角話し相手になってくれるんだし」

 と一つ咳払いをして、ぽつりぽつりと語り始めた。











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