Side→R 4話

 翌日から日向は学校に行かなくなった。

 家へ頻繁にかかってくる悪戯電話は無視をして、ベッドで横になる。

 兄を捜しても捜しても空振りで、この生活にも嫌気が差してきた。

 自分から食事を取る事もなくなった娘を心配し、母親は家から連れ出した。

 そしてホテルに匿名で泊まり渡る生活が始まる。

 ホテルでの生活は気分転換になった。いつもと違う景色が新鮮だったし、何より居心地が良かった。

 嗚呼、静かな寝室がこれほど得難いものだったとは。

 眠っても直ぐに悪夢で起こされるので、熟睡とはほど遠い。


 日向は母にイジメの事実を打ち明けた。

 母は顔をくしゃくしゃにして、強く抱きしめてくれた。

 母の背中に腕を回しながら、その優しさに力強さに安堵する。

ーー良かった。お母さんはわたしの味方だ。

 外に出なくていいし学校にも行かなくていいと語り掛ける言葉に安心したのも束の間、母は秀一の更生を考えている事を明らかにしたのだ。


 冷水を浴びせられた気がした。

 確かにやった事はいけない事だ。

 けれど警察に捕まったら下手したら死刑だ。

 だからこそ反省を促して死刑を回避させようとしているのだろうけど……。

 普通に暮らして、親子3人で手を取り合えるのはいつなのだろう?


ーーお母さんは悪い嘘吐きじゃない。

ーーでも……。

 独りきりになった部屋の中で日向は泣いた。

 どうして、わたしは、わたし達は理解されないのだろう?


 もう嫌だ。

 消えてしまいたい。ここでないどこかに行ってしまいたい。

 日向は机の上に置きっぱなしになっている母の常備薬に目を向けた。

 心の弱さに付け込んだ悪魔が囁く。


 そうだ、消えてしまえばいいのだ。

 逃げてしまえば落になれるのだ――。


 夢を見た。

 優しい夢だ。

 靄が掛かったような空気に、沢山のお花達。

 そのままここに居ようとしたけれど、背後から誰かに蹴り飛ばされて――。


 目を覚ました。

 前を見れば、涙でぐしゃぐしゃになった母親が自分の顔を覗き込んでいる。


 自殺が失敗した。

 聡い少女は直ぐに理解し、絶望した。

 なんてことだ。逃げる事すら失敗したのだ。


 夢の中で見た影は幼い頃に亡くなった父のものである気もしたが、そんな事は直ぐに忘れた。

「死なせて……」

「日向?」

「こんな酷い人間ばかりの、世界で……。嘘つきで、人を傷つけるのが当たり前の人ばかりの世界で……。生きていたくなんてなかった!!

ねえ、死なせてよ……。生きていたくないっ!!」

「やめて、そんな事言わないで!」

「死なせてよぉおおおおおお!!!」

 そのまま看護師に取り押さえられ、精神安定剤を打ち込まれる。

 でも薬で誤魔化しても、心の痛さも空虚さも、何も誤魔化せなかった。

 現代医学は素晴らしくて、それでも少し精神の回復は見られたけれど。


 一度自分を殺した日向は、自称死者のままだ。

 だから幽霊らしく静かに過ごしていたい。

 嗚呼、今日だって心は空っぽだ。


 兄を救うと決めたはずなのに、それすら分からなくなった。


ーーお兄ちゃん、ごめんなさい……。

ーー弱い妹で、ごめんなさい……。

 兄に死ぬなと言ったのに、先に自分が死のうとしてしまった。

 生き残った事に絶望してしまった。

 けれど、心は嘘をつけない。


ーーお母さん、ごめんなさい……。

ーー弱い娘で、ごめんなさい……。


 せめて、最後までお母さんについていくね……。


 たとえ母が何も出来なくても。

 兄を救えなくても、間違った選択を取ったとしても。

 わたしは最後までお母さんの傍にいるからね。


 それが幽霊同然の自分の選択だから。


 母が自分に語り掛けてくる。

 今までの私達の事を知らない場所でゆっくりと休めると、決意と覚悟のこもった真剣な表情で見つめてきていた。

 特に期待はしていなかったけど、母の想いに応えたくて日向は手を取った。


 出会ったのはグレイという男だ。

 ほぼ初対面の男を母が信用したことにまず驚いたが、母にとって大きな賭けだった事は理解していた。

 結果、グレイは日向の望みをあっさりと叶えてみせた。


 他の誰も知らない土地でゆっくり休める環境は日向の精神を大きく回復させた。

 わたしは死者だと、幽霊だと思っていたから、別の人間としてなら生きられると思った。

 まるで幽霊が生者に取り憑くように、今までの自分を忘れて没頭することが出来た。


ーーグレイさん、凄いなあ……。

 父と呼んでいいと言われると喜んで呼ぶことにした。

 実際の父は亡き父だけだが、ロゼッタという人間はグレイを父を持つという設定だ。

 ならばグレイが父であることに差し支えはない。

 ママゴト同然の嘘なのだから。


 けれどこの優しい嘘が、日向にとってこれ以上のない救いだったのだ。

 グレイはそれを見透かした上で治療を実行しているのだとちゃんと分かっていた。

 しかも兄も呼んだ上で家族全員で安らかな日々が望めるのだと言う。

 約束通りに楽しい日々が送ることが出来て、本当に幸せだった。


 精神状態が回復した日向は、兄を救うという目的を思い出した。

 秀一は辛い気持ちに我慢できなくなり、記憶を手放した。

 記憶喪失となって自分を忘れた兄を、日向は心が締め付けられる反面、嬉しい気持ちで受け入れてもいた。


ーー良かった、お兄ちゃんちゃんと辛い事から逃げてくれたんだ。

ーー良かった。そうだよ、逃げていいんだからね。

ーーわたしも、日向という人間から逃げて新しい人間になっているんだから。

ーーだから、柊という人間になっていいんだからね、お兄ちゃん。


 日向は夜中に起きてうなされ、夢遊病のように庭を歩き回る。

 庭を歩き回ると、薔薇の匂いに囲まれて偽りの自分を再確認すると生きている心地がした。

 グレイに精神安定剤を投与されながら、別人として生きる事で安寧を得る。

 まるで演劇をすることでカウンセリングをしているかのように。


 日向はロゼッタとして生きて、秀一は柊として生きて過去を捨てる。

 大好きな母と恩人と家族として過ごして幸せを手に入れる。

 そうすることで全員を幸せに出来る。


 そう心から信じていた少女にとって、柊が記憶を取り戻す事は絶対に止めるべきことだったのだ。

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