第6話 アークスライム・オズの誕生

 ハーピーは暗闇の木の陰で息をひそめていた。

 彼女は羽や足に数本の矢を受けてしまったので、長く飛ぶことが出来なかったのだ。

 もう、勇者は誕生してしまった。本来なら勇者の体に入る筈の魂は未だにグリーンスライムの中。

 状況を知らなければ、緑色の汚物にしか見えないそれが、ハーピーの足元にへばりつい散る。


 勇者として、とんでもない失態をしてしまった。

 魔物として、とんでもない失態をしてしまった。


「く……。痛いじゃないか。絶対にあの赤毛を殺してやる…」


 彼女は貫いた矢を引き抜き、その度に痛がりながら、赤毛の剣士の悪態を吐いている。

 元父親?赤の他人?元々、薄い記憶しかないから、その事については何も思わない。

 そして今はこの言葉しか思いつかなかった。


「ゴメン…」


 色んな意味での謝罪。感謝というよりは謝罪。

 だが、彼女はこう言った。


「なんで謝る?」


 その言葉が気を使ったものなのか、それとも謝っただけじゃ済まないという意味なのかを測りかねて、もう一度彼は謝罪した。


「俺のせいで怪我をした。俺のせいで……色々、めちゃくちゃだ」


 自分でもどうやって喋っているのか分からないが、とにかく通じた。

 そして彼女は最後の矢を引き抜きながら、笑って見せた。


「こんなのいずれ治る。人間とはつくりが違うんだよ」

「…でも、痛そうだし。俺が突撃したせいで、みんなも」

「はぁ?なに言ってんのよ‼アンタはオズなんでしょ?」


 すると今度は怒られた。しかも結構怖い顔で。

 そして彼女はこう続けた。


「っていうか、アンタはあれだね。人間のことに執着して、それなりに人間のことを知ってるみたいだけど、魔族に対しては無知極まりない。まぁ、スライムの考えていることなんて私には分からないけどねぇ」


 それは当たり前の話で。でも、言っていいものかは分からなかった。


「でも、みんな…」

「私たちはね。みんなブーザー様から生まれて、ブーザー様の元に帰っていく」

「それはまぁ。土から生まれて、土に還っていくってのは分かるけど」


 だが、これもまた怒られる。

 今度は体罰のようで、足元のデロデロを踏みつけられた。


「そういう詩的な意味じゃないのよ。理由はよく分からないけど、私たちは死んでも蘇るのよ。」

「あ…。そういえば魔物って死んでも死んでもワラワラ湧いてくる‼」

「そうよ。だから、魔王様の為に玉砕覚悟でぶちあがるのが正解ね。だから、アンタは謝るようなことはやっていない。アレこそ、魔族の本懐と言える行為よ。」


 そう言って貰えると気が楽になる。楽になるってことは魔物になってしまった事実ってことで、ちょっと凹みそうになる。

 同時に、先の戦いでの彼女の矛盾した発言が気になってくる。


「あの発言は?ハーピーさん‼」

「モーラ。そう言えば言ってなかったっけ?」


 ハーピーの名前はモーラだった。

 やっぱり種族名と個体名は存在しているらしい。


「それじゃモーラさん。あの時、撤退命令を出してたでしょ?アレって魔族の本懐とは違わない?」


 そう言うと、彼女は少しだけバツの悪い顔をしていた。

 そして身を屈めて、羽毛付きの手で器用にゲルを掬いあげた。

 羽毛にべたべたがついて、大変申し訳ない。


「そうね。魔族としては失格ね。でも、違う考え方もあるのよ。私たちは魔王様から生まれる。そして…、うーん。自分の口から言うと恥ずかしいけど、私はそこからかなり分化が進んだ魔物なの。高度に分化した個体も、確かに死んで蘇る。だけど、記憶は失われてしまうの。」


 その言葉、衝撃的。


「ちょっと。そんな顔しないの。蘇るには違いないんだから。でも、ただのハーピーの本能しか持たない状態で生まれるから、これまでの経験とか、仕入れた知識とかが抜け落ちた状態になる。これってやっぱり勿体ないでしょ?やっぱり経験が豊富な方が強いし、知識があれば命令の理解も早いし。」

「なんか、考え方の違いっていうか。やっぱりそれは死、というか」

「死って言っているでしょ?それにさっきはモーラって言ったけど、この名前も失われてしまう。私たちの理想は玉砕覚悟で戦って、それで生き残ること。そうなるように願掛けの意味で名前をつける場合もあるとかないとか。……次に会った時はモーラじゃなくなってるかもね。その時はその時の名前で呼んでくれる?」


 心臓がキュっと…、臓器はないけど苦しくなる言葉。


「嫌…だよ。モーラはモーラのまま、会いたい。」

「え……。なーに言ってんのよ。因みに、あの撤退命令は、記憶持ち、特にネームドは撤退した方がいいって命令だったの。さっきも言ったけど、後の戦力になるかもしれないしね。っていうか、アンタのせいで私は危うくモーラとして、以前に生き返れないところだったのよ?」


 首を傾げてしまう。ん?首ってどこ?

 と、思っていると彼女は両手をぐーっと自身の顔に近づけた。

 モーラはとても綺麗な顔をしている。スライム目線だから?いやいや、ハーピーは勇者時代に見ても、綺麗な顔をしていた。


「あんた、スライムのこと、つまり自分のことも知らないでしょ。」

「ギク…」

「なぁに、それ。あのねぇ。さっき私たちは魔王様から生まれるって言ったでしょう?」


 彼女の顔が巨人並みに大きい、ということは自分の体はまたまた小さくなってしまったってこと。


「スライムはその原初の形に一番近い。一説には魔王様の脇汗や股汗から生まれるって言われているわ。足の指の間のねちょねちょから生まれるって説もあるけど」

「え…。脇…汗?また……あせ?ってか、足の指の間?」


 魔王の分泌液はさぞねばねばしているのだろう、と冷静に分析したくもなかった。

 自分という存在が嫌になる。脇汗でも気が遠くなるのに、股汗は絶対に嫌だ。死にたくなる。

 それに足の指の間はもう違うじゃん‼魔王の足のかゆみを悩ます水虫じゃん‼


「つまりある意味、魔王様に一番近い存在なの。なんとなく理解できるでしょ?」


 全然、理解できません‼それって老廃物ですよね⁉それって水虫ですよね⁉それってアナタの感想ですよね?ってか、水虫だったら近いとか遠いとか関係ありませんから‼


「因みにスライムは分裂して個を増やす。分化した私たちは自分たちで交配するか、より高度に分化したものに進化させてもらうか、そうすることで別の個体へと生まれ変わるの。不便すぎるわよね」


 だったら、代わってください‼今すぐ、その美しい体と、魔王の股間液を交換しましょう‼


「って、脱線しすぎたわね。因みに私たちはね。今のアナタみたいなドロドロになる前に死んでしまうの。でも、スライムはあれくらいじゃ死なない。これも詳しくは知らないんだけどね。多分、魔王に近い存在で未分化な存在。それが故に死という概念が希薄なんだと思う」

「…死という概念が希薄?」

「そ。どこからが死んでいて、どこからが生きているのか分からないの。それを知ってたから、毎度毎度持って帰ってきてたのよ。最後なんて本当に危なかったんだから」


 しかめっ面のモーラ。

 だが、やはり意味が分からない。あの時は必死だったし、人間だと思ってたし、人間に戻れると思っていたから深く考えなかった。


「あの…さ。俺、グリーンスライム。それはもう、分かってる。それに同種族が沢山いるのも知ってる。なのに…」

「なのにどうして助けたって?アナタ、その同種族と話してみた?」


 フルフルっと震えるだけの体積がないのが悲しい。


「多分、大した会話にならなかった筈よ。スライムは存在が希薄な分、生命かどうかもよく分からない。あ、これは魔王様には内緒ね。私たちは全て魔王様から生まれた生命には違いないんだから」


 どうだろう。老廃物ではなかろうか。でも、だったら不思議だ。


「因みにスライムとして高分化をすることもあるから、そういうスライムは自我があるし、会話も普通にできるから、珍しいってわけじゃないの。でも、グリーンスライムでそんなに自我があるって、かなり珍しいと思うの」


 いや、それは…。勇者の魂が転生したからであって…、その勇者は魔王を打ち滅ぼす存在で…、その時に邪神の力で…


「とにかくアナタは異質なの。だから、あんなつまんない死に方をさせたくなかったのよ」


 また、矛盾した発言。それとも単に自分が無知なだけなのか。


「えと。死の概念が希薄ってさっき…」

「はぁぁぁ、やっぱり知らなかったのね。あそこは別なのよ。アナタがツッコんでいったところは光の結界が張られていた。あそこで死ねば、アナタだって死んでいたのよ?」


 ぞわっとする言葉。その真意は


「光の結界…?それって」

「さっきも言ったでしょう?私たちは魔王様から生まれて魔王様に還っていく。きっとどこかで魔王様と繋がっているんだと思うけど、光の結界は魔王様のテリトリーではないの。」

「つまりさっきの魔族の常識が通じなくなる。本当の…死」

「そう。つまらない死。アナタは勇気あるスライム。あんなところでつまらない死を迎えて欲しくなかったの」


 つまり、あの時。モーラも同じく危険な状態にあった。

 利己的な動機で彼女を危険にさらしてしまった。


「さて。どこかジメジメした洞窟を見つけないと……」


 モーラの羽毛に纏わりついていただけなので、いつの間にか飛んでいたことに気付かなかった。

 どうやら傷の痛みも多少は引いたらしい。本当に魔族とはそういうものなのだ。


「あそこなんて、いいかも。さて、それじゃあ私は上官に報告にいかないと、ね」

「え、行っちゃうの?」

「当たり前でしょ。襲撃のことを報告しなくっちゃ。」


 途端に寂しくなる。

 そして、やはりシュンとした感情は読み取られてしまう。

 やっぱりスライムは分かりやすい種族なのかもしれない。


「大丈夫よ。落ち込む必要はないわ。っていうか、収穫在りまくりだもの」

「え?収穫?」

「それはそうよ。あの人間の集落に勇者が誕生した。その分、ネームドもいっぱい死んじゃったけど、それ以上の価値があるわ。」


 うーん。それって人間に対して、随分マイナスなことでは?

 でも、今はなんて顔をしたらいいか、分からない。


 そこで美しきハーピーは、もう一つ。彼女にとっての収穫があると言った。


 それは。


「……見つけたこと」

「え?何を…見つけたの?」

「もう、分からない?アナタよ。勇敢な心を持つスライム、オズを見つけた。まぁ、オズにしては弱っちいし、アークを付けるにはただのグリーンスライムだけど。……それでも、貴方はアークスライムのオズなんでしょ?」


 なんだか、むず痒い誉め言葉だった。

 だけど、彼女は最後にこう言い残して飛び去ってしまった。


「まぁ……。その体が元に戻るのに何年かかるか分からないけど、ね?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る