第18話 契約書

 オズはモーラに叱られていた。

 だけど、彼女は直ぐに諦めてしまった。

 何を言っても、あぁ、としか答えない魔王らしきスライム。


『女神の剣、聞いたこともない新たな加護。奪うことが困難という可能性は最初からあった筈でしょ。奪いたいのは分かるけど、どんな力があるかも分からないのよ』


 雨の中、異変に気付いて飛んで来たら、カラフルな猫がいたから、直ぐに分かった。

 触ることが躊躇われる程の、気色の悪い猫だった。


『ウチも…なんかムカついたもん。あそこで勇者を滅するべきだったもん』

『魔王様は最弱のスライム、相手は神の武器。場所は未だに力を残す古い教会。もしも、今魔王様を失ったら作戦の立てようがないのよ』


 暴走気味のオズ。だけど、彼を魔王と疑わないのは、知らないことを知っているからだ。

 勇者は旅立ちの日、既に魔を滅する剣を持っている。


 魔物にとっては特級呪物だ、知っていたら先ずは退かせる。

 少なくとも対策が取れるまで、最悪魔王が完全覚醒するまで。

 そんな話は、最高幹部のベルゼルスギルスも知らないだろう。


 でも、オズは知っていた。それだけで知識だけなら最高幹部を越えている。


 そして、ここでオズ。


『もういい。白状する。俺は勇者の生まれ変わりだ。正確にはこの世界の未来から来た勇者だ。この世界の魔王を倒したのは俺。ややこし…。でもお前たちの敵だから、さっさと殺してくれ』


 あっさりと真実を告白した。

 それくらい憔悴しているということ。

 友が死んだから、自分もという自暴自棄。


 だけど、このタイミングで、あの状況で言われても。


『私たちの魔王を倒した勇者?…そんな訳ないでしょ。自暴自棄になって訳の分からないことを言っているのね。作戦が失敗したのは分かるけど、元々得体の知れない女神の剣。それが人間に盗まれて、勇者が取り返しただけの話でしょう?もっと深い意味があるなら教えてよ』


 大前提として、この世界線で初めて女神の剣が登場したことがある。

 強い悪魔も、弱いモンスターも身構えてしまうし、実際にそれで一人の悪魔が殺されている。


 しかも、その魂は確認されていない。


 そんなものには誰も近づけない。


 音声のみで聞いていたモーラにはこう映っている。


『そもそもオズは何もしていないでしょう?ただ、見ていただけの計画だった筈よ。作戦なんて最初からなかったし、あったとしても実行はしていないの』


 魔族は何もしていないし、特別には何も失っていない。

 あの場で待機していた小物モンスターとあの場に生息していたアンデッドが死んだだけ。

 それくらいのことは今までも起きている。

 それどころか。


『女神の剣は奪えない可能性が高いし、勇者の口から女神の恩寵よりも強力という言葉まで引き出せている。アリスが与えた未知の武器の情報よ?こんな序盤で手に入れていることは誇れることなのよ』


 失われた世界を知らない。

 そしてオズがいなかったとしたら、何も分からないまま、勇者に女神の恩寵を稼がせてしまった。

 しかも女神の恩寵の仕組みを知らないから、とんでもない事態に陥ったのは想像に難くない。


 ——結局、オズが魔王としか考えられない


 東の大陸、極夜地帯に行って、ベルゼルスギルスに判断を仰いだ方が良いかもしれない。

 でもあそこは遠いから、東の大陸南部を仕切るインペルゼステくらいに。


『…アレらは野心家。それに数千年を生きる悪魔』


 現在の魔王の状況を知り、魔王核を狙って動き出すかもしれない。


 そして現状に立ち返れば、オズの働きは悪くないのだ。

 未知の脅威を分析しようとする考え方、小物モンスターを使った戦わない足止め、上位の魔物を犠牲にすることなく人間を使って、女神の未知なる剣を奪おうとした。 

 彼がいなければ、魔物たちの言い伝えに登場する勇者オズの伝説の再来となったかもしれない。

 それをいつもの勇者の伝説程度に抑えているのは、彼の知識があったからだ。

 今は性別がないけれど。


 ミーアがあれだけ懐くのも珍しい。人間にも魔族にも尻尾を振らないあの子が、…あの時オズと一緒に怒っていた。それって、…何なの?


