第14話 女神の恩寵

 魔王を名乗らなければ、ここでただのスライムに成り下がる。

 例え勇者になれなくとも、彼女が救えるならと思っていた。

 でも、今の勇者では彼女を救えない。


「はぁ?今更何言ってんのよ。もしかしてウチ、軽い女だと思われてる?」

「違う。本気でお前にもバレてはいけないと思ったんだ。だってそうだろ。魔王が最弱のスライムになったと知られたらどうなる?ベルゼルスギルス辺りが魔王の座を奪う為に、今の俺を滅しにくるだろうな」


 だから全力で嘘を吐く。

 この世界の勇者だった男が、滅したはずの魔王だと名乗る。


「ベルゼルス…何?何を言っているのよ。意味分かんないんだけど」

「あぁ、そうか。これは悪いことをした。極夜地区幹部の名は流石に分からないか。だったらプロエリス大陸南部の幹部インペルゼステなら分かるか?四天王プリンセスフローラならどうだ?」

「分かんない分かんない‼全然分かんない‼ってプロ…エリス大陸…って」


 出した名前に嘘はない。全て己が屠った魔王の幹部たちだ。

 今、彼らがどうしているのか、流石にそれは知らない。

 だから万が一出くわさないように東の大陸、イーストプロアリス大陸、魔物たちで言うプロエリス大陸で出会った幹部の名を言った。


「だったらライデンだ。現状はプロアリス大陸西部の将軍。あくまで現状は将軍だが、実力は大したものじゃない。奴だってそれくらい気付いているだろ。加えて、アイツはお前のことを好いている。お前の為に魔王になるかもしれない。お前にとっても好都合だろう?だから…」

「にゃにゃにゃ‼そんなことはないにゃ‼ウチは魔王様を裏切らないにゃ‼」


 あちこち矛盾があったのは理解している。

 だけど今欺く必要があるのは、目の前の猫女ただ一人だった。

 いつも上空で周りを眺めているモーラであれば、とっくに看破していただろう。


「ライデンが魔王様になってその権力でウチを……。にゃにゃにゃ‼それだけは絶対にダメにゃ‼」


 彼女には悪いと思っている。

 あまりにも魔王軍を知らなかったから、東の魔物を並べて混乱させた。


「これでミーアにバレてはいけない理由が分かったか?俺は魔王の意志を持つグリーンスライム、それでいいな?」

「はいにゃ‼絶対にバレないようにするにゃ‼」


 いつかバレてしまう嘘だ。けれど、今を凌げればそれで充分だ。

 ここでやるべきことはちゃんとあるんだから。


「次の手をモーラに伝えに行く。っていうか、ミーアが指令を出せるんだっけ?」

「あれ?次の手はないって言ってませんでしたか、陛…」

「ちょっと‼喋り方が変わってる。さっきの話の意味、ちゃんと理解してる?」

「あ、そか。バレちゃいけないんだった。はいニャ‼分かったニャ。でも、次の手はないってちゃんと言ってたにゃ」

「あれも嘘だよ。俺が考えていないわけないだろ」


 今、方針が決まったからだ。

 幼い時から剣技を磨き、座学も真面目に頑張り、人を動かす力もあって、魔物に対する容赦がない。

 普通に行けば、確かにあの勇者ならオズの再現が出来るかもしれない。

 だけど、その先にアシュリーの笑顔がないなら、協力するわけにはいかない。


「おお。やっぱりオズは凄いっす。ウチは馬鹿だから策略家に憧れるっす‼強いのも好きだけど、やっぱり頭が良い権力者が好きっす‼」

「ちょいちょい危険なワードが含まれているけど、まぁいいか。ミーア、魔物たちに指令を」

「はいニャ‼」

「今から勇者に近づくな」

「はい……にゃ?」

「理由は後から説明するから、今すぐに勇者を襲うのを我慢させろ。そういう作戦だとちゃんと伝えろよ」


     ◇


 勇者アルバートはソルト山地を切り開いた道を歩く。

 そこでは本当に丁度良く魔物が現れる。

 何せ、一匹いたら二十匹の大ウサギと一匹いたら三十匹の大ネズミと、一匹いたら百匹いるグリーンスライムの住処だ。


「どういうこと?魔物がいないから、談笑しながら歩いているわよ」

「談笑だと…?それは聞き捨てならない。っていうか、アイツら本当に初対面か?いや、やっぱりどこかで会っている筈だ。それとも中身が違えば、俺もアレくらい出来たってことか⁉俺は三年かけて、やっとボディタッチが出来たって言うのに?」


