Side→K 5話

「どうぞ、真澄さん」

「ありがとうございます」

 グレイはよく片付けられたリビングで真澄に紅茶を差し出した。

 テーブルの上にはクッキー缶も置かれている。


 陽向は足首の手当てをした後、急な眠気に襲われた。

 部屋の一室に運んでベッドに寝かせている。


 だから今はリビングに二人だけだ。


「陽向ちゃん、喜んでたね。此処が気に入ってくれたようで僕も嬉しいよ」

「本当にありがとうございます。娘の笑顔を久しぶりに見ました……」

 深々と頭を下げる真澄を見て、グレイが顔の前で軽く手を振る。

「気にしなくていいよ。本当に大変だったんだね」

「はい、いろいろあって……」

 温かい紅茶を口に含みながら、真澄は瞳を伏せた。

 湯気が瞳を刺激してなんだか涙が出そうになる。

「……僕が居ると難しいかもしれないけど、泣きたいときは泣いていいんだからね」

「………え」

「真澄さん、泣きたいのに泣けないって顔しているから。

今も、初めて出会った時も。

大変だったんだろうけど、泣かずにずっと踏ん張ってきた女性の顔をしているよ。

陽向ちゃんがいると泣けないよね」

「はい……」

「でも、心から陽向ちゃんを愛している。見ていたら分かるよ。

だからこそ僕は二人の力になりたいと思ったよ」

「優しいんですね……」

「まあ、僕も慈善だけじゃないというか……。

極度の寂しがり屋だから、手を伸ばしたくなっただけ。

縋りそうな相手を選んでる狡さは持ち合わせているよ」


「あの、こんな事聞いていいか分からないんですが……」

「うん、なあに?」

 カチャリと真澄がティーカップを置いた。

「私達の事情を、ご存知なんでしょうか?」

 グレイの口の中から、クッキーがサクリと中心から折れる音がした。

 彼は笑顔のままゆるりと首を傾げて。

「ううん、知らないよ。

ただ、深刻な状態である事は真澄さんの表情や、陽向ちゃんの様子を見ていたら分かるよ。それくらいは読める。

特に陽向ちゃんの精神状態、かなり悪いね。

怒られる事承知で言うと、メンタルが一度壊れて、なんとか立ってる感じに見える」

「怒りませんよ……事実なので……」

 自嘲気味に微かに笑った。

 陽向はメンタルを壊した。

 救うどころか自分が傷つけてしまったのだ。

 それでも陽向は自分についてきてくれる……。

「……ほら、無理して笑う。それが真澄さんなりの武装かもしれないけどさ。

白状すると、数日前に君を街で見かけたことはあるよ」

「私を?」

「うん。買い出しに出てきているときに。DCマートに居たでしょ」

「来てました。総菜を買いに行ったときですかね」

「その時にあからさまに目つきの悪い男が尾行してたからね。

変質者かなと一瞬思ったんだけど、ああ刑事さんかなって」

「気づいてらしたんですか?」

「正直尾行下手だったからね。携帯で連絡してたりしたから、これは仕事かなって」

「なるほど……」

「あと、真澄さんが打ちひしがれているような目をしていたから。

これは手を打たないと壊れかねないなあとは思ったよ」

 薄々気づいてはいたが、この男、かなりの洞察力を有している。

「……ここからは招いてから分かった事だけど。

真澄さんは強い人だなって思ったよ。大変な状態なのに、踏ん張って歩いて行ける強さを持ってる。

そんな人が犯罪を起こすように見えなかったから。

となると重要参考人扱いかな。

僕が会いに行ったときには尾行はもうなかった。容疑が外れたか、別の所を捜しに行っているか。

真澄さんの傍には精神を消耗した娘さんがいたし、これは身内が犯罪を起こしたパターンかなとは」

「……なんでもお見通しなんですね……」

 胸の中の悪いものを吐き出すように、真澄は深い息をついた。

 肩を落とすと、息を深く吸い込むと少し落ち着いた気がした。

「ああ、当たりか。まあ年の功ってことで」

 この男何歳なんだろう。

 見目は自分より年下なのに、やけに成熟している風に映るし……。


「……ご推察の通りです。

息子の秀一が、過度なストレスを溜めて、職場で殺人事件を起こしました。

容疑でなくて事実なのは、陽向が確認済みです」

「陽向ちゃんが目撃したの?」

「いいえ。事件の後、秀一と電話で話した時に全てを察したそうです」

「なるほど……」

「……私達の話、聞いて頂けますか?」

「勿論いいよ。匿うわけだし、知る権利くらいはありそうだし」

 グレイは紅茶のお代わりを注いだ。

 真澄は、少しずつ言葉を選びながら身の内話をしていく――。


「……なるほど」

 長い話が終わった。

 既にカップの中は双方空になっており、クッキーも半分以上減っていた。


「……私は、自分の事ばかりで息子も娘も守れませんでした。

でも、私は……こんなのでも息子も娘も愛しているから。

せめてついてきてくれている娘だけでも守りたい……」


 失望されただろうか。

 厄介ごとに手を出したと後悔されるだろうか。

 きゅっと目を瞑った真澄の頭が、優しく撫でられる。


「………?」

 そっと片目を開き、やがて両目が開いた。

「辛かったね、真澄さん。君はとてもとても頑張ってきたんだよ……。

まずは自分自身を認めて褒めてあげて」

「でも!私は誰も守れなかったんです!」

「陽向ちゃんは生きているよ。

確かに心はボロボロなんだろうけど、一命をとりとめたのは真澄さんの働きがあったからだ。

君は陽向ちゃんの命を救ったんだよ」

「………陽向は生きている事を嘆きました。今もなんとか生きてくれている状態です」

「真澄さんは陽向さんを助けたことを後悔したことはないんじゃないかな」

「ありません」

 きっぱりと顔を真正面から見据えて断言する真澄を見て、ふふっと笑った。

「ほら。それでいいんだよ。

助けたいから助けた。だから今も生きている。それでいい。

生きていたらまだ先があるから……。先がある事を今は喜んだらいいよ」

「ありがとうございます……」


「真澄さんはね、とても強い人だと思うんだ。

母子家庭で子供二人を育て上げて、働いて。こんな事が起きても泣きもせずに一人で頑張ってきた。

この状況で、息子さんの更生を目指して支える事まで考えて、自殺を図った娘さんを守り続けている。

これは普通の人にはとても出来ない事なんだ」

「そう、ですか……?」

「そうなんだよ。君自身は強さを自覚できていないみたいだけど。とても強いよ。

逃げずに真っすぐ立ち向かうことが出来る。

……でもね、真澄さん」

「はい」

「……誰もが君みたいに強くあれるわけじゃないんだよ」

「…………」

「真澄さんは強すぎたんだ」

 グレイの言っている事が、今なら痛いくらいに分かる。

 言葉を選びながらも核心をついてくる。

 そしてそうしてくるのは、見据えなければ先に進めないからだ。

 胸が締め付けられるように痛い。

 俯いた真澄の頬を優しく撫でるグレイの瞳はどこまでも優しい。

「真澄さんは自分の強さを自覚して……。そして、心の中にある弱い部分も大切にしてあげて。

無理しすぎだ。君まで壊れてしまうよ」

「………」

 ぽたりと涙が零れ落ちた。

 涙が流れて止まらない。

 目をこすってしまうから、グレイはタオルを差し出した。

 真澄は目元にタオルを押し付けながら、暫く涙を流していた。

 そうだ、自分はこうやって誰かに縋りついて泣きたかったのだ――。


 やがて呼吸が落ち着いた頃、真澄はタオルをテーブルの上に置いた。

 グレイは紅茶を淹れ直して、自分と真澄のティーカップに注いだ。


「……私は、どうしたらいいんでしょうか……」

「そうだね、陽向ちゃんのメンタルや考え方を考慮しながらケアを進めるのがいいかな。

真澄さんには抵抗がある事だと思うんだけど……。

多分、正攻法じゃ無理かな……」

「正攻法じゃない方法と言うと……?」

「……僕に考えがあるよ。

実行するのは改めて陽向ちゃんと話してからになるけど」

「……ここで話してもらえますか?」

「勿論」


 そうして大人二人による打ち合わせが進められる。

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