 そしてオズの心境は。


 時間が戻るなら助けたいと思った。でも、本当なら生きていたレプトンが殺された時点で失敗。だったら巻き戻るんじゃなかった。でも、巻き戻ったのは自分のせいじゃなくて、だから時間が戻るなら助けたくて、でも、親友が殺されたから、もう意味がなくて、それなら巻き戻るんじゃなかったけど、それは自分の意志じゃない……


 絶賛、無限ループ、無間地獄の中をぐるぐると回っている。


 そんなドロドロをミーアが指でつつく。


『魔王様がこんな調子じゃ、魔王軍に打つ手は無しだにゃ…』


 何気ない一言。

 だけど、魔王は今、正直に自分の正体をぶちまけたところ。

 勇者だと名乗ったばかり。だから、勇者の心境で独り言。


『魔王軍に打つ手はないってことはない……、でも……俺には関係なくて……だから罪深い俺を滅してほしくて……』


 本音が脆び出る。どうでもいいから。勝手な勘違いで親友を殺してしまった。

 彼になんて詫びたらいい?でも、あの世界は無かったことになったから、あの世で再開しても自分のことを知らない。


『え…?ちょっと待って。今、なんていった?関係ないってアナタ?』

『でも、俺の目的が叶わないんじゃ、意味がないしー』

『オズの目的は何なのにゃ?』


 何もできない自分。何をしてもうまく行かない自分に嫌気がさした。


「えっと…なんだっけ…」


 そしてぶつぶつと、ぶくぶくと、気泡が発生する。


「誰も死なせない…、は、もう無理…だから…」


 それが弾けると人の言の葉となる。

 勇者だから。だけど、ヒトの言葉を二人は聞き取れる。


「いや、…違うな。本当の目的は…」

「本当の目的?」

「その目的はなににゃ?」

 

