Side→S 9話

 柊を蝕む悪夢は闇を増すばかり。

 夜中に起きる頻度が増えてしまった。

 一人でリビングに行き、紅茶を淹れる。

 たまにグレイがリビングにいた日は、淹れてくれた紅茶でよく眠れるのに。一人で用意する日は上手く眠れない。

ーーもしかしたら、他に薬草を混ぜてくれてたのかもな。

 たとえばロゼッタに飲ませている精神を安定させるような作用のある薬草とか。

 特に嫌な気持ちは無い。グレイは気分を和らげるためにそうしてくれているのだろう。

 逆に何の薬草を入れたらもっと落ち着けるのか聞きたいくらいだ。

 それくらい、今の柊は眠れていない。


ーー悪夢のせいか。

ーー記憶を無くす前の俺……。

 何をやっていたのか思い出せない。否、思い出したくないのだ。

 過去を辿ろうとすると、頭が強い拒否反応を起こす。

 けれど、繰り返し夢に見るのは、心の中で今のままではいけないと、思い出せと警鐘を鳴らしているのだろう。

 どうしようかと思い、甘い香りのするハーブティーを飲みながら考える。

 頼りになる大人は、やはりグレイだ。

 時間は真夜中だが、夜行性である彼なら、優しく親切な彼なら怒らないでいてくれるだろうか。

 自分の分と彼の分の紅茶を新たに用意すると、深呼吸をした。


 コンコンとグレイのドアをノックした。

「はーい…」

 小さく返事が聞こえた。もしかしたら起こしてしまっただろうか。

 申し訳なさを感じながらドアの前で待っていると、木のドアがゆっくりと開いた。

「おや、柊。紅茶を淹れてくれたの?」

「グレイさん。夜分遅くすみません。」

「ううん、大丈夫だよ。入って入って」

 綺麗に整頓されている部屋だった。

 物はそれなりにあるものの、棚や引き出しなどにしっかりしまわれている。

 テーブルに柊を案内すると、奥側に座った。

 柊はテーブルに紅茶を置くと、向かい側に座る。

「どうしたの?尋ねてくるなんて珍しいね」

 稀と言うより初めてのことだ。何かあったのだろうかと心配の色を見せて顔を覗き込んでいる。

「ちょっと相談があって……」

「何かな?最近夜中によく起きてるよね」

「はい。よく眠れなくて……。夢見が悪くて、よく起こされるんです……」

「そう……。それは辛いね」

 労わるように肩を小さく叩く。

 柊はお守りのような気休めのようなカモミールティーを口の中に注いでいく。

「悪夢を毎日のように見て……。しんどくて……。俺がどうしたいのか分からなくて」

「分からない……?」

 ごくりと唾を飲み込んだ。

 この異常性をこの人に話していいのだろうか?

 でも縋りたいと思ったから……

「記憶を取り戻すべきなのか、そうじゃないのか、分からなくて……」

「うん」

「本当は思い出したくなくて、何もかも忘れて幸せになりたくて。でもそれじゃ駄目だって、許されないって……心が拒否してるような。

だから毎日悪夢を見て苦しんでるんじゃないかと思って……」

「なるほど……」

 抽象的な柊の言葉。

 パズルのピースを当てはめるようにして組み立てる必要がある。

 思案顔になった後、グレイは何度か頷いた。


「もしかして、過去の記憶と思われるものを夢に見るの?」

「……え」

「それが思いのほかひどいものだから、怖がっているし、うなされているの?」


 どうしてこんなにぴったり当ててくるのだろうか、この人は。

 なんだかんだでグレイは人の事をよく見ているのだろうな。


「……凄いですね。その通りです。

その酷いものが、本当の過去なのかはやっぱり分からないんです。

でも、見れば見るほどその姿が本当の俺だと思えてきて……」

「うん、うん」

「そんな自分自身が俺は怖いし……。認めたくなくて……。

本当は今グレイさんに打ち明けていることすら怖いんです……。

折角受け入れて貰えてるのに、拒絶されたくない……!」

「大丈夫だよ、柊」

 大きな掌がそっと柊の頭を撫でる。

 それはまるで実の子供にするような、親しみのこもったものだ。

「たとえ君が過去に酷いことをしていても、誰が君を否定しても、僕は君の味方だよ。

君が僕を頼る限り、僕は力になりたいよ」

「グレイさん……」

「それに、そう思ってくれている人は他にもいると思うんだ」

「そう、なんですか……?」

「ロゼッタやカスミだって君に優しいだろう?二人とも優しい人だから、案外話せば分かってくれるかもしれない。

とはいえ、怖いだろうから、無理して打ち明ける事もないよ。

眠れない日はこうして来るといい。」

「ありがとうございます……ありがとうございます……」


 グレイは淹れてもらった紅茶を飲みながら、一息ついた。

「それで……柊はその記憶をどうしたいの?」

「…………できれば、思い出したくないし、逃げていたいです……」

「うん。それだけ拒絶しているなら、無理して思い出す必要はないんじゃないかって僕は思う。

実際問題、今のところ記憶がなくて困った事はないだろう?」

「……はい」

「ただ……それも時間の問題じゃないかって思えてきて……」

「なるほど……。悪夢の頻度が増しているって言ってたね」

「はい、最近はほぼ毎日……」

「そう……」

――となると、柊、記憶を取り戻しかけてるな……。

「そこまで来ると、全部の記憶を取り戻すのは時間の問題な気がするよ。

だから、取り戻しても動揺が抑えられるようにした方がいいとは思うんだよね」

「動揺が抑えられるように……」

 言われた言葉の意味が分からなくて手を口に当てて考え込む。

「あ!薬草処方とかしてもらえます?実はこっそりハーブティーに精神安定作用の薬草を仕込んでたでしょ?」

「バレた?」

 ぺろっと舌を出す。

――あれ、案外あどけないなこの人。

「分かりますよ……。グレイさんに会えた時だけぐっすりですもん……」

「ごめんね、黙って仕込んでて。大分参って見えたから」

「大丈夫です。寧ろ精神安定作用のある薬を処方してもらいたいくらいです」

「いいよ。あのお茶のティーパックあげるね。ただし一日一回までね」

「ありがとうございます」

 立ち上がって机の引き出しを開ける。

 慣れた手つきで取り出すと、何個か袋に入れて差し出した。

 それを受け取ると、ほっと安堵の息をついた。

――あまり薬に頼りすぎもいけないかもしれないけど……

――今の俺は冷静じゃないと思うし、とりあえず心を落ち着けよう……。

 心に決めて、方針を決めると落ち着いた気がした。

 グレイには感謝しかなくて、足を向けて眠れない。

「また何かあったらいつでも相談においで」

「はい、そうします」


 他にも何かあれば、とグレイは優しく話を聞いてくれる。

――……。

 ドアの外で、壁に凭れて静かに考える娘の姿があった。

 長い髪が揺れ、俯いているようだ。

 頼りになる相手にゆっくりと話していく柊と、話に耳を傾けているグレイは、立ち聞きに気づけない。

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