第17話 慰霊祭(下)

 バサァ


 真っ黒くて大きな傘が開く。


「これ、必要なんすか?」

「必要だ。周りを見て見ろ。みんな、傘をさしている」


 前回、いや失われた世界では雨は降っていなかった。

 出発日は同じなのに、天候が違うのはソルト山地の道の整備に時間が掛かったから。

 ただの足止めに過ぎないが、魔族にとっては大きな意味がある。


「そう言えば、モーラっちが来れないらしいニャン」

「突然の雨だったからな」

「アレが来ないって焦った感じだったニャン」

「絶対に誤解されるから、そういうのはこっちじゃない方で喋ってくれ」


 とは言え、雨のお陰で声が通りにくい。ということは音も聞こえにくい。

 盗みを働くには良い天候かもしれない。

 周囲の人々は口々にこう言っている。


「勇者様のお父様…。お可哀そうに。アリス様も泣いていらっしゃるのですね」


 旅立ちの日に切った啖呵、人間に化けたデーモンの討伐、周辺の魔物の掃討、

 それから土砂災害での活躍。

 元々評判が高かった勇者が、評判通り活躍したことで過去最高の勇者を見たいと多くの人が集まった。


『盗人のアジトで待ってなくて良かったニャン?』

『あっちは僻地だ。こっちは想像以上に警備が厚い。あっちはただ待っていれば剣が転がり込む。それを盗むだけだから小物モンスターで十分だ。問題はやっぱりこっちだよ。違う悪党が盗むかもしれないしな』

『うー、にゃ…』


 銀色猫の碧眼が半分隠れている。

 彼女の目は今盗めばいいじゃん、と言っている。

 だけど、この事件は勇者とレプトンを出会わせる為でもある。

 女神のチートを奪い、優しい男レプトンを勇者と結びつける。

 あの勇者の性格を変えなければ、魔王を名乗った意味がない。


『複雑な事情があるんだ。魔族の未来の為の、な』

『にゃるほど。ウチには見えない何かなのにゃ』


 モーラが居たら、もっと突っ込まれそうだけど、彼女は純粋だから助かる。

 そして勇者様も純粋なのか、ちゃんと金貨袋と剣を合わせて置いている。


「傘のせいで勇者の表情が見えないのが痛いな」

「ほんとよね。折角勇者様の御尊顔を見に来たのに」


 隣の知らないおばさんも勇者の顔を見たがっている。

 オズは柵の外、しかもかなり後ろに最初から立っていたが、いつの間にか二人の後ろにも人がいる。

 ドメルの街の住民まで野次馬でやって来たらしい。

 

「私、すれ違ったのよ。すっごくキレいな顔で、すっごく真っ直ぐな瞳だったの」

「旅立ちの日にとんでもない魔物を倒したって言うじゃないか」

「これで安心して暮らせるわね」

「ママ、ゆうちゃたま、どれー」


 暮らしに余裕のない者、親子連れ、赤子連れ。

 中身が違うだけで、ここまで変わってしまうのか、と思ってしまう。

 女神はどんな奴を転生させたのか。それともアレがそもそもの勇者なのか。


 父親も勇敢だし、俺が足を引っ張ってたって可能性もあるのか。同じ遺伝子、同じ体で、こうまで違いを見せつけられると、やっぱりショック…だな。って‼


「ちょっとゴメンよぉ」

「な、なんにゃ‼ウチたちを…」

『ミーア、よせ‼』


 懐かしい声が聞こえた。

 傘をさしていないから、全身がびしょ濡れ。だけど帽子からはみ出た茶色い髪が彼だと確信させる。

 おい!割り込むな!ルールを守れ!勇者様の前だぞ!と文句を言った頃には、既に次の列にいる。

 素早い動き、柔軟な体、流石はレプトン。

 驚くほどの身のこなしで、あっという間に兵士の前に到着。

 