 つられて二人も人の声で。

 そして…、彼は話す。

 この状態になったからか、記憶の中の靄が消えていく


「俺が死なせたくないのはたった一人。…フォレストオブカリナ、不帰の森の北、そこに住む女の子…アシュリー」


 どうして靄がかかっていたのか…

 まだ、彼には分からないのだけれど


「そこに人間の女の子がいるのにゃ?」


 記憶の靄の先、どうして…


「そう…思ってた。魔王…アングルブーザーを倒した時も……。でも、あの子は人間じゃない…」


 どうして今の勇者ではダメなのか。

 どうしてアシュリーを救えないのか。


「人間じゃない?ということは魔族の女…の子?」


 多分、アシュリーを死なせてしまったから、思い込んでいたんだ。

 魔族にアシュリーを殺されたから…


 いや、駄目。この辺りは何故か記憶に靄がかかって


「違う…」


 どうだっけ。なんでだっけ。


「人間でも魔族でもないにゃ?動物…かにゃ?」

「動物も光女神の加護を受けているでしょう?魔族の動物は魔王様の加護を。どういう…こと?そんな…もしかして…」

「なんで忘れてたんだろ。あの子は人間と魔族の娘…。隠れ住んでいた。どちらにも狙われるから…」


 あってはならない組み合わせだった。


 でも、…僕は彼女のことが好きだった。


 ——そして、この告白が運命を大きく変える。



【業火絢爛】


「あちっ‼」


 じめじめした洞窟が一瞬で乾き、濡れにゃんこと濡れ鳥女の毛先が羽先が心配になりそうな炎が辺り一面を包み込んだ。


「モーラっち‼何をするにゃ‼」

「…あ、そか。俺の言葉を信じてくれたのか。俺は勇者だ。今度こそ一滴も残らず…」

「そうね。信じてあげる。貴方は勇者かもしれない」


 汚泥化したオズの体から声の為ではない気泡が発生する。

 今の彼女の魔力なら小さな村くらい簡単に滅ぼせる。

 だが、そこで


「モーラ‼そんなこと私が許さない…」


 ミーアが立ちふさがる。

 本当に彼女まで焼き尽くしてしまいそう。

 だが、構わずに炎に勢いを出す為に翼で風を送り込む。


 とは言え。


『ミーアも私に併せなさい‼オズが勇者なんて信じてる訳ないでしょ‼』

『え…、そうなのかにゃ?でも…』

『まぁ、でも…』

「…生まれる前は勇者だったのかもね」

「あ、そっか。生まれる前ならあり得るの…?この世界の未来から来た?ん?」

「そうだ。生まれる前にこの世界の勇者だった。そのままだ。だから…」

「でも‼今は違う。そして助けたい女がいる‼目的がはっきりしてるなら、しゃんとなさい‼——魔王・・として‼」


 ゲルから泡が消える。

 モーラも焼き尽くすつもりはない。

 彼女の熱量で、オズの記憶の靄が少しだけ晴れたのかもしれない。


「だから魔王じゃ…」

「アンタのアレを持ってくる時に聞いたの。魔王様の核の封印は間違いなく解かれている。でも、魔王様は一向に目を覚まさない」

「それと俺は関係ない」

「本当にそうかしら?まぁ、どっちでもいいわ。核の封印は解かれ、魔力はそこから溢れている。ベルゼルスギルスが魔王代理として動き出したみたいだしね?でも、それってアナタにとって不味いんじゃないかしら…」


 オズの魂が揺れる。

 記憶の一部が解放される。


「それは…不味い…。アイツは…」

「容赦のない男。人間に対しては勿論だけど、魔族に対しても容赦をしない男。って有名よね?ちょっとしたミスでも処刑されるから、王になられたら面倒くさいって感じよね」

「えぇぇぇぇ、そんな奴なんすか?それは本当の奴?それとも…」


 結局、嘘が苦手なニャンコ。

 せっかく説得をしているのに、と半眼で睨み、肩を竦めて口を開けるも、言葉を発したのは彼。


「そういう奴だ。勇者と極夜長ベルゼルスギルス、どちらも恐怖の対象だった。アイツは人間と魔族は相容れない存在だと信じて疑わない奴だ」

「少なくとも魔王様は魔族に対しては寛大な御方だと聞いているわ。極夜長も今はご就寝中の魔王様に気を使っているけれど、それもそろそろ限界じゃないかしら。あぁあ、私はドラグーン島にでも避難しようかしら」

「ん?それじゃウチも…」

「多分、猫には辛い環境よ。火山と氷山、熱いのと冷たいのとで、泣いちゃうかも。ただ、龍族は今まで中立を貫いているから、隅っこで野良猫の真似くらいは出来るかもね?」


 失われた世界線では龍族を巻き込む戦いになったのだけれど。

 もしかすると、この世界ではそんなこと起きないかもしれない。


 だけど。


「プロエリス大陸は駄目よ」

『プロエリス大陸は駄目だ』


 元勇者は魔物の言葉で、魔物は人間の言葉で同じ言葉を紡いだ。

 そして、それは更なる決意の証。


『やっと目が覚めたみたいね』

『目なんて覚めてない。だけど…』

『にゃにゃ。これはどういうことにゃ?』


 状況は何も変わってないし、やろうとしていることも同じ。

 だから、言うことも同じだが、そこにある決意は本物だ。


『魔王が寝ているって状況を使う。期間限定だけど、俺は魔王になる。じゃないとベルゼルスギルスが実権を握ってしまう』


 これからも魔王を騙らねばならない。

 しかも、


『本当に目を覚ますのかしらね。本当にこっちで目覚めちゃったんじゃないの?』

『覚ますよ。だって俺は元勇者だ』

『にゃにゃ。言っていることが変わってないにゃ‼』

『そうね。言っていることは同じ。だけど、全く同じってわけにはいかないわ。オズは魔王の存在を示さないといけない。じゃないと、極夜長ベルゼルスギルスが動き出してしまう』