 ミーアが可愛い系なら、モーラは奇麗系。麗しい鳥の彼女は半眼で緑色の物体を睨みつける。

 とは言え、あれだけ嫌がる素振りを見せても、粘液を体に纏わりつかせてくれる優しさは持っている。


「ミーアがついていながら、どういうこと」

「ふっふっふ。それは言えないニャ。まお……。ま…お。…ま、オズの命令なんでウチも知らないんだけど」


 ソルトの大地の高台に、ハーピーと二股しっぽ猫が立っていて、眼下には勇者とシスターが楽しそうに歩いている。

 緑色粘液は、眼下のカップルを睨みつけ、そして失言した猫もしっかりと睨みつけた。


「って言うか、モーラなら気付くと思ってたけど。あそこは長い年月かけて整備された道なんだ」


 そして粘液は再び仲睦まじいカップルを睨みつけた。

 勇者からのボディタッチの度に、シスターの代わりに体をビクッと跳ねさせている。


 っていうか、マリアも嫌がれよ。


 などと言う、黒角グリーンスライム。


「ミーア、説明して。小物モンスターが何処にもいないんだけど?」

「それはかけっこさせてるからニャ‼ね、まぉぁぁぁぁああああ」


 やはりミーアには辛いお仕事だったらしい。

 彼女は飛びぬけて強いミアキャットだが、彼女の言葉通り若い。

 モーラと再会してから、ずっとこの調子なのだ。

 自分だけが知っているという優越感と、喋りたい衝動が彼女の中で戦い続けていて、喋りたい側の軍勢が圧倒的に優勢。


 流石に面倒くさい。だから…


「モーラは俺が魔王って気付いてた?」

「え、え、ええええええ‼なんで言っちゃうんすか?ウチと魔王様だけの秘密じゃないですかぁぁぁ」


 先に白状した。嘘だけど。


「いや。そもそもお前が隠しきれてないから…」

「はぁ…、確かに。ミーアが魔王様と何度も言おうとしたので。ですけど、その…、意思だけじゃなくて、ですか?」


 ミーアはがっくりと肩を落としたが、これで彼女も楽になることだろう。


「意思だけって考えてもいいし、本体って思ってくれてもいい。実際、同じことだろ」

「確かに…。それにしても漸く打ち明けてくれたのね。何度も催促したつもりだけど?」

「あ、ミーアには言ったけど…」

「秘密なのでしょう?私たち魔族全員を合わせてもまだ足りない力を持つ魔王様の復活は、とても時間が掛かる。だから自らの体液でどこでも出現できるスライムを依り代とした。黙っていたのは私たちの混乱を防ぐため。魔王様がグリーンスライムじゃ、士気の低下が危ぶまれるし、離反する者も現れてしまう」


 モーラが分かりやすく纏めてくれたが、全てが不正解だ。

 中身が魔王を殺した勇者で、世界の時間が巻き戻って、勇者がスライムになった、なんて現実の方がどうかしている。

 神が介在していることに発想が及ばなければ、彼女の考え方が一番納得できる。


「そういうこと。流石に初めは無茶しすぎたけど」

「本当よ。何度も死にかけたじゃない。それでベルゼルスギルスには話しているんでしょうね」

「それがまだなんだ。目覚めた場所から勇者の臭いを感じた。そっちで手一杯だったんだよ。流石にこの体だとプロエリス大陸には戻れないしな」

「成程。それで私たちもどうにか纏まっているのね」


 こうなると言ったもの勝ちの世界だ。

 歴史の改変だって、元の世界と比べられる存在がいなければ、無かったも同然。


「ウチ喋らないもんー‼ウチ、口かたい方だもん。ミアキャットの中だと‼」

「分かったから。すねてないで作戦を教えなさい。追いかけっこって何?」


 眼下には一匹のスライムが勇者たちに戦いを挑んでいる。

 実は定期的にグリーンスライムが出現しているが、モーラ目線では魔物が全然いないように映っている。


「獣系のモンスターをあっちに走らせたの。あの勇者はスライムに固執してるから、どうにかなるってオズが…」

「そうなんだ。他の地域で勇者が誕生したら使えないけど、ここならこれしかないって作戦がある。あの勇者はオズのペースで進んでいる。だからこっちのオズのペースに合わせてもらおうってことだよ」


