Side→R 2話

 ある日、日向はついに学校をサボった。

 担任の先生に体調不良を嘘をついて家に居る事にした。

 その頃にはイジメも更に酷くなっており、昨日は机に叩きつけられた。

 怪我はないが、強く打ったのか少し背中が痛い。


 イジメに挫けたというより、今日は嫌な予感が止まらなかった。

 だから、午前中にベッドの中で休んだ後、午後から起きて兄の職場に向かった。

 口実は『忘れ物を持って行く』だ。

 実際は忘れていないが、口実のために折り畳み傘も持って行く。確か今日は夕方から雨だ。

 住所は最初に聞き出していたので、スマホのナビを頼りに何度も迷いながらようやく辿り着いた。


「お兄ちゃん……」

 どきどきしながら小さな事務所に近づく。

 いきなり訪ねて行ったらどんな顔をするだろう。やっぱり迷惑だろうか。

 でもちゃんとこの目で見て、判断するのだ。

 凄く辛い様子だったら、母に相談して一緒に説得しよう。


 でももう遅かった。

 小さな事務所に近づくと、スーツを着た男が玄関先で腰を抜かしている。

「どうしたんですか……!?」

「あ……あ……。中で、血が……。人が倒れて……」

「え……!?」

ーーお兄ちゃん!

「君…!」

 居ても立っても居られず、日向は事務所の中に飛び込んだ。

 目に入ったものは、床と壁に飛び散った血、血、血。

 まるで獣が暴れたような光景だった。


 倒れている人の顔を一人一人確認する。

 違う、違う。兄ではない。

 ひしゃげた顔を、絶命した姿を見て絶句するが、今こそが踏ん張り時なのだ。

「お兄ちゃん……」

 どこにいるんだろう。出張?

 とにかく、連絡を取らないと。

 玄関に戻ると、未だに腰を抜かしている男に、救急車を呼ぶように伝えた。

 子供の言う事だと悪戯だと思われるから、と頼んでみるとようやくスマホを取り出した。


 兄の居ない場所に用事はない。

 後々不利だとか気にすることなく、日向は事務所から離れ、兄に電話をした。


ーー出ない、出ない……出た!

「もしもし、陽向?」

ーー良かった、お兄ちゃんは無事なんだ!

「あっ、お兄ちゃん、今どこ!?大丈夫!?」

「……どうしたんだ、陽向。そんなに焦って」

「今騒ぎになってるよ!お兄ちゃんの仕事先で何人か死んでるって!

お兄ちゃんは無事なの……!?」

 まだ救急車を呼び始めた頃だが、間もなく騒ぎになるだろう。

「……大丈夫だよ。俺自身はそんなに怪我してないから。

もう大丈夫だからな」

「お兄ちゃん……?」

 やけに静かな声だ。まるで参っているような……。

 いや違う、そこを乗り越えて一周回って冷静になったような……!!

「今から会える……!?」

「ああ……。ごめんな、陽向。もう会えないよ。もう終わりだから」

 嫌だ、嫌だ。

 絶対に死ぬつもりだこれ……!

「お兄ちゃんが死ぬことない!あの人達はずっとお兄ちゃんを苦しめてたんだから!自業自得なんだよ」

 そうだ、どうして貧乏くじを引いた側が死ななければならないの。

 どうにかしてお兄ちゃんを引き留める!

「ねえ逝かないで!もう会えなくなるのやだっ!!!」

「陽向……」

「ありがとう、陽向。お前は自慢の妹だよ。

俺がいなくなっても、強く生きて幸せに……」

「お兄ちゃんがいなくなったらわたしも死ぬ!

わたしにも何もないんだからっ!!」

「何もないって……。陽向には罪はないだろ?

これからの未来があるし……」

「……学校も地獄だし、世の中は嘘だらけだよ。

もう疲れたよ……」

 家族が減ったこの世界に何の未練があると言うのか。

 親不孝だが、兄が死んだら自分も着いていこう。

 これ以上、似た境遇の兄を独りにしたくなかった。


「……俺がいなくなるの、嫌か……?」

「うん!」

ーー考え直してくれた?

 よし、今から会って話をしよう。

 そう提案する前に電話を切られ、一人でパニックになる。

 また会えるなら、なんて会えるかどうか分からないじゃない!

 このままだと今すぐ自殺してしまう!


 ぐるぐると嫌な映像ばかり想像で頭をよぎってしまう。

 考えろ、考えろ。

 結果として、頼りになる大人である母に連絡をする事に決めて、震える指を叱咤しながらスマホを操作する。


 プルルル……プルルル……。

 お掛けになった電話は、現在出ることが出来ません……。

ーー出て、出て……。お母さん、出てよ……!

 此処に居たら警察の事情聴取で時間を取られる。

 第一発見者の男に証言されるが、少し時間を稼げるだろうか。

 慌てて現場から更に距離を取ると、日向は走った。

 電車は駄目だ。走行中に母と連絡が取れないから。

 結果、自分の足だけで走り続け、やがて体力の限界が来た。

 塀の上に座って、肩で息をする。


ーーお母さん……。助けて……。

 そのまま何度も電話を掛けた。

 その途中で兄にも何度も電話を掛けるが、こちらは完全に電源を切られている。

 やがて母から電話が来たのは諦めかけていた時だった。


「お母さん……!お母さぁんっ!!」

 温かい声を聞いて、ぼろぼろと涙が零れ落ちた。

 良かった、ようやく声が届くのだ。

「どうしたの?日向。こんなに電話なんて。何かあった……」

「お兄ちゃんが!職場で人を殺したみたいなの!

心配で行ってみたら、職場が血まみれで!

電話したら、お兄ちゃんがやったみたいで……!

お兄ちゃん自殺しようとしているの!!もう電話繋がらないよ……っ。

お母さん、私どうしたらいいの!?」

「なんですって!!?日向、今どこ!?」

「今は、砂浜町の……」

 場所を指定すると、今すぐ駆け付けると言って母は電話を切った。

 とにかく、とにかく合流して母に相談しよう。

 今わたしが出来る事はそれしかない。

 やがて母が車で駆け付けてきて、急いで助手席に乗った。

 自分の知っている事を話しながら、二人は手分けして秀一を探す。


 秀一の大学時代の友達、親戚。

 好きな場所に近くの場所――。

 とにかく見つける事が先だ。

 死体になっていませんようにと先程の血みどろの遺体を見ながら、日向は祈り続けた。

 遺体は発見されなかったが、兄の所在も分からない。

 今は手の尽くしようがない――。


 項垂れる母に、絶望の気持ちを抱く日向。

 一旦帰宅すると、事情聴取に来た刑事に捕まった。

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