第4話 オズの伝説

 真っ白な空間の中に居る。


「ブーちゃんは全てを捧げて、私を呼び出した」


 二人の女神


「俺は…アークだって言っているだろ」


 女神はこう言った。


「名前なんてどうでもいいの。だって転生するんだから」


 そして、暗闇に包まれた。


     ◇


 ピチャ…


 顔に水滴が落ちる。

 顔?そこが本当に顔なのだろうか。


 ソレは暗闇の中にいた。


 あれは夢じゃなかった…。転生って言っていた。つまり…


『あ、もしかして目が覚めた?』


 声が聞こえる。子供のような声。

 アレが夢ではないのなら、この声はフレデリカやマリアではない。


「そっか…。在り得ない偉業、在り得ない結末」


 また、体が重い、だるい、瞼が重い。


『でも、全然起きねぇぞ。やっぱ死んでんじゃないか?』


 今度は男の声。耳に水が入ったように篭って聞こえるが、レプトンでもギルガメットでもダーマンでもない。


 そして…


『三日前と同じでしょ?眠っているだけよ』


 在り得ないこと。

 時間を巻き戻すことは、どんな大魔導士でも叶わないこと。

 人間と魔族の戦いを何度も見守ってきた老龍も不可能と言っていた。

 何度も頼み込んだし、各地を回った。

 だって、当時はアシュリーの死を受け入れられなかったから。


「でもそれを言ったら、魔王の消滅だって在り得ないこと…かも」


 女神の力を使って在り得ない魔王殺しが出来たなら、同じく女神による時間操作が出来てもおかしくないのかも。


『わ。突然、何か喋った‼』


 在り得ないことが起きたなら、その結果在り得ないことが起きてもおかしくない、か。


『なんだ。やっぱ死んだふりかよ。ってか、これがアイツであってんのか?』

 

 ゲルに切れ込みが入り、灰色の世界がゲルの中に投影される。

 

『間違いないわ。間違いなくカケラを拾ってきたから。良い感じに飛び散っててくれたから、蒸発されずに済んだみたいね』

「…それにアナタ。もう、人間のフリをしなくてもいいの。だから滅多なことを言うものではないわ」


 同じ人物の声だけれど、前半と後半で何かが違っていた。

 後半の方が聞きやすいと言いたいところだけれど、正直言って何とも言えない。

 ただ、ここが林の中ではないのだし、今のハーピーの発言でも分かる通り、時間が巻き戻った訳ではない。

 それほど、時間の操作は在り得ないことなのだ。

 そういえばあの女神もあの時。


 ——ブーちゃんは全て…ここにブーちゃんの未来を捧げた力もある…ノーラの邪法を使うには十分の力


「神でさえ簡単には使えない邪法、か」

『ねぇねぇ。本当にアイツなの?さっきからブツブツ言ってるのは似てるけど』

『そうね。スライムは沢山いるし、形も決まってないから見分ける為にも名前をつけようかしら。それとも、もう名前があるのかしら?』


 名前と言われて、パッと浮かんだのは


『アーク……。でも、名前なんて』

『アーク?あれだけの人語を解し、そして話す。アークデーモンならぬ、アークスライム。でも、それって種族名でしょう?個体名の方よ。何か希望は無いの?』


 その瞬間、理解した。

 魔物は魔物で会話をしているのだ。そして人間と話せたのは人間の口を模して発音していたからだった。

 無意識、というより人間だと思っていたから自然とそうなった。

 もしかすると、頭と上半身が人間型のハーピーは人語を話せるのかもしれない。

 

『それならやっぱり人間っぽい名前がいいかな…』

『人間っぽい名前?なんでなんでー?』


 ウサギが飛び跳ねる。厳密にはウサギ型の魔物だけれど。

 理由は一応ある。敢えて言うなら、人間だった頃の記憶が失われてしまいそうだから。


『でも、俺達が知ってる人間の名前ってたかが知れてるしな。歴代の勇者くらいしか知らねぇぞ』

『アタシもー。やっぱり語り継がれるのは勇者オズだよねー』

『オズ?』


 勇者アークとして世界中を回った。

 周期的に封印は解けるのだから、その度に新たな伝説が生まれ、新たな石像が作られる。

 だけど、オズという名の勇者の石像は見たことがない。


『あれ?知らないの?』


 勇者アークの時に、【オズの魔法使い】という文言を使った気はする。

 マリアかレプトンか、誰かとの会話の中で、自分の口がそう言った気がする。

 でも、それ以上は思い出せない。


『聞いたことはある…程度かな?でも、なんで語り継がれているんだっけ?』


 今の自分は魔物、勇者だったことは秘密にしておいた方がいい、と思った。


『まぁ、遥か昔の伝説だしね。圧倒的な力を持っていたそうよ。魔王様が復活した後、たった三日で魔王様を無力化し、封印してしまったの。人間たちに一糸も報えなかったって話よ。ま。当時の魔王様は今より力が無かったって話もあるし、魔王様頼りにしていた私たちへの教訓めいた逸話でもあるから、真偽は不明だけどね』


