Side→S 5話
結局ロゼッタの杞憂は杞憂で済んだ。
グレイもカスミも居なくなることはない。
今日も次の日もその次も、ちゃんとロゼッタの傍にいる。
分かり切っていた事だ。けれど、柊も大きな安堵を憶えた。
ここにきて一週間が経とうとしている。
出会ってから短い時間であれど、既にロゼッタもグレイもカスミも掛け替えのない人になりつつある。
「柊さん!」
ロゼッタに明るい笑顔で呼ばれれば、笑みが零れる。
日々グレイの仕事を手伝って、屋敷の中で過ごす。
そんな平穏が、今ではとても手放し難かった。
――……ソレハ、現実逃避シテルダケジャナイカ?
稀に聞こえるこの声はなあに?
柊は小さく頭を横に振った。
自分の心の中の声をかき消して、ただ浸る。
何も考えたくなかった。
※
柊がこの屋敷に来てから1か月が経とうとしていた。
すっかり日々の仕事のルーチンワークが出来て、任せられる仕事も増えてきた。
そんな毎日が愛おしい。
けれど、柊は心配している事がある。
「! ロゼッタ」
「……柊、さん」
弱弱しく名前を呼んでくれる。
ロゼッタの体調がこのところ思わしくないのだ。
もともと顔色が良いわけでもない娘だが、ここ数日気になる。
リビングで何もないところでよろけたロゼッタの肩を抱きかかえ、ソファーに座らせてやる。
「大丈夫か?」
「……平気」
気丈に答えてくれるけど……。
額に滲み出る冷や汗が、太ももが小さく小刻みに揺れる様子を見ると、心配になってしまう。
お水を汲んで渡せば、ちゃんと受け取ってくれる。
ぐいと一気に飲み干していけば、細い喉が上下した。
顎を伝う水滴を拭い、ソファーに横になる。
「ロゼッタ、ちょっと待ってて」
「待って、柊さん……」
「?」
最近の体調の悪さは見逃せない。
グレイに相談して、薬を調合して貰おうと行きかけたとき、他でもないロゼッタが柊を呼び止めた。
近寄ると、急に抱き着いてくるロゼッタ。
驚きに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていると、そのままぎゅううと抱きしめてくる。
「………どこにも、行かないで……」
「………分かったよ、ロゼッタ」
抱きしめ返して、背中を優しく叩いてやる。
ロゼッタは落ち着いたように、ちょっとずつ息を吐いた。
そのまま深呼吸をするように促せば、呼吸は安定した。
――不安なのかな。
――トラウマか何かかな。
ロゼッタは人に言えない悩みを抱えている、そんな気がしてならない。
それが寂しさを呼んで不安が募り、発作みたいになるのだと予測した。
だから、親しい人に傍に居てもらいたがるし、不安に耐えられなくなると体調を崩してしまう。
体調を崩せば、親しい人はロゼッタから離れられなくなる。
付きっ切りで傍に居ればやがて安定する。
まるで彼女の不安に身体が呼応しているようだ。
彼女が悪いわけではない。けれど、体調不良を使い、目的の人を傍に置いているようだと言う人はいるだろう。
――別にどうでもいいけどな、そんなの。
世間一般の目なんてここには関係ない。
ロゼッタが望むなら、付き添うまで。
この少女の笑顔は、この居場所は俺を救ってくれるから。
「ロゼッタ、少し休め。俺はお前の傍からいなくならないから」
「………うん」
手を握ってやると、安心したように息を吐いた。
そのまま肩を貸して、部屋に連れて行った。
ロゼッタの部屋に到着し、ドアノブを回した。
キィ……と木の板の音が耳をくすぐる。
薄暗い部屋だ。
薔薇の残り香と、適度に整頓された家具が二人を出迎える。
「………?」
どこかで見てきた配置である気がする。どこだろう。
記憶を辿るが、どうしても思い出せない。
まあそんなのどうでもいいんだ。
肩を貸したロゼッタをベッドに連れて行き、優しく寝かせてやった。
頭を優しく撫でれば、柔らかな金髪が手をくすぐった。
「少し眠れ」
「うん……。柊さん、お水持ってる…?」
「あるぞ」
ぺっどボトルごと渡して、踵を返した。
「おやすみ、ロゼッタ」
「おやすみなさい……」
か細い声で、でも挨拶を返してくれる。
胸の奥からこみ上げてくるこれは何だろう?
顔が頬が熱い。
その感情の正体を探るのに必死で、違和感など記憶の彼方に放り去った。
部屋にあった大きな鏡が、存在感を放ちすぎていることなど、どうでも良かったのだ。
※
「グレイさん……!」
「柊。どうしたの?慌てた様子で」
グレイは庭先での薔薇の手入れを終えたところらしい。
首に掛けたタオルで額を拭きながらゆっくりと戻ってくる。
「その、ロゼッタが体調を悪くしていて」
「そう……。最近また増えたね……」
「前もあんな感じだったんですか?」
「そうだよ。よくあんな感じになるの。僕も心配しているんだ」
玄関に入り、グレイは自分の寝室に招いてくれる。
招かれる儘彼について部屋に入る柊。
グレイは後ろ手でドアを閉めて、鍵を掛けた。
そこで意図を察する。
――人に聞かれたくない話か……?
「……ロゼッタは、持病があるんですか……?」
わざわざ鍵を掛けて人が入らないようにした。
此処にいるのは、ロゼッタとカスミだけであるにも関わらずだ。
話してくれるんじゃないかと期待を込めて、言葉を紡いでいく。
「………そう、だね。あるよ、持病。
所謂PTSDだね。過去に辛い目に遭ってきたみたいで、時折発作が起こる」
「そうなんだ……」
驚きはなかった。先程の様子を顧みれば、合点が行く事だらけだ。
「何があったかは僕の口からは内緒にさせてね。
勝手に言っていい事じゃないし、ロゼッタの口から言うべきことだと思うから」
「はい……大丈夫です」
気にならないと言えば嘘になる。
でも、ただでさえトラウマ持ちのロゼッタの心を深く傷つけるわけにいかないから。
「僕の方でお薬を処方しているよ。
本人に持たせてあるから、発作の後は自分で飲んでいると思う」
「なるほど……」
確かに先程水を欲しがっていた。
部屋に薬があるのだろう。ちゃんと調合されたお薬を飲んで休めば大丈夫か。
「ただ、最近それがひどくなってきているから、丁度頓服を調合しなおしているところなんだよね。
もうちょっと強い精神安定剤の方がいいかなって。
治ってきたらまた弱めのに変えるけど……」
「分かりました……」
「明日には出来るから、ロゼッタに渡しておくよ。
本人では飲めないときもあるだろうから、僕も持ってるし、カスミにも持たせてあるんだ。
柊。君も持っておいてくれ。後から渡しに行くから。
どうにもならなくしんどそうな時は、そのお薬をロゼッタに飲ませてね」
「分かりました」
きっかり一日後に、そのお薬は調合された。
そして柊はその薬を小さなポーチに入れて持ち歩くようになった。
ロゼッタを助けたい。
いつか悩みも聞いて、力になれればいいなと、そう願った。
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