Side→K 10話

 夢を見た。

 とても幸せな夢だった。

 真澄は優しい気持ちで睡魔に身を委ね、微睡んでいる。


 屋敷の中で、本当の姿の秀一と日向が笑っていた。

 和気藹々と食事をして、一緒に過ごす。

 一歩引いたところで真澄とグレイが見守っている。

 グレイの薬草の仕分けの仕事を秀一が手伝い、日向は薔薇の世話に勤しむ。

 薔薇の品種改良に成功したようで、意気揚々とカメラのシャッターを切りながら笑顔を見せあう。


 秀一と日向の様子に恋愛感情は見えたけれど、それを超えた先の家族愛に辿り着き、手を取り合って生きていく。

 そんな光景を自分の直ぐ傍で見えて、幸せだった。


 けれど……隣に座っているグレイが、人差し指を立てて囁く。

『これは夢だよ』と教えて頭を撫でてくれる。

 真澄も予感していた事だから頷くと受け入れた。

ーーグレイさん、夢にまで出張してくるのかしら。

ーーそれとも私の脳が作り出した幻想?


 それでもいい。

 夢の中では見ている人が主人公だ。

 今だけは願望をシアターに映して、心を癒そう。

 叶わない夢の気もする。けれど願望として心の中に留めていたい。


 やがて上映中のまま視界が白く染まっていく。

 嗚呼、もう起きる時間なのだ。

 愛おしい夢にさよならを告げ、真澄は現実世界に帰還する。


 真澄はゆっくりと瞼を開いた。

 ぼやけた視界からやがて焦点が合っていく。


 2か月前から暮らし始めた一人部屋。

 シンプルでよく片付けられ、収納場所もきちんと決められている整理整頓上手な女性の部屋。

 今の現実に戻ってきたのだ。


 その時、真澄の聴覚が異変を察知した。


 うぇ……、っく……。

 泣き声が聞こえる。ああ、どうか泣かないで。

 私の愛おしい娘――。


「……ロゼッタ?」

 左に視線をやると、ロゼッタに扮した日向が椅子に座ってぼろぼろと泣いていた。

「どうしたの……?」

 この姿の時はロゼッタと呼ばなければならない。

 秀一に聞かれたら終わりだし、何より日向本人がロゼッタになることを望んでいる。

 だからこそ真澄も一度も変装を解かず、カスミとして過ごしている。


「お母さん……っ」

「!」

 ロゼッタはいつも自分を『カスミさん』と呼ぶ。

 義理の父親はグレイで、カスミはその妻という設定だ。

 日向が設定を無視したのは初めてのことだ。


「日向……?」

 ああ、泣かないでほしい。

 身を起こして手を伸ばして、涙を拭いた。

「倒れたって……聞いて……。お母さん、いつだって無茶してるから……」

「大丈夫よ。倒れたと言っても風邪程度だもの。

身体が丈夫なのが取柄だし、普段体調を崩さないものね。

心配をかけてごめんね」

 優しく声を掛けると、日向はぶんぶんっと首を勢い良く横に振った。

「わたしが心配するのはいいの……。勝手に心配してるんだし…。家族だから……。

お母さんはいつだって強くて優しくて、わたしの大好きな憧れのお母さんで。

それなのに、わたしとお兄ちゃんのせいでずっと苦労をかけてて。ごめん、ごめんね……」


 日向はそんな風に自分の事を信じて労わってくれていたのか。

 自分の事で精一杯で愛の大きさを受け止めてあげられてなかった。

 真澄はまた自分を恥じると、心から嬉しそうに微笑んだ。


「私は秀一と日向が大好きだから。親なんだからいくつでも心配かけていいし、苦労かけていいのよ。

もし私を想ってくれるなら、これからも幸せでいて頂戴。

今度は……、私の傍で生きていてほしいの。これも私の勝手な願いだけど……」

 親より先に逝かれる以上の親不孝が存在するものか。

 だから日向にも秀一にも自分より長生きしてほしい。

 真澄の変わらない願いは漸く届き、日向はこくこくと頷いている。


「今度は生きるよ……。手を伸ばして、ここで、グレイさんと、お母さんと、お兄ちゃんと生きるから……。

だからお母さん、無理しないでね。

無理して倒れないでね……。

お母さんの強さに焦がれてた。なんで母娘なのにこんなに違うんだろうって思ってた!