 プロエリスの魔物たちを牽制しなければならない。


『うーん。ウチたちはどうしたらいいにゃ?』

『そうね。だったら、これから始めましょう。もしも魔王様が本当にお目覚めになった時、私たちが言い逃れできるようにしてもらわないと…ね?』

『確かに。モーラとミーアに、それにライデンにも迷惑をかけてしまう…か。でも、どうすれば…』


 これから先は勇者と魔王軍、両者を牽制しなければならない。

 そして結局、モーラとミーアはオズが魔王だと信じて疑っていない。


 今は彼女達の協力がなければ、何もできないのだけれど。


『そんなの決まってるでしょう。魔族も人間も同じよ。はい、契約書‼』


 羊皮紙か、それとも魔物羊紙か、相変わらず翼を器用に使う。

 ただ…


『グリーンスライムに間違って……降臨した魔王……?』

『あら。元勇者なのに魔物の文字が読めるのね?やっぱり…』

『違うって‼俺は勇者としてすべての大陸を踏破したんだぞ?魔族の文字もある程度は読めるんだよ‼』


 アシュリーにも教わったし…

 それに大聖堂の書庫にも魔道言語の本があった


『眠っている魔王も私です。もしもあっちが目覚めたらあっちが本物です…って、こんなのでいいの?ざっくりとし過ぎじゃない?』

『気持ちが伝わればそれでいいのよ。人間みたいに法律とか細かくないんだから。はい。私は署名したわよ。ミーア」

『ウチも署名したにゃん』


 そしてスライムにも回ってくる


『え。アングルブーザーってどんなスペルだっけ…』

『魔王様はまだご自身の名前を仰られていないわ。その時々で名前を変えられるから、魔王様は魔王様。因みにアングルブーザーを名乗る時は寝覚めが悪かった時らしいけど…』


 確かに機嫌は悪そうだった。

 今回も目覚めた時は機嫌が悪いのだろう。


『だったらオズでいいニャン‼オズで慣れちゃったニャン』

『そうね。私もそれが良いと思うわ』

『そういうもの?まぁ、それなら…、——って‼』


 名前を書いた瞬間、契約書は二つに分かれて、一方がスライムの体に溶けていった。


『しっかりと契約書じゃないか』

『当たり前でしょ?いちいち、ミーアを通して会話をするのが面倒だもの』

『あー、酷いニャン‼それがウチの仕事にゃん‼』


 二人は勇者だと信じていないと気付いて、肩を落とす片角・半透明人間。


『魔王が本当に目覚めたら、俺を殺してくれよ。じゃないと契約書が出てこない』

『あら、やっぱり…』

『って、そのくだりはいいから。…それじゃ、例のアレを頼む。で、行ってくる。これは決まり事だ』


 そしてここで頼んでいたアレがやってくる。


『ん?行ってくる?決まり事?ももも、もしかして魔王城で演説かにゃ?』

『ミーア、魔王城なんてないぞ』

『ミーア、魔王城は存在しないの…、ってそうね。このくだりはいいわよね。ちょっとは頭を使いなさい。今までの記録上、この段階で魔王様はお目覚めになっているの。それに今ならもっと、魔王様に相応しい場所があるでしょ?』


 そう、魔王と言えば勇者。

 それでは勇者は今、何処に?


『ええええええ‼女神アリスのお膝元、アリス大聖堂に行くって事にゃ⁉危険だにゃ‼』

『その危険を冒せるのが魔王だ。これは決まり事なんだ。それに…』


 そして、オズはアレを手にして、勇者の元へ向かった。

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