Side→K 7話
今日のおやつは母手作りのパウンドケーキ。
パウンドケーキはベリーや胡桃、柑橘を入れて香ばしい仕上がりだ。
グレイとっておきの紅茶を淹れれば少し贅沢なお茶会だ。
真澄は本当に料理が得意なようで、手間のかかる料理やお菓子もサクサクと手際良く作る。しかも味もとても美味しくカロリーもヘルシー。その腕はグレイと日向のお墨付きだ。
今日はおやつを頂きながら、調子を取り戻しつつある日向に大事な話をする。
「え……?」
グレイの言葉を聞いた日向が衝撃で目を瞬かせた。
顔色が一瞬にして白くなったが気丈に振舞っている。
「驚かせてごめんね。あのね、ここに一人招待したいんだ。僕が気になってる人でさ」
「招待……」
環境が変わる事を日向は恐れている。
今まで通り優しい母とグレイの二人だけがいい。
けれど、グレイの意思を無視したくもない。
「それで、招待したい人なんだけど」
「う……ん」
「三宅秀一さん」
ーー!!
「え、お兄ちゃん!?」
がばっと弾かれたように日向が顔を上げた。
「今、お兄さんがどうしているか日向ちゃん、知ってるかな?」
日向は身を震わせながら、首を横に振る。
「さっと調べてみたんだけど、彼は未だに捕まらずに逃亡生活をしているようだよ」
「生きているの?」
「うん。君と話してから、生きることを選んだみたい」
「そっか、良かった……」
兄と母と自分とグレイで4人で暮らす。
温かで安らかな日常が手に入るのだろう。
嬉しい。喉から手が出るほどに望んでいる。
でもーー。
「気になることあったらいつでも言ってね、日向ちゃん」
「………望んで、いいのかな……そんなこと……」
それは真澄も同感ではある。
秀一は人を何人も殺した殺人犯だ。
ここで匿うということは、罪を隠して罰を回避するということでもある。
下手したら死刑も視野に入るから、息子の命を思えばここで過ごしてもらった方がいい。だから両手を挙げて賛成なのだが、ここで道徳と葛藤しなければならない。
ーーそれが私への罰なら受け入れなきゃ。
そう思う。
けれど続く言葉に真澄は凍りついた。
「わたしは、一度死んだ人間なのに……。今を生きているお兄ちゃんと、一緒にいて、いいの……?」
ーーひ、なた……?
ぞわりと背筋が凍りつくが、気丈に振る舞い続ける。
ーー日向は、自分が死んだようなものだと、そう思っているの……?
「いいんだよ、日向ちゃん。一度死を選んだとしても、今は生きていてくれている。それが、僕も真澄さんもとても嬉しいんだ。
僕も真澄さんも、秀一さんを救うことを願っているから。日向ちゃんさえ嫌じゃなかったら秀一さんと一緒にいて欲しいんだ」
「お兄ちゃんを、救う……」
そうだ。最初はそれを願っていたんだ。
自殺を図る兄を止めて、一緒の時間を紡いでいく。家族で立ち向かっていく。
それなのに、その役目を放り出して自分は逃げた。
今更、なのに……。
「今更、しても……いいのかなあ……」
くしゃっと日向の顔が歪む。
ぼろぼろと涙が零れる。
逃げて死んだ人間なのに、今更手を差し伸べていいと言うのか。
「君が後悔しないなら、いいんだよ。彼もまだ生きているんだから。」
「……それ、なら……。わたし、お兄ちゃんと居たい…!!今度こそちゃんと救いたい……!!」
「決まりだね」
「ありがとう、グレイさん……」
一度でもグレイを疑った自分を恥じた。この人が自分を傷つけるようなことをするはずがないではないか。
「どういたしまして。僕は君の味方だからね」
「うん!」
日向は少し考えた後、申し訳なさそうに味方の大人に申し出る。
「それで……わたし、どうしても本当の自分に自信が持てないの……」
「うん」
「鏡を見るのが怖かったの。生きていることが、この世界に居続けていることが怖かったの。
だから……この偽りの姿を、ロゼッタとして……お兄ちゃんに会いたい」
「…………」
予想しない訳では無かった。日向は鏡に映る真実を怖がっているのだ。