 それがアレ?と言わんばかりで瞳を流すモーラ。

 その直後。


 ドン‼


 周辺のすべての鳥が飛び立つ程の轟音と振動、そして噴煙が舞い上がった。

 

「今のは何?もしかして…」


     ◇


『──タイミングをミスったのか?』


 アルバートは困惑していた。

 そして隣に立つマリアも同じ。


『私たちを生き埋めにしようという作戦。その為にグリーンスライムを囮に使っていた…?』

『在り得るな。だからスライムしか現れなかったのか。その中に魔王が混ざっている可能性がある以上、倒さないわけにはいかない。それを利用して…か?』

『ど、どういうことでしょう…。件の喋るグリーンスライムが関係しているのでしょうか』


 アルバートの境遇はマリアの耳にも届いている。

 そして彼と自分が生まれる前に、何度も目撃された人型の喋るスライムのことも。


『さぁ…。本当にそんなスライムがいるのかな。本当なら見てみたいんだけど』

『い、一応記録にも残されていました。ドメルラッフ公の軍隊も目撃していると』

『うーん。しかも魔王って…。流石にそれはないと思うけど』


 マリアはアルバートの共にあることに、実は少しだけ疑念を抱いていた。

 それは彼にではなく、自らに。

 本当に自分で良かったのかと、彼の共に相応しいのは間違いなく教皇。少なくとも枢機卿レベルだと思っている。


『そうです…よね。アルバート様は座学がお好きなようですし』

『マリアも、だろ?聖都ダイアナで女神の声が聴けるのはお前だけだ』

『え…、そ、そうですよね。私なんかが聴けてしまって…、色んな方にご迷惑を』

『そんなことない。俺と一緒に居れば君は…』

『あ、あの。そろそろ行きません?魔王の狙いがまだ…』

『そうだな。女神の恩寵をもっと貰わないとな。誰も死なせない為に…』


 その言葉にマリアの青い髪が跳ねる。

 彼はとあるスライムの動向によって、いち早く勇者と見做されて、勇者になる為の特訓をしてきた。

 勇者の中の勇者。教会では歴史上で最も優れた勇者ではないかと言われている。


『はい。誰も悲しまない世界の為に…』



 アルバートが前を行き、マリアがその後ろに着く。

 その様子を上から眺める、上級の魔物が二人。

 ヒーローものでよく見かける構図。


「成程。アレが勇者。ミーア、近くで見た印象はどうだった?」

「魔物に対して慈悲の欠片もない完璧超人って感じっす」

「オズは?」

「右に同じ。こんなに準備万端で来られると先ずは退くしかない」


 魔王がそう言う。

 だが、魔王から普通に接しろと言われている。


「そんなものなのか?」

「そんなものなんだ。今の会話を聞いたろ?」

「ん?何かおかしかったにゃ?」

「お前の語尾も色々おかしいけど、シスター・マリアと勇者アルバートの立ち位置が違う」

「立ち位置?それが重要なのか?意味が…分からないが」


 これは勇者を経験した者、過去の勇者を知る者しか分からないこと。

 モーラも流石に二千年も生きてはいないらしい。


「ウチも分かんない」

「あの勇者の強さは、ミーアとは真逆の意味だからな」

「ウチと真逆ってどういう意味ぃ?強さは強さじゃんー」


 既にオズが魔王という設定を忘れていそうなミーア。

 モーラは彼女を半眼で睨んでスライムに問いかけた。


「あの言葉のこと?彼奴らが言っていた女神の恩寵とは一体…」

「女神の恩寵は言ってみればボーナスポイントだ。それが溜まると勇者の力が増す」

「ボーナスポイント?つまり女神アリスから力を授かる…」

「聖都ダイアナで研究されている勇者と女神の関係ってさ。二千年に一度しか訪れないから意外と資料がないんだ。それに二千年で世界の形は大きく変わるから、その全てが記録されているわけでもない」