だけど、お母さんだって、人間なんだから……。わたしは、お母さんの事だって救いたいから……」

「ありがとう……。わたしは日向と秀一が傍にいてくれるだけで救われるわ」

 心の底からの本音を語る。

 二人の関係性に悩み憂いを感じるけれど、二人が元気で過ごしてくれる事こそ真澄の救いなのだ。


ーー日向は私の事も救ってくれる。

 そしてそれほどまでに日向にとって『救う』という誓いは強固なもので、折れないものなのだ。

 大事な家族を救いたいと……。


 その決意を砕くことは決してしないから。

 真澄は愛おしさを溢れさせながら、ずっと娘の頭を撫でながら抱きしめていた。


 昼食はグレイが差し入れに来た。

 その時は心配そうな柊が傍にいたから、内密な話は避けた。

 晩御飯を差し入れに来た。

 その時は心配そうなロゼッタがくっついてきたから内密な話を避けた。


 ああ、やっぱり兄妹だと思う。行動原理が似ている気がするのだ。

 心配対象が自分なのが嬉しいやらくすぐったいやら、申し訳ないやら。

 二人だって心の疵を抱えて、お互い疵の舐め合いをしないといけないほどに追い詰められているというのに。

 私は心を救う事すら出来なかった不甲斐ない母親なのに。

 

 それでも、やっぱり嬉しいのだ。


 寝る前に顔を出したグレイは、周りを確認して鍵を掛けた。

 チャンスだ。自分の気持ちを共犯者、契約者に伝えなくては。


「すっきりした顔しているね。答えは見つけられたかな」

 穏やかに尋ねてくるから、真澄も穏やかな気持ちで居続けることが出来る。

 嗚呼、今日だってグレイはエスパーだ。本人曰く違うけど、いつだって彼はお見通しなのだ。

「はい。私は悩むと自分の事しか考えられなくなってしまうようです。

大事なことはいつだって日向が、秀一が教えてくれる」

「誰だってそうだよ。自分の事だけで精一杯な人の方が多いんだ。

真澄さんは充分過ぎるほどに周りに、大事な人の事を想えているよ」

「貴方にそう褒められると本当に嬉しいわ」

 グレイの洞察力、観察眼は一目置く。そのグレイのお墨付きなのだ。誇っていいのだ。


「秀一と日向が恋仲になってしまったから……。僕の手を取った事を後悔しているんじゃないかって不安にもなったんだ」

「不安にさせてすみません。

でも貴方の手を取った事を後悔した日は一度だってないわ」

 きっぱりと言い切ったので、グレイが目を見開いた。

「貴方が手を貸してくれたから、秀一も日向も死なずにこうして笑って過ごせているの。

たとえ理想と違う方向に行ったとしても、貴方との契約は自分で決めたことだから後悔するはずもないわ」

「本当に良く出来た人だよね、真澄さん。その強さが心から羨ましいよ」

 寂しげに笑う。

 嗚呼、この人の寂しさを少しでも埋められたらいいのに。

 でもきっと柊がロゼッタが、そして私がいることで少しでも心安らかになれていると信じて。

「ありがとう。

日向が来てくれたの。ロゼッタでいる事があの子の救いのはずなのに、日向として話してくれた。

私をまた母と呼んでくれた。

柊の中にだって秀一がしっかりと存在しているの。

だから、私は契約を終わらせる気はないし、ここであの子達を護るわ」

「ありがとう。今後ともよろしくね、真澄さん」

「ええ、よろしくお願いします。グレイさん」

 二人は同時に右手を差し出し、握手を交わした。

 

 結局ロゼッタと柊の恋仲についてどうこうするなんて考えは浮かばなかった。

 決めるのは結局二人なのだ。

 子供を作るのだけは回避させ、アプローチはグレイから柊に掛ける。

 また、柊が記憶を取り戻す日は近いと見て、衝撃に耐えられる土台を作る。

 既に思い出しているとも知らず、二人は真剣に話し合った。


 問題への答えは出ない。

 今日だっていつだって考えてばかりだ。

 けれど、子供達からの愛もしっかりと受け取って身に刻んだから、私はもう二度と迷わない。

 独りで泣くことだってしない。

 だって私は決して独りなんかじゃないのだから。

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