第52話 8年前の邂逅(後編)


「じーちゃん、ここって……」


 理沙が中に入ってしまったという、金属製の巨大な扉。

【関係者以外の立ち入りを禁ず】

 と書かれた赤文字が、物々しい雰囲気を醸し出している。


「Tokyo-Firstの深部に通じる基幹エレベーター……認証カードを持ち、網膜登録された人間しか入れんはずなのに、なぜ理沙ちゃんが?」


「ううっ、とびらが少し開いてたの」


「馬鹿な!?」


 じーちゃんの話では、探索が許可された人間にしか開けられない特別な扉で24時間遠隔監視されているらしい。

 小さな子供が勝手に入れるようなものじゃないそうだが……。


「トウジ! お前は礼奈ちゃんを連れて先生のところに戻っておれ!

 理沙ちゃんは、ワシが探しに行く!」


「お、おう……頼んだぜじーちゃん!」


 じーちゃんはTokyo-Firstの発見者で、共同所有者の一人である。

 ダンジョン内に自由に入ることが出来るのだ。


 探索者適正が発現していない俺が行っても足手まといになる。


「あとはじーちゃんに任そうぜ、礼奈」


「うんっ、ふええ」


 ぐずる礼奈の手を引いて、俺は先生のところに戻るのだった。



 ***  ***


「どきどき」


 頭の中に響く声に導かれるまま、ダンジョンの奥深くまでやってきた理沙。

 不思議なことに、理沙がボタンに触れるだけで停止していたエレベーターが稼働し、鍵のかかっていたドアが開いた。


 モンスターにも出会わなかったし、道にも迷わなかった。


「わあ!」


 慎重に歩いていると、突如視界が開ける。


「きれい!」


 学校の体育館ほどもある吹き抜けの部屋。

 壁や天井は水晶のような素材でできており、どこからか差し込む光でキラキラと輝く。


「それに、神社みたいな感じ?」


 足元はいつの間にか石畳になっていて、両側を白い玉砂利が埋めている。

 石畳の先には無数の鳥居が連なり、朱色の回廊を形成している。


「伏見稲荷かな……行ったことないけど」


 社会の授業で見たビデオにこんな光景が映っていた気がする。



 しゃなり



 その時、涼やかな音が理沙の耳に届く。


「……え?」


 連なる鳥居の奥から、何かがこちらに歩いてくる。

 シベリアンハスキーを思わせる白銀の毛並み。


 しゃなり


「犬さん?

 違う、ものすごくでっかい……!」


 犬よりはるかに大きく、山高市の動物園で見たライオンぐらいあるかもしれない。



 しゃなり



 犬よりシュッとした面長な顔。

 真っ赤な瞳が理沙を捉える。


「き、キツネさん?」


 目を引くのは扇のように広がる九重の尻尾で……。


 最上位の稲荷である、玉藻。


 この狐の正体を知らない理沙だが、不思議と恐怖は感じない。

 神々しく美しい姿に、ただただ心を奪われてしまう。


「理沙! こんなところにおったか!」


 鉄郎が駆けつけてきたのは、そんなタイミングだった。



 ***  ***


「なんと……九重の稲荷じゃと!?」


「鉄郎おじいちゃん、知ってるの?」


「知ってるも何も……!」


 驚く鉄郎の前で、九重の狐はゆっくりと語り始めた。


『我の名は……環裳(たまも)

 東の都に舞い降りし迷宮の神なり』


「!!」


 ぱあああああああっ


 白銀と紫の光が環裳の全身を包む。


 しゅううううんっ


 キツネの巨体は、やがて人の形をとる。

 床まで届く見事な銀髪。

 全てを見透かすような赤い瞳。


「Tokyo-Firstの……付喪神だというのか?」


 ダンジョンに宿る神……付喪神の現界化はいくつかの例がある。

 もっとも有名なのは、旭川にあるA+ランクダンジョンのレラだろう。


 北の大地を守護する青毛の狼。

 成人女性の姿で現れた彼女は、人々の信仰を集めていた。

 鉄郎が屋敷に所有するダンジョンでも、いずれは付喪神が現界するかもしれない。


「じゃ、じゃが」


 Tokyo-Firstでは、付喪神が出現しなかった。

 ダンジョンが巨大すぎるのか、地脈の力が強すぎるからか……詳しくは分かっていない。


(そ、それが50年の時を経て、いまさら現界したじゃと……!)


 ここまで拡大した世界最大ダンジョンの付喪神。

 どのくらいの力を持つか、空恐ろしくもある。


「わ~、すごい! キツネさんが綺麗なお姉さんに!!」


 理沙は無邪気に喜んでいるが、環裳と名乗った付喪神はもはや理沙の事など見ていない。


(……ワシか!)


 彼女の相貌は、鉄郎だけを見据えていた。



 ***  ***


『我の寝所を覚まし宮司、穴守 鉄郎。

 万夜の時を経て……ようやく現界が叶った』


 怜悧にすら感じる、環裳の澄んだ声が二人の耳を打つ。


『我の僕となれば、悠久の時を歩むことが出来る』


 ふっ、と環裳の形の良い唇が三日月の線を描く。


『待ち焦がれていたわ……そなたは千夜、奈落の底には来てくれなんだ』


 鋭かった表情が緩み、僅かに雰囲気が柔らかくなる。


『その童(わっぱ)を使い、招かせてもらった。

 人の世を領(うしは)く永久の伴ひを……わらわと共に。

 さすれば鉄郎、そなたは世界に遍く(あまねく)傑物となるでしょう』


(どーん!)


 内心衝撃を受ける理沙。

 この女の人が言っている内容はよく理解できないけど、目の動き、僅かに上気した頬など各種情報を総合すると……。


(私を見つけてくれてありがとう、世間からどういわれようと一緒にいよう、好き好き、なのでわっ!?)


 理沙は成績はいまいちだが感情の機微に敏感な女の子なのだ。

 神様に、ここまで言わせるなんて!


 思わず鉄郎を見上げる理沙。


「うーむ、ワシはもう十分生きてきたし、いまさら世界一などに興味ないのう」


(どどーん!?)


 鉄郎おじいちゃん、そのままの意味で取ってる!?


「孫を独り立ちさせねばだし……既に別の稲荷とがあるからの!

 そのあとでなら考えてもいいぞ?」


(どどどどーん!?)


 まさかの二号さん宣言である!

 このニブニブさ、トージおにいちゃんと一緒……まさか遺伝!?


 理沙が恐ろしい可能性に思い当たろうとした瞬間。


『しゃあああああああああっ!!』


 環裳の端正な顔がゆがみ、ぞっとするような金切り声を上げる。



 ごうううううううううっ



 同時に、強烈な光を伴った旋風が巻き起こった。


「くっ!?」


「きゃああっ!?」


 なすすべ無く吹き飛ばされる二人。


 ばしゅう!


「……………え?」


 どれくらいの時間がたっただろうか。

 光と風が収まったとき、そこに環裳の姿はなかった。


「……あれ? わたし、一体?」


 擦りむいた膝を気にしているうちに、頭の中が混乱してくる。

 今まで何をしてたんだっけ?


「いつつつ……なんじゃったんじゃ?」


 理沙の肩を抱き、困惑する鉄郎。

 二人はこの部屋であった事のほとんどを忘れてしまっていた。

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