第3話 故郷に助けを求める
勇者アークはまどろみの中で、先ほどの赤毛は誰だったかを考えていた。
ミネアの村の住民の筈なのに覚えていない。
だけど、声はどこかで聞いたことがある。
『あ、もしかして目が覚めた?』
声が聞こえる。
子供のような声。イザベルの大人びた声ではないのは確かだ。
だったら、フレデリカ?
いや、ここはやっぱりマリア?
「ん、んー」
とは言え、まだまだ体が重い、だるい、瞼が重い。
だけど、話しかけられたなら心配することは無い。
このまま寝たって構わないだろう。
えっと…。俺はあの時、魔王が翳した禍々しい石を打ちぬいて、そのまま光の剣でアイツを貫いた。これは絶対に現実。問題はその後だ。女神に会った気がする。で、気付いたらミネア村の近くの草むらに居て。そこでミネア村の自警団に棍棒で殴られた⁉いやいや、それはないって。ってか、アリは俺の顔を知っている筈だし。
『でも、全然起きねぇぞ。やっぱ死んでんじゃないか?』
今度は男の声。耳に水が入ったように篭って聞こえるが、喋り方からいって、レプトンだろう。
ギルガメットは流石にこんな冗談は言わないし、モンクのダーマンは喋り方がそもそも違う。
っていうか、冗談を言っている暇があったら回復魔法を使えという話だ。
まぁ、でも。そんな冗談が言えるってことは、問題ないってことだ。だったら、どうしようか。折角だから、