 あの時は晴れていたし、客も少なかった。兵隊も今みたいに勇者を気にしてよそ見をすることもなかっただろうな。やっぱり冒険をするんだから、盗賊職は必要なんだ。


 罠の解除、隠密行動。

 彼も女神の恩恵を受けるから、どれだけ頑張っても追いつけなかった。

 今は流石に女神ではなく魔王の恩寵を受けて、グリーンスライムもパワーアップ、彼の動きを見ることが出来るけれど。


『へぇ。やるにゃん』

『あぁ』


 生身の人間なら、消えたことも気付かない。…流石だ。恩寵無しにアンデッドから子供たちを守っていただけはある。


『もう、あんなとこに居るにゃん。猫みたいなやつにゃ』


 いつの間にか外套を羽織っていて、木の上に登っている。

 あの時もあそこで一度後ろを振り返ったのだろう。

 そして、しばらくした後。


「おい‼お前、ここにあった荷物はどこへやった?」

「え?自分は今ここに来たばかりで…」


 あの時と同じ、怒鳴り声した。

 そして兵士が慌てた様子で勇者の所に駆けつける。


「ゆ…、勇者様、マリア様。…大変…申し訳…ありません。私たちはとんでもないことを…して…しまいました…」


 雨の中でますます高まるスライムの力のお陰か、遠くの声が聞き取れる。


「え…。私たちの荷物…。私のは良いですが勇者様にお渡しした剣は…。そんな…どうして…」

「ゆ、勇者様‼私、見ました‼あっちに怪しい男が‼」

「おい。兵士さん、俺も見たぞ。茶色い髪で帽子を被ってた‼」


 流石に今回は目撃者がいるから、勇者の報告は必要なかったらしい。


「レプトンの仕業に決まっている。よりにもよって勇者様の荷物に手を出すなんて…、あのバカが…。至急、手配を致します」

「駄目だ。流石にあの剣は俺達が探す。いいな、マリア」

「は、はい。勿論です‼」


 今回ばかりは魔物絡みとか、女神の恩寵とか言っていられない。

 アレ自体が女神の恩寵を越えるチート武器だ。

 必死で探した先で、子供たちを守る勇者と出会う。


 彼の心根に触れて、もっと慈愛の心を…


 だが。


 ここで。


「皆さん。落ち着いて聞いてください。今すぐ避難を。絶対にその男を追わないでください」


 オズの心が停まる。心臓がない代わりに。


「我々の邪魔をする姑息な魔王です。その男は魔王の手先に違いありません。人間が魔族と組む。それがどれだけ愚かな事か、俺の手で思い知らせてやります。」


 環境が変われば、勇者は変わる。世界も変わる。

 勇者の一言で、全てが変わる。


「そうです‼私たちを足止めする為だけに、皆さんの大切な道を破壊した卑劣な魔王です‼そんな小物に手を貸すなんて、絶対に許せません‼」


 何を言って…、いや大丈夫だ。レプトンは子供たちを保護する為に盗んだだけだ。


 そう思っている間にも、勇者は兵士から剣を借りてマリアと共に動き出す。

 彼らは群衆が指差した方向に飛ぶように走っていく。


「皆さん‼ここから先は立ち入り禁止です‼魔王が現れました‼非常に危険です‼」


 そして、その群衆が壁になってしまう。

 しかも。


『はにゃ?追いかけちゃったにゃ。どうするにゃ?』

『追うぞ。ミーア、魔物と気付かれるなよ』


 魔王の名を出されたから、ミーアの力に頼れなかった。

 ここに魔物がいると分かると、レプトンが本当に悪の手先にされてしまうかもしれない。


 モーラと合流していれば、別の手が使えたかもしれないのに。


 だけど、今は勇者たちを信じるしかなかった。


 アークデーモンを倒した女神の恩寵は、思っていたよりも大きかったらしい。

 人間の速度では追えず、人が見えなくなった辺りで彼女の力を借りた。


『お、お、お、こ、これがモーラっちが味わってる感覚‼』

『気持ち悪くて申し訳ない』

『いえ‼思ってたより気持ちいいです‼もっと早く味わっておきたかったっす。でも、なんでアイツら場所が分かるんすかねぇ』


 纏わりついているスライムがビクッと跳ねる。


『分からない。いや、分かる筈がない。女神の剣に新たな力でもなければ…』

『新たな?』

『なんでもない。目立たないように、…それでも急いでくれ』


 ここに女神の剣があること自体が、前の世界では在り得ないことだ。

 更に力が加わった可能性がある。

 その可能性を完全に忘れていた。

 アシュリーを失って、やっと手に入れた剣だから、自分が知っている剣だと勝手に思い込んでいた。 


 だけど、この速度なら——


「成程。これが女神の恩寵…なのですね。私が説明をしたんですけど…」

「そういうことなんだ。俺と一緒に行動すれば、俺と同じだけ女神が恩寵を与えてくれる。神に近づける力だ。勇者とはそういうものなんだ。」


【聖なる光】


「凄いです。私の力もこんなに。アンデッドもあっという間です」

「それにしても、小物モンスターが多いな。やはり、これは…」


 清らかな光が辺りを包み、アンデッドたちの魂があっという間に解放される。


「盗賊が魔王と繋がっていた…、ということですか?」

「ウラヌ王国はそこまでではないが、他国は魔物が人間と共に暮らしているらしい。特にイーストプロアリス大陸に至っては、それが当たり前と思っている連中まで居る」

「本当ですか?それは…由々しき事態です」


 そして、その時。


 カサッ…


【聖なる光】

 

 即座に浄化の光を放つマリアだが、その人影にはアンデッド用の魔法は効かない。


「子供…だな」

「はい。どうして、ここに子供が?追い掛けましょう‼」


 マリアは勇者の知識量に憧れさえ抱いていた。

 大聖堂の書庫番と話をしているようだった。

 その陶酔が、彼女を罠に嵌める。


「いっ‼」


 グサグサと地面に音がして、矢じりが何本も角を出した。

 ここで後ろから男の声。


「そこまでだ。これ以上行くとアブねぇぞ…」


 二人が振り返ると、茶色い髪の青年が短剣を構えていて…

 勇者がマリアを守る盾となり…


「アルバート様‼やはり悪漢です」

「勇者ぁ?てめぇが勇者かよ。随分偉そうだなぁ。それに人気も高くて…」


 ダン‼


『嘘…だろ…』


 オズとミーアはちゃんと追いついていた。

 そして、ここまでの流れでも問題ないと、

 ここで話し合いになるとおもっていた。


 だけど、この勇者はどこまでも…


「アル…バート…様?この者が…盗人なの…です…か?」


 彼は何の躊躇いもなく、レプトンを殺した。

 魔物と繋がっているのか?あの子供はなんだ?剣を盗んだのはお前か?魔王はどこだ?でもいい


 いくらでも言葉が見つかるのに、レプトンが短剣を構えただけで首を飛ばした。


 そして。


「残念ながら人間か。塗料が奥に続いている。行くぞ。魔王は姑息な奴だから、あの剣を盗むと思っていた。」

「確かに…、あの男の足には…、その塗料がついています…けど」

「金貨袋の穴に気付かない、間抜けは盗人だな。雨は誤算だったがうまく行ったようだ」


 勇者アルバートは表情一つ変えずにそう言った。


 マリアは人が殺される瞬間を初めて見たのか、動揺を隠しきれていない。

 ここで更に動揺…


「子供…が…こんなに…」


 怯えた子供たちが発見される。


『オズ‼どうする?女神の剣が見つかっちゃう‼』

『駄目だ‼探知できる能力があるのかもしれない…。クソ…クソ…、レプトンが…レプトンが…、俺の…せい…で……死ん……だ……』


 巻き戻した世界、今度こそ誰も死なせないと誓ったのに…


 勇者の性格を見誤ってしまった。


 こいつは人間にも容赦をしない…のか


『オズ、どうしたの?』

『モーラっち。今は止めとくにゃ。魔王様、本当に苦しそう…』


 父親の時とは違った。

 レプトンには三年間、一緒に冒険をした思い出がある。

 兄のような、弟のような存在だった。

 そして、アシュリーへの想いを相談した唯一の人物でもあった。

 親友だった。


 だけどそれは失われた世界での物語だ。


「マリア、落ち着け。女神の剣は無事取り戻した」

「でも…、この人。子供たちを…」

「だから…、落ち着いて聞いてくれ。この剣は女神から賜ったものだ。それを盗んだ場合、ダイアナではどういう法が適用される?」

「そ、それは…死罪…しか…考えられません…」


 泣き叫ぶ子供たちの声で、マリアは膝から崩れ落ちた。

 教会で作った剣なら、もしかしたら恩情はあるかもしれない。

 だけど、女神から賜った剣を盗んでしまったら問答無用で死罪。


「見失っていたら世界は滅んでいた。魔王とそいつは通じていて剣を奪わせた。…だから、人間と魔物が組むなんてことは…、あってはならないんだ。これで分かっただろう?」


 オズは心神喪失状態で液状化していた。

 結局、自分の価値観で勇者を測ってしまったのだ。


 レプトンは子供を守っていた、誇らしき勇者。


 だけど、この勇者には彼がただの盗人にしか見えなかっただけ。


「はい…。子供たちには…、大聖堂で…責任を持って教育させます…」

「あぁ。そうしてくれ。軍兵、僧兵、ここを頼む‼この男は魔王と通じていた。子供たちもいつか利用しようと思っていたのだろう」


 アークとマリアの時は誰一人ついてこなかった。

 けれど、アルバートの場合は違っていた。

 遅れてきた彼らには、歴史上で最も優秀な勇者が、自分たちが盗まれた神の剣を取り戻してくれた英雄に見えた。


 そして。


「モルリア諸侯連合に問い合わせてくれ。ツェペル・マラドーナの身辺を洗え、とな。俺は最初からアイツを疑っていた。この金貨がその証明になるだろう」


 この世界の勇者が女神の剣を天に掲げる。


「姑息な魔王よ‼どこかで見ているのだろう‼俺は絶対にお前を滅ぼしてみせる‼首を洗って待っていろ‼」


 どこまでも相容れない存在。

 それを嫌でも理解させられる。

 目がないから涙も流せない。その代わり体液が沸騰する。


『コイツ…、ぶっ殺してやる…』

『ミーア‼今すぐ離れなさい‼』

『魔王様、怒ってる…にゃ…』

『駄目よ。その場所はアリスの結界が張られている‼忘れたの⁉』


 勇者になれないと知った、モーラに助けられた時と同じ。


 次はミーアにつれられて離脱する。


 あんな勇者になりたくないと、胸に刻みつけながら。

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