 スライムは目を剥いた。

 目玉はないから目玉っぽいボールが剥かれただけらしいけれど。

 それほどの衝撃だった。

 魔王が復活した後、速やかに封じた勇者、しかも人間への被害が出る前に、だ。


「それ、凄いな。オズは静かに魔王を鎮め、静かに封印をして立ち去った。魔王が復活したかも分からないほどの速さで。人間に伝わっていないのも無理はない」

『だからー、人語を使うのやめなよ。皆には分からないんだから』


 心が震えた。ゲル状の体もプルプルと震えていただろう。

 そして勇者だったからこそ憧れる。そして勇者だったからこそ恥じてしまう。

 仲間を失ったからこそ…、その生きざまに羨望を抱いてしまう。


『俺、オズになりたい。オズのようになりたい』

『お前、自分で言っていること分かってんのか?』


 分かっている。それに今だけの我が儘だ。

 でも、勇者アークはずっと考えていた。

 あの時こうしておけば、あの時自分が残っていれば。

 冒険に向かわずに街に残っていれば。


 あの子を、友を失わずに済んだかもしれない、と。


 それに…、父親が生きていた。

 彼は言った、まだ子供は生まれていない、と。

 邪神エリスが時を遡らせたのは間違いない。

 ならば、女神アリスも何処かで見ているかもしれない。


『分かってるよ。俺はオズみたいになって…』


 もう一度…、今度は誰も、何も失わせない勇者になってみせる。

 賞賛や地位や名誉も要らない。やり直せるんなら、そんなの要らない。

 みんながいる未来を、アシュリーのいる未来を勝ち取れる。

 その為には、今すぐに女神アリスに見つけてもらわなければならない。


『ちょっと‼何処に行く気⁉』

『お前、マジでどうかしてるぞ』


 皆が呼び止める中、スライムは洞窟の外を目指す。

 体が重いのは、ゲル状の魔物になっていたから。

 スライムに転生させられたからだ。


『アンタの体はまだ完全には治ってないんだ。ったく、全然聞いちゃくれないね』


 大丈夫だ。どうってことない。俺を誰だと思っている。今はスライムでも、あの魔王を倒した勇者だ。勇者の魂はここにある‼ 


「この程度、どうってことない…よ」


 女神アリスに見つけてもらう方法、一番確実なのは教会にある女神像で祈りを捧げることだ。

 実際、アークは勇者時代に女神を何度も目にしている。

 瀕死で運ばれた時だから見えたんだろうと、仲間には茶化されたけれど。


「教会は大体集落の真ん中にある。俺は緑色の無毒系スライムから、戦いの経験者なら簡単に倒せる。正直言って、そこまで辿り着く自信はない。」


 だから別の方法を取る。

 この大陸の人間は教会に行って女神像に祈る習慣がある。

 だけど、旅の途中は教会に寄れない。

 そんな時は南の空に向かって祈りを捧げる。


 ——そこに十字に並ぶ星座、それが女神アリスの象徴とされているから


「ギークとリリー。つまり父さんと母さんは結婚して三年目に子供を授かった。つまり俺、アークだ。あの時、赤毛の男は結婚したてって感じだった。だって、自警団団長の後に兵役で二年間、村を離れていたからだ。ってことは…」


 あの邪神には申し訳ないけれど、女神アリスにはまだ時間がある。

 魔王を倒した魂が過去に戻ったことを彼女は知っている筈だ。

 邪神はあの時、何の変化もなかった。だったら女神も時の逆行の支配を受けていない。

 受けていたとしても、彼女が選んだ魂なんだから、見つけてくれるに違いない。


『おいおいおいおい。追いかけて見たら、こりゃ、どういうことだ?』

『あーーー‼アリス座が光ってるー。これって予兆だよねー‼』


 スライムは再び目を剥いた。


 魔王の復活を察知した女神は、その加護を宿す勇者を地上に出現させる。

 その時、女神アリスの十字は光り輝いて、人間たちに勇者の誕生を知らせると言われている。


『人間の世界で伝わっている伝承…ね。アナタ、まさか⁉』

『なぁ…。俺が寝てたのってどれくらい…?』


 ブルブルとゲルが揺れる。

 ハーピーは翼をバタバタと羽ばたかせて、スライムの頬、もしくは体を足先で抓った。

 そして、2㎜程度のゲルのカケラを目の前に持ってきた。

 人間で言う、皮膚をちぎって目の前に見せつける行為、やはり魔族とは恐ろしい。

 なんて思う余裕はなかった。


『私が拾ったのはこれくらいのアナタよ。それが今の大きさに戻るくらい?』

『そんなカケラ…?なんか、具体的に分かることってないか?人間で言うところのって奴…』

『そんなの分からないわよ。それより…』

『いや。分かるかも知れねぇ。お前が身を挺して囮をやってくれた時だろ?あん時は大量に物資を奪えたから覚えてんなぁ。』

『そうそう‼同じ手を三回か四回、収穫時期にやったんだよね?最近はそれも警戒されているけど…』


 あの村の畑は年二回か三回収穫をする。

 少なくとも一年以上は経っている。いや、そんなことどうでもいい。

 アリスを象徴する星が輝いているとはそういうことだ。

 今まさに恩寵が降りてくるのだ。


「アリス‼俺はここだ‼」


 どうやら山の中腹の洞穴だったらしく、転がっていけば間に合う気がした。

 勿論、眼下にある集落とはやっぱりミネア村だった。

 治りきっていないからか、あの時よりも体が軽い。

 それにゴムボールのようにコロコロと転がれば、小動物系モンスターよりも速く落下出来る。


 そんなスライムの後ろ。


『おしゃぁぁぁ。俺達も行こうぜ‼スライムがオズになろうとしている‼』

『そうだよね‼警備が厳しくなっているからって、なにさ‼魔王様に貰ったこの命は魔王様の為に使わなくっちゃ‼』


 オズは魔王が完全復活する前に無力化して封印した勇者だ。

 ならばこちらも、とスライムの後ろを追いかける小物モンスターたち。


『ちょっと待ちなさい、アナタたち‼アリスの加護はどこの集落に向かうか分からないのよ?…全く。あのスライムは何なのかしら』


 そして、それを止めようとする上官のハーピー。

 彼女は飛んでいる翼で器用に肩を竦めて、疾走するゴムボールに首を傾げていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る