「ん-。つまりどういうことにゃ?あの金髪勇者のどこが強いのにゃ?さっきから見てるけど、そんなに強そうに見えないにゃ」


 そう。見た目上はまだ強くない。

 勇者が魔王を倒す、この簡単な構図が二千年もあると疑わしいものに変わってしまう。

 だけど、恐らくオズ自身のせいで。


「ウェストプロアリス大陸のすべての国が協力体制になって、あの勇者に座学を仕込んだらしい。それが強さだ」

「座学?つまり勉強をしたってことニャ?だったらウチの方が強いニャ‼」

「ちょっと待ちなさい。魔王様の話よ。最後まで聞くの」


 ついにモーラさえ魔王様と言ってしまう。

 これが知識という魔力なのだ。

 そして、あの勇者はチートを授かっている。


「余りにもリスクが高すぎる。アークデーモンが油断して倒されたのを忘れた?あの時の勇者は人間にしては強い程度だった。それでも倒せたのは光剣アリスの力だ。そして、強い悪魔を倒した恩寵が手に入った。」

「つまりミーアが倒されたら、更に厄介になるということね。そしてあの剣ならそれも可能。ほんと、ズルいわね。私たちは魔王様の覚醒を待たないといけないのにね。それであの罠…」


 そう。それであの罠。


『え…。こんなことって。でも、敵の思惑が外れて良かったですね。』


 崩れた瓦礫、岩山を見て、マリアは驚嘆と少しの安心を得た。

 これが頭上から降ってきたとしたら、只では済まない。

 魔物が罠を仕掛けたのは間違いない。

 だが、どうやら大幅にタイミングを外したらしい。

 そして勇者に向けて、良かったと告げた。


 しかし、振り返ると勇者は頭を抱えていた。


『マジかよ。まんまと罠に嵌っちまった…』

『え?私たちは罠に嵌っていませんけど…』

『マリア、これは明らかに罠だよ。だって、グリーンスライムは弱いが、死ににくい。そして恩寵が低い。だからグリーンスライムなんて無視して進めばよかった…』


 彼らの移動に合わせて、モーラとミーアがそれぞれ移動している。

 その移動速度からも、まだまだ勇者たちの力は弱いことに気付ける。


「大ネズミと大ウサギを死なせない。それ自体が目的じゃなくて、こういうことだったのね」

「勿論、死なせないことも目的の一つだよ。それにグリーンスライムは放っておけないって言った以上は放っておけない。」

「うん。みんなの前で言ってたっすよね」

「そのスライムが作ってくれた時間で、げっ歯類に壁を壊させる。まぁ、スライムには悪いけど、あんまり意思疎通できたことないし…。ちょっと依怙贔屓も入っている作戦だけど」


 二人の立場の違いで、罠に嵌った勇者。

 勇者は魔物に対しては武力を行使できる。

 だが、人間に対しては成果やイメージしか使えない。


『でも、グリーンスライムは恐ろしいもの。斃さねばならぬものです』

『分かってる。だけど今回はスライムを無視して、恩寵が簡単に手に入るげっ歯類モンスターを斃しておけば良かったんだ。大ネズミ、大ウサギ。げっ歯類モンスターがいないと思ったら、岩壁の破壊活動をしてたのかよ。なんて卑怯な真似を…』

『はい。この道はミネア村の人たちの為の道。王国の貴族も教会の関係者もミネア村に取り残されています。これをこのままには…』


 勇者は人々の為に動かねばならない。

 そして、少なくともこの世界の魔王にそんな縛りはない。

 オズは気にしていたが、部下に死ねと命じるのも魔王だ。


「上手くいったニャン。これで恩寵も稼がせずに立ち往生に追いやったニャン」


 だけど、そう簡単なものじゃない。


「これは、ただの時間稼ぎだよ。さっきのアークデーモンの恩寵分とチャラ程度のな」


 オズが目指す、勇者の魔物嫌いを加速させる。

 これは即興で考えた、苦肉の手段でしかなかった。

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