第9話 ドメルラッフ平原の戦い

 オズがライデン将軍を見た時に感じたのは。


 こんなに弱そうだっけ?


 最初は相対的なものだと思っていた。だって、グリーンスライムは大量生産型の雑魚モンスターだ。

 でも、違っていた。配置に着く前まで眺めていたが、やっぱり弱い。


「っていうより、みんながそうだ。もっと強い筈なのに」

「それはそうにゃ。魔王様は起きたばかりにゃ。ウチたちの力も言ってみたら起きたばかりにゃよ」

「そういえば、そんなこと言ってたっけ。俺達は魔王様から生まれるってそういうことだったのか。」

「っていうか、これは何にゃ。確かに汚れにゃいけど」


 人間の都合で動いたのは、畑の状態を見れば分かる。

 当然収穫後で、農民も多くが参加している。


「ゴムボールは慣れた。何かにへばりつくのにも慣れた。だから、しっかり捕まってろよ」


 缶がいけるなら、バケツ缶もいける。反対にしてバケツ缶を被って、その上にミーアに乗って貰う。

 小物モンスターなら吹き飛ばされてしまうが、身のこなしの軽いミアキャットのミーアならどうにかしてくれる筈。


「ちょっと、待つにゃ‼ブーツ半島モンスターが置いてけぼりにゃ‼」


 それは出来ない。混戦になる前に、あの男と対峙するべきだ。


「悪いけど、止まれない。ゴムボールは山の斜面で転がり続けるだろぉぉ」

「それはそうにゃけどぉぉ‼こんなの聞いてないにゃ‼」


 因みにミアキャットもこんなところにいる魔物ではない。

 モルリア諸侯連合領では、普通に会話も出来る魔物。

 とは言え、イーストプロアリス大陸に行けば、野良ミアキャットがウロウロしていて、彼女よりもずっと気性が荒い。


 ま、あの時はそう感じただけかもしれないけど。


「って、嘘にゃ。モーラ氏が言ってたにゃ。絶対に突っ込むからって、ね?」

「チッ。この行動も予想済みか。道理で話が簡単に進むわけだ。」


 周りから見れば、バケツがヘルメットにも見える。

 その上でミーアがはしゃいでいる。その速度は加速度的に速くなって、あっという間にその時が訪れる。


 と、その前に突然頭上が軽くなった。


「じゃあ、ウチはちょっと離れた場所で見てるにゃ」

「え?いやいや、駄目だって。俺は一発で叩き潰されるぞ」


 飛びのいた先、ミーアは猫の姿になってこう言った。


「ウチの成果って思われたくないしねー。ほら、ライデン様もこっちを見てるにゃ。噂の勇敢な最弱モンスターに興味津々にゃ」


    ◇


 初めて意識して見たのは、前世での後姿。

 その後も何度かは見ているだろう。けれど真正面から、これが父だと認識したのはこの体になってからだ。

 一度目はまだソレが父とは認識していなかった。

 赤毛の誰かがオズを潰しにかかってきた。

 だけど、スライムへの認識が甘かったのか、その時は一部を残してしまった。


「ほう…」


 二度目は城門、元勇者は半透明の体で助けを求めた。

 そして、ギークとリリーの名を聞いて飛び出してきた。

 その時も顔はあまり見れなかったけど、一度目よりも恐怖を感じたのは間違いない。

 前回とは異なり、徹底的にゲルを破壊した。しっかり燃やした。

 だが流石に、自分が来るより前に石つきの矢で飛び散った飛沫までは追いきれなかった。


『やはり…、現れるか…』


 三度目はミネア村教会の入り口。

 更に逞しくなった顔つきの男。出産間近の妻を守る姿は勇者のソレに近い迫力だった。

 二度目と時間が空いた為か、彼は村に駐屯した兵士の誰よりも強く感じた。


『似たようなスライムは全て駆逐してきた。だが…』


 だが、真に脅威なのはあの男が持つ両手剣だ。

 モーラはあの場所で殺されてはいけないと言ったが、それ以前に体が焼けるように痛かった。

 あの男の攻撃で初めて痛みを感じたのだ。


『どいつもお前とは違った。そしてお前だと何故か分かる…』

『そりゃ、どうも。見抜いてくれて嬉しさすら感じるよ』


 小春日和の空の下、人間に有利な太陽の下だから、一目見ただけで分かる。

 チートを使ったという女神アリスは、どうしても魔物を駆逐したいらしい。

 だから無理やり連れ去ったモーラに感謝しなければならない。


『……その聖剣はチートだろ』


 本来なら、イーストプロアリス大陸中央、エルフの女王カリナが支配する不帰の森に鎮座されている筈の伝説の聖剣・光剣アリス。

 魔を滅する聖剣が何故かここにある。

 あの時は気付かなかった。

 引きちぎってくれなければ、アリスの威光が全身を巡って、間違いなく滅ぼされていた。


『恩寵だよ。教皇自らがそう仰った。勇者が降臨するんだ。当然のことじゃないか』

『聖都ダイアナに光剣があった…だと?』

『ほう。そこまで知っているのか。やはり貴様…』


 当然のことじゃない。光剣アリスの記録は大聖堂には記されていなかった。つまり人類の歴史上、初めて俺が手にしたんだ。苦労して、苦労して、苦労して。女王カリナの願い事を五つ叶えて、漸く見つけたエルフの至宝だ。