それに真澄は手応えを感じてもいたのだ。ようやく日向が心の内を話してくれるようになったから。
母は深く頷いた。
「それなら私も……。三宅真澄でなく、この屋敷に住むカスミとして接するわ」
「お母さんも……?」
「いいね。ロゼッタは僕の血の繋がらない娘で、カスミさんは僕の妻とかどうかな。家族として暮らしてる感じの」
「異論ありません」
「敬語は外してね」
「分かったわ、あなた」
順応性が高い母を見ながら、日向は考える。
新しい自分として、ロゼッタとして歩めるなら。
今度こそ自分を好きになって兄を救えるなら。
「お兄ちゃんの招待を、お願いします。
わたし、今度こそ上手くやるから……!」
「日向ちゃん。上手くやろうとするよりは、どうしたいかで考えていいんだよ」
「うん……!」
こうして、三宅秀一は優しい嘘で作られた屋敷に招かれた。
◆
グレイに招かれて屋敷に来た息子を、真澄は『初対面のカスミ』として対応した。
一目見た瞬間、目頭が熱くなった。
涙が出そうになるのを必死でこらえ、良妻を演じる。
久しぶりに見た息子は、心身ともにボロボロで汚れていた。
早く綺麗にして心身ともに休ませてやりたい。
真澄は良心に逆らってでも自分の望みを優先する選択をし続ける覚悟はとうに出来ていた。
「秀一の記憶が無い……!?」
サクリとキャベツを切る音が響いた。
秀一がお風呂に入っている間にグレイから聞かされた事実に衝撃が走る。
「うん。いろいろ聞いてみたけど確かに記憶は内容だったよ。自分の名前すら言えなかったよ」
「グレイさんが記憶を消したのではなく?」
「流石にそんな力は持ってないよー。
とりあえず柊と書いてシュウという名前で呼んでいるよ」
「記憶喪失なの驚いたよね……。お兄ちゃん辛かったんだね……」
日向が眉を下げる。
痛いほどにわかる。胸がぎゅっと苦しくなる。
秀一が記憶を無くしたのは耐えられなくなったからだ。
でも咄嗟に自分を守る選択をしたあたり、似ている気がした。
ーーわたしも逃げようとしたもんね……。
「とりあえず記憶喪失の柊をここに泊めて、ずっとここにいてもいいよってスタンスで行くね」
「分かったわ」
「了解だよ、お父さん」
こうして秀一の前で念入りに演技が行われた。
◆
現れた息子に母とも名乗れない。
けれどそれで構わない。息子のSOSにも気づけなかった無力な母だ。傍に居られるだけで幸せだ。
演技をする娘の実の母とも名乗れない。
けれどそれで構わない。赤の他人の娘でもいいのだ。日向が元気になってくれるなら構わなかった。
自分が作った食事を美味しそうに食べる子供達を見ているだけで嬉しくて心が温かくなった。
緩んだ口元を見られないようにするだけで必死で、目が合う前に俯いた。
秀一が休んだ後はちょっとずつロゼッタとグレイと打ち解けて、のびのびと過ごせるようになった。
グレイの手伝いをしながら少しづつトラウマを脱いでいく様子に安心した。
ロゼッタとして暮らす日向も、トラウマに苦しみながらもどんどん明るくなっていくのを感じ取り、胸を撫で下ろした。
良かったと心から思う。
やはり二人には邪道な手でケアをするのが合っていたのだ。
真澄は近くで見守っているだけで良かった。
実は寝られていないと知った時は心から心配した。降り積もったトラウマは簡単に秀一を逃がしてくれないのだ。
記憶喪失でもどこか無理がかかるのは、心の底に罪悪感があるからだろうか。
良識人だからこそ感じている苦しみを目にして、真っ当な人間であることへの嬉しさと、それ以上に大事な息子がまだ苦しんでいることへの心配が真澄を襲った。
それでも少しづつ過ごして心が癒されてくれば良いと思ったし、仲良くなっていくロゼッタと柊を見て安心していたのだ。
二人が協力し合えば、きっともっと元気になれる。
けれど、彼らは赤の他人のまま仲良くなりすぎたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます