Side→K 1話

 ここで、三宅秀一の母親、三宅真澄について語ろう。

 真澄は幼い頃に夫を病気で亡くし、未亡人となった。

 それ以来再婚もせずに、仕事と育児を両立して女手一つで秀一と陽向を育ててきた。

 家は貧しい母子家庭だ。

 貯金は一応あるものの、稼ぎが多くないため慎ましい生活をしてきた。


 けれど、真澄は幸せだった。

 真面目で根が素直で、面倒見の良い兄の秀一。

 ひたむきで情に熱くて愛らしい妹の陽向。

 二人とも良い子に育ってくれたから、それが誇りだった。

 これからも手を取り合っていけると思った。


 秀一は厳しい受験を乗り越えて大学に進学した後、この春に卒業をして就職をしたばかりだ。

 親会社が大きいが、就職したのはその子会社になる。

 小さな事業所だが、秀一は真面目に働いていた。

 朝早く出勤し、夜遅く帰ってくる。

 秀一が無理しているのは気づいていた。

 そもそも真澄自身がフルタイムの仕事と二人の子供の育児を両立し、無理に無理を重ねてきたため、限界のボーダーラインが人より大分高い。

 そういった理由で、息子のしんどさにギリギリまで気づけなかったが、とうとう声を掛ける事になった。


「秀一、無理しすぎじゃないの」

「母さん……」

 無理しすぎだと、ご飯もちゃんと食べられているかと心配だった。

 顔色も白く、やつれてきているように感じた。

 話の端々から仕事先が厳しい事は悟ったため、長く休むか退職した方がいい。

 そう言葉を紡ぐが、息子に断られてしまった。

 その時には苦しみが大きくなりすぎて、道が見えなくなっていたのだと今なら理解できる。

 けれどこの母はそれに気づかず、貯えもあまりないため息子に甘える選択を取った。


 あの時に無理やりにでも止めなかったことを、後悔しない日はない。


 職場で働いていたときに娘の陽向から着信が何度もかかってきていた。

 仕事中はマナーモードにしているため直ぐに気づけなかった。

 お手洗いに行ったときに着信に気づき、その回数の多さにぎょっとする。

 何かあったのかと掛け直してみたら、語られた内容に酷く動揺した。


 兄が心配になり、学校の帰りに寄ってみたら職場で大騒ぎ。

 慌てて連絡を取ると、なんと秀一が人を何人も殺したというのだ。

 本人は死ぬことを望んでいるようであり、説得を試みたが電話を切られて繋がらない――。


 上司に頼み込んで早退させてもらい、急いで娘と合流した。

 やった事は許される事ではない。

 けれど、秀一に、愛する息子に死んでほしくない!

 娘と手分けして捜すもどこを捜しても見つからない。

 一度作戦会議をしようと家に帰宅すると、警察の人が待ち伏せしており、そのまま重要参考人として事情聴取をされた。


 秀一の遺体は上がらないこと、そして目撃情報も上がっていることから、息子は逃亡し続けているのだと悟った。

 それを知った時、不謹慎ながらも安堵したことを覚えている。

 良かった、秀一は生きているのだ。

 なんとか捜し出して自首を勧めよう。

 仕事はクビになってしまったため、日中の時間が空いた。

 警察の尾行がついているのを承知の上で知り合いから当たり、息子を捜し続ける。


 しかし、真澄は恐怖も覚えていた。

――秀一……。殺人なんてどうして。

 あの後警察の調べにより、仕事先で酷いパワハラが常時運行だったことが明らかになっている。

 過度なパワハラにより憔悴していたため冷静な判断力を失っていたからという側面が大きいのだろう。

 けれど、抵抗しなくなってもなお殴り続けたと現場の状況が記していたらしい。

 一度人を手に掛けて、タガが外れて暴れたのだろう。

 それはまるで檻から放たれた獣のように。

 この獣が本性なのだろうか……?

 今まで良い子でいてくれた、押さえつけられていた子供の心が暴走してしまったのだろうか。

 それなら自分も原因のひとつなのだろう。

 これまでの生活を省みて重く受け止め、秀一を捜し説得をして更生をさせる。

 母親は強く決意し、実行に移し続ける。

 

 もともと秀一は頭が良い。

 上手く追っ手を逃れ、潜んでいるらしい。

 そんな息子を真澄は心配した。

 凄く憔悴しているはずだ。早く、早く楽にしてあげなければ。


 なお、事件の話や噂は瞬く間に広がり、お茶の間の話題の的となった。

 要は野次馬達や暇人の格好の餌である。

 指名手配もされていたため、あっという間に家の住所も特定され、誹謗中傷の電話や手紙、扉の前の落書きが目立つようになった。

 そんな中でも秀一と陽向を救う事を考えていた真澄は、心が強すぎたのだ。

 けれど、陽向の心は強くはなかった。


 やがて陽向は不登校になった。

 今の環境も良くない。

 匿名で県内のホテルに泊まり、陽向と向き合って語られる話に耳を傾けた。

 なんと前々からクラスメイトから虐められていたというのだ。

――辛いのに、無理してこの子は……。

 息子も娘も、どうして周囲の環境に恵まれないのだろう。

 どうして二人とも隠してしまうのだろう。

 家が裕福でないから?自分が大変そうだから?

 優しくて思慮深いからこそ彼らは自分の首を絞め続けたのだ。


 クラスメイトからの虐めは、兄が殺人を犯してから一気に加速した。

 今まで見て見ぬふりをいていた人達も一部加わるようになり、断罪と称して憂さ晴らしをか弱い娘に行い続けた。

 それでも陽向は兄をかばった。

 本当に優しいのだと、周囲の環境がそうさせたのだと声を荒げた。

 それを見た加害者は暴力を加速させた。

 やがて陽向は無理して笑う事をやめ、外に出る事がなくなった。


 外になんて出なくていい。無理なんてしなくていい。

 切々と語り掛け、泣きじゃくる娘を抱きしめた。

 今度は絶対に間違えない。腕の中の娘を守るのだ。

 息子も見つかったら説得して必ず救う。


 掌から零れ落ちないように、陽向との会話を格段に増やして励まし続ける。

 元のアパートは引き払った。

 実家の高齢の両親の説得に成功し、田舎に引っ越すことに決めた。

 環境を変えてやり直そう。

 これからを見据えて脳内シミュレーションを繰り返し、娘との話し合いも重ね続け、計画を練る。


 しかし……。

 引っ越しの手続きや食料の買い出しなどに出掛ける為に陽向をホテルに一人残して外出した日、事件は起こったのだ。

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