『座ることがお仕事のゼットに見つけられて堪るかよ‼』


 確かに大聖堂は女神アリスの巫女がいる。

 巫女は女神アリスから神託を授かれる存在だ。

 だから勇者アークの冒険は、神託を授かった巫女、シスター・マリアがミネア村を訪れたことで始まる。

 だけど、シスター・マリアは勇者アークと同い年だ。

 エルフの森に剣を取りに行く行動力はないし、マリアは幼いながらアリスの声を聞けた人物。

 その彼女を信じて、教皇ゼットはミネア村に使者を送った。

 その話も、マリアがミネア村を訪ねた時に聞くことが出来る。


『貴様ぁぁぁ‼何故、そこまで知っている。やはり貴様が魔王の目という教会の考えに偽りはないってことだな』


 ならば教皇は使者に海を渡らせて、エルフの女王にも同じことを伝えたのか。

 そんなことは在り得ない。エルフは人間のことを嫌っている。

 それにだって、だってだってだってだってだってだってだってだって…


『俺が魔王?何を馬鹿なことを言っている…。俺はただ、お前にミネア村に帰って欲しいだけ…』


 絶対にありえないんだよ。その剣は俺の…


 ガン‼


『スライム風情が偉そうに口をきいてんじゃねぇよ‼』


 ガン‼ガン‼


『俺達がいつまでも魔王の復活を待つと思ってんのか‼』


 ガン‼ガン‼ガン‼


『一番弱いグリーンスライムに化けやがって‼』


 金属製のバケツごと、横ハンマーたちは何度も大槌を振り下ろした。

 軍隊の陣形の、人間側で言う右翼を任されたミネアの男たち。

 鶴翼の陣が簡略化された【くの字】の配列。前衛を張るなら横やり、長槍の方が良さそうなのに、わざわざ短射程のハンマーを選ぶ男たち。

 まるで、このスライムの為に敢えて選んだように思える。


「ハンマーしか扱えなかった…?いや、俺が本当に魔王で、勇者の家族を狙うと決めつけての行動か」


 原形が分からぬほどに潰された金属製バケツの亀裂から、緑色のゲルが漏れ出てくる。

 そして、それがある人物を象る。

 オズは無意識に人の形になっていた。

 魂の記憶と呼ぶべきか、それとも目の前の男に向けた無意識のメッセージか。


『帰れ‼お前の子に過酷な人生を歩ませるな。早く帰って安心させてやれ。その顔を息子・・に見せてやれ…』


 相変わらず緑色の半透明体だが、シルエットは紛れもなくアークのそのもの。

 無意識に成ったものだから、あの子を失った時のもの。

 だが、それが父親に伝わる筈もなく。


『成程。魔王とはそのような姿だったのか。生まれて間もない稚児を狙う卑劣な外道が。いや、生まれる前に妻を狙っていたか』

『だから、俺は…』

「…いや、そうか。俺が執拗に村に行ったから。時間の流れの強制力じゃない。俺の行動こそが、同じ方向に歩ませるきっかけになっていた。だって、仕方ないじゃないか。最初はこんな体になってたって気付かなかったし、助けを求めるなんて普通じゃないか。それに俺はアリスに選ばれて勇者になったんだ。勇者が降りたつと知っていたから、俺は…」

『何をごちゃごちゃ言っている。直ぐに隠された子、何故男児だと知っている?それこそが魔王の証明。人智を越える悪魔の所業…』


 それも在り得ない。魔王の封印が解けた直後、勇者は降臨する。

 確かに魔王の方が先に目覚める。

 だとしても、魔王の体が万全になるのにはかなりの時間を要する。

 その証拠に、魔物たちは記憶の中のソレよりも弱い。


 そして何より…。


『勇者が誕生する数年前に魔王が姿を見せるなんてあり得ない。だから俺は魔王じゃない。そ、それに…、あの時お前が言ってたじゃないか。息子の名をアークにしようと思っていたって』

『ぬ…、確かに』

『だ、だよな…。はぁ、良かった。マジで焦ったよ。考えたら分かることだし』


 順番が違うのは、教皇なら知っている筈だ。

 村長ババロだって知っていた…と思う。

 そして、ここでギークは徐に剣を鞘に納めた。

 少しだけ空気が弛緩した気もする。


『ま、それもそうだな。とにかくだ。お前のせいで名前を考え直さないとならなくなった。色々考えたんだぞ。ギルガメット?フレデリク?それとも…』


 そんな話もあった。アークとは付けられないと彼は言った。

 いや、この世界が巻き戻る前は父だった男が言った。

 時間軸は巻き戻ったから同じだとして、種族は違う。

 それでも、彼が父なのだとオズは心の中で密かに喜んだ。


『ちょっと、待てよ。それじゃ名前被りするだろ?まだ子供だけど、将来は立派な…』

『王子と姫になる……か?あの王が我が子を旅に…?』

『そうだよ。あの時は大変だったんだから…、…って?』


 ほっと一息を吐いた時、赤毛の男は腰を低く構えていた。


 ダン‼


 赤毛が残像となって残る程の瞬歩、ギークは大地を蹴って人型スライムの横を通り過ぎていた。


『厳戒態勢の王都の情報さえ筒抜けとはな。剣聖ブレン様に教わった技でさえも…』


 鞘に納めたのは抜刀術を使う為。

 オズが勇者時代に同じ技を覚えていたから、師匠に教えて貰った技だから、一瞬で見抜けた。

 しかもスライムの体だ。

 神の剣でも当たらなければ、どうということはない。

 もしくは一度斬られたことで、体が無意識に反応したのか、太刀が辿り着く前に、その部分を分裂させた。


『ブレンの技。基本の型だからどうにか避けられたけど…』


 もっと磨けば、色んな角度で敵を真っ二つに出来る。

 結局、彼は勇者ではないのだ。それに付け焼刃ではこの程度。

 いや、それでも…


『トーマス‼この剣を持って走れ‼』

『ええええ⁉俺も戦いますよ‼』

『駄目だ‼猊下はあわよくばと言っていたが、俺にはその剣の真の力が出せない。だったら、未来に託す。俺がここで魔王を食い止める‼』


 その通り。

 真の力を発揮出来ていれば、小さなスライムくらい、斬った瞬間に滅ぼせる。

 それでも戦うしかなかった。オズの話が伝わっていないということは、封印が解けた時の魔王の姿は伝わっていないということ。

 それはアークスライム・オズも預かり知らぬことだけれど。


 そして、彼らの目には未来予知をやってのける、他とは違うグリーンスライムは得体の知れない脅威だった。


「全部裏目?……じゃなくて、こいつらには最初から魔物に貸す耳はないのかよ」


 過去となった未来の自分がそうだったから、言えた義理はないのだけれど。


『ってことで、やっぱこれだな。おい、魔王。こっちだ、こっち‼』


 赤毛のギークは使いなれた大木づちに持ち替えて、人型グリーンスライムの頭をかち割った。

 茫然としていたオズはそれをまともに喰らってしまう。


『この‼この‼この‼少しでも覚醒を遅らせてやる‼お前らも手伝え。アルフォードの為に、アイツが世界を救う日の為に‼』

『おう‼こいつさえ、いなくなりゃ、魔物たちも動きが鈍る…』

『俺たちが出来ることなんてたかが知れてる。でも、こいつをぶっ潰せばいいなら…』


 もしも、このグリーンスライムが魔王なら、確かに彼らの言う通り、戻り始めた魔物たちの力は衰える。

 だが現実は、ただのグリーンスライムを大人三人がかりで潰しているだけ。


 そして…


『はいはい。ここまでだにゃん』

『な、いきなりなんだ、こい…つ…』


 未だ完全に力を取り戻せていないとはいえ、凶悪な魔物は人間よりも遥かに強い。

 完全に判断を見誤っている。

 ミーアは中の上のモンスターで、通常の人間がどれだけ鍛え上げても辿り着けやしない。

 女神アリスの加護を受けた勇者とその仲間たちは、たったの三年で一気に駆け上る。


『ぬわぁぁ……、伏兵とは卑怯なり……魔…王……』


 次々に倒れていくミネア村の男たち。

 そして、その全てが絶命した、と思った時、髪の毛以外も赤く染まってしまった男が天に向かって拳を突きあげた。


『アルフォーーーード‼世界を…頼んだ…ぞ』


 その拳が力なく地面に落ちた直後。


「はーい。もうそろそろいいっすよー‼」


 ミーアの声、その後、スライムと大ネズミと角ウサギの大軍が駆け抜けて、男の姿は見えなくなった。


 ぐちゃぐちゃに潰されたスライムはその光景を見ながら、心の中でガックリと項垂れた。


「父さん…か。俺の時もこんな感じ…だったの…かな」


 アークと叫んでくれたのだろうか、それともただネズミの大軍に巻き込まれて死んだのか。

 あれは無かったことにされたから、確かめるどころか存在しない歴史。


 因みに、アークと仲の良かったマートンとアリも、アークの父と同様にこの戦いで命を落とし、それもあって仲良くなった。

 そして今回も、その二人は同じく命を落としている。


 オズがその事実を知ることはないのだけれど。


「あー、やっぱり生きてる。でも、ぐっちゃぐちゃ。全く、ウチが出てこなかったら、君は死んでたかもしれない。っていうか普通のスライムは活動を停止してる筈なんだけど…。なるほど、面白い。モーラ氏が気に掛けているのも、なんとなく分かるね。なんてったって、ウチたちはとっても暇な生き物だから、ね?」


 そしてこれは、オズが勇者に対して嫉妬をした最初の事件でもある。

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