第5話 勇者の器を求めて
幾重にも張り巡らされた塀が小物系モンスターの行方を阻んでいた。
大ウサギのトリホーンラビットの足を狙った罠。
人食い大ネズミに齧られないように四隅に鉄板を打ち付けた塀。
アンデッドッグが飛び掛かれないようにした鉄柵。
そして多くのスライムが来ても良いように、石槌と燃え盛る松明が至る所に見える。
「え…、こんな要塞だったっけ。そんな馬鹿な。俺の記憶にあるミネア村はもっと牧歌的な村だ」
◇
三年前。
勇者の魂が転生したスライム、ただ一匹に村の作物が殆ど奪われた。
大切に育てていた家畜も、生け捕りにしていた魔物も、全てを失ったミネア村は即座に動いていた。
村長ババロはブーツ半島の先にある、ウラヌ王国の西部を任されるドメルラッフ公領を訪れていた。
当時は物資の援助を乞う為の行脚だったが、ドメルラッフ公の息子レギンスが事態を重く見たのだ。
「魔物が村人夫婦の名を知っていた?父上、その話は即刻王に伝えるべきです」
女神アリスの星の話から、勇者降臨よりも魔王の封印が解ける方が少しだけ早いことが分かる。
勇者オズの話から、魔王は封印から解放された後に、力が目覚めるのにかなりの時間を要することも分かる。
そしてウェストプロアリス大陸で生まれる勇者は慣習として、16歳になるまで隠されて育てられる。
「陛下。魔物が我が領地のとある村を襲いました。しかも一組の夫婦を名指ししたそうです。」
ドメルラッフ公も息子の意見に同意し、ウラヌ王国国王へ報告に向かった。
「宮廷占星術師は、まだ女神アリスの星座に変化はないと言うておるが…。グリーンスライム如きまで名が知れ渡っているということは…。ゲテム、諸侯を集めよ。そして各地の状況を報告させよ」
ウラヌ王は聡明な人物だった。
当時の宰相ゲテムに諸侯を集めさせ、ウラヌ王国領内の集落で、似たような現象は起きていないかを確認させていた。
当時はウラヌ王国内のみの諸侯会議だった。
そこで、物資の援助と防衛設備を作る為の人材と資金がミネア村に送られることとなった。
「陛下‼再びあの村が襲撃に遭いました。」
だが、またしても同じ村が襲われたのだ。
「うーむ。二度、三度と同じ村が襲われる…とは。ゲテム、モルリア諸侯連合、サラドーム公国にも使者を送れ。魔王の復活は近いのかもしれない。その事を強調して伝えるんじゃ」
そして、ついにウェストプロアリス大陸の王侯貴族が一所に集結する会議に発展していた。
場所はウラヌ王国より北東にある、大きな島。
南西部が僅かに大陸と繋がっていて、中央にはアリス大聖堂を持つ巨大な宗教施設でもある。
ウェストプロアリス大陸の王侯貴族、民にいたるまで女神アリスを信仰しているので、魔王絡みの会議を行うにはうってつけの場所だった。
「魔族なら、女神アリスの導きに関係なく、勇者降臨の場を知る秘術が使えるのでは?」
「いやいや。今までの歴史を振り返っても、そのようなことは起きていない」
「では、やはり異常事態。勇者を失えば、我々に生きる道はない。」
「なら、いっそその村を城塞にしてしまうのはどうでしょう。」
「本当にその村で間違いないのか?それこそ罠かもしれない。」
「確かに。守りを固め過ぎれば、ここに勇者がいると言っているようなもの」
そこに集まった識者は皆、魔王の復活を信じて疑わない者。
議会は踊ることなく、真面目に一か月以上も議論が交わされた。
「女神アリスの星は未だに変化がない。教会側にも調べさせているが、やはり前例がないことには動けぬ、か」
結局、正解には至らぬまま、各々の国で自衛することとなった。
但し、大陸全体の士気が上がったことは大きな成果だっただろう。
「我が国としては、やはりミネア村およびブーツ半島を中心に警備を固めましょう。ですが、会議でも話に出ましたが、目立ち過ぎない程度で。」
「うむ。国庫では足らぬゆえ、民からは不満が出るかもしれぬが、致し方あるまい」
◇
そんなことがあり、ミネア村は村の見た目をした要塞へと変わっていた。
そして、ついにアリスの星が輝きだしたのだから、不寝番だけでなく、全ての兵士が小規模モンスター軍団を待ち構えていた。
「つっこめぇぇぇ‼人間がこんなにいるぞー‼ここに大事なものを隠しているに違いないぃぃぃぃ‼」
この事態の原因となったグリーンスライムは愕然としていた。
魔物に情が移ったわけではないが、これは一方的な殺戮であった。
「なんで…。ここにこんなに兵士が…」
変幻自在のスライムなら、どうにか潜り込めると思っていたのに、建物から次から次へと兵士が現れる。
絶対にそんなに入れないだろ、とツッコみたくなるが、これが現実。
地下に駐屯施設があったのだろうが、彼にとっては信じられない光景。
「ミネア村は大陸の端の端、こんなところ守っても仕方ないだろ…」
村内も周辺に現れる魔物を捕える罠で溢れていて、前世の彼が生まれ落ちた村が血に染まる。
その全てが魔物の血や肉だった。
『このスライムか‼』
パーン‼と、隣にいたグリーンスライムが飛沫となった。
スライムとなった自分を心配そうに見てくれていたウサギとネズミもどこに行ったのか分からない。
似たような種族が多いのも理由の一つだが、これでもかと設置された柵や土嚢も見失った原因の一つ。
そして、ついに耐え切れなくなった彼女が上から怒鳴り声をあげた。
「ここは人間共の罠だ‼退け‼全員退くんだ‼」
『な?みんな、上だ‼ハーピーまで出やがった。どどど、どうしよう』
『慌てるな。まだ矢は沢山ある』
『でも、上になんて射たことないよ‼』
『分かった。村民は下に集中。我々ドメルラッフ隊だけ矢を構えろ‼』
勇者でもなんでもない村人がここまで戦えている、と思ったら軍隊が入り込んでいた。
「チッ、私も一旦離れるよ‼皆も隙を見て逃げるんだ‼」
「ドメルラッフからの兵士?」
ドメルラッフはブーツ半島から東に出たところにある小規模な街だ。
勇者アークの旅で、最初に行った街。
だが、そんなことより。
「勇者じゃない人間でもここまで戦える…。いや、俺達が弱すぎるんだ…。俺…達?」
そこでグリーンスライムは液体状になり、土嚢の下にひとまず隠れた。
何を言っているんだよ。俺は女神アリスに見つけて貰って、勇者として降臨する為にここに来たんじゃないか。魔物と一緒に戦ってどうする。戦えてもいないけど。
パシャン‼
果敢にも人間に立ち向かった同族がハンマーで潰される。
それを見て、可哀そうなんて思っちゃ駄目なのだ。
「どこだ?どこに父さんと母さんがいる?町外れに家があった筈だ。あそこか?…いや、違う‼」
あの時、一筋の光が見えたんじゃ…
村長ババロの言葉。
そして今、チラッとだけ星が瞬いて見えた。
勇者の魂のせいだろうか、このスライムにはそれがどこに落ちていくのか分かってしまった。
だから、咄嗟に飛び出して叫んだ。
『違う‼そっちじゃない‼俺はここだ、アリス‼』
『お?出たな人語を喋るスライムぅぅぅぅ‼』
ドン‼
直後、上から大きな木づちが地面を穿った。
『チッ。こいつ、小さくてすばしっこいぞ‼おい、バリ‼そっち行ったぞ‼』
『おうよ‼』
治りかけだったのが幸いしたか、それとも既に一部を潰されたから、更に小さくなったのか。
おそらくどっちも正解で、山からの落下で何となく掴んだ感覚で、ピョンピョンと跳ねて奥へと進む。
「教会…。あそこか‼それにあそこならアリスも‼」
だが、教会の入り口には筋骨隆々の男が待ち構えていた。
後ろからは木づちの男、左右からは松明を振りかざす男。
『やはり来たか。あの時殺したと思ったが、スライムってのはしぶといんだなぁ』
あの時の赤毛の男。今ははっきりと見える。
アリかと思っていた男も少し顔が違う。マートンだと思っていた男も顔が違う。
ロイかと思っていた男も別人。
だけど…
『父さん‼俺だよ、アークだよ‼俺、今から…』
『しつこいんだよ‼リリーは俺が守る。今度こそ、お前を滅してやる‼』
まだ生まれていない子の名前を出したって、通じる筈もない。
でも、スライムは懸命に声を出して、父になる予定の男の上を飛び越えようとした。
だが、そこで視界が二つに割れる。
小さくなったスライムを綺麗に真っ二つにした腕、流石は勇者の父。
「割れたってぇぇぇぇぇぇ‼」
体が軽くなった分、早く動ける…筈だった。
ベチャ、ベチャっと音を立てて、床に叩きつけられてしまった。
そして、視界がぐにゃりと歪む。今まで感じたことのない痛みを感じる。
体が熱い。このまま蒸発していきそうな感覚。いや、これは強くなってからは殆ど感じることもなくなった、
——死の感覚
『ぬぅぅぅぅ‼新手か⁉』
だが、その時。一陣の風が吹いた。
「オズ‼どっちでもいい‼私の足に捕まれ‼」
彼女の声が聞こえてきた。
『な?ハーピー?聞いてねぇぞ。ここに中級以上のモンスターが来るなんて』
『演習でやったろ‼飛ぶ相手には飛び道具だ‼』
赤毛の男、父が三人を叱咤する。
「早く捕まりな‼私もここで死にたくなんでね‼」
何が起きているのか分からない。なんでハーピーが助けようとしているのか。
それより…、早くしないと勇者になれない。
いや、そんなことより……これから死ぬんだ。
父さんに殺されたんだ…
あらゆる感情がないまぜになり、進むことも引くことも出来ないスライム。
そんな彼の耳、スライムの感覚器官がとある空気の流れを受信した。
……あぎゃあああ、おぎゃあ、おぎゃああああ
「赤子…、生まれ…、間に…合わな…」
「もういい。私が勝手にお前の一部を持ってくよ」
『人間共。今日は誕生を喜べ。…だが、これで勝ったと思うなよ?』
魔物の声でスライムに話しかけ、人間の声で彼らを威嚇する。
そして、何度か翼を羽ばたかせ、ものすごい勢いで教会から飛び立つ。
『逃げるな、ハーピー‼お前らは一匹残らず殲滅してやるんだ‼』
父になる筈だった男の声が聞こえてきて、同時に風を裂くような音が聞こえた。
「ぐ……、やるじゃないか。あの赤毛…」
そんな命がけのハーピーの逃走劇にも拘らず、スライムのカケラは呆然としていた。
彼が思うのはただ一つ。
そこは俺の場所だろ?誰だよ…、誰がアークの中に入ったんだよ‼
勇者になる為にここに来た魂、だけどその器は別の誰かに渡ってしまった。
それが悔しいのと喪失感と、あと物凄く痛いのとで、自分のせいでほぼ全滅してしまった小物軍団を一度も見ることなく、またしても意識を失った。
——俺は勇者には…なれ…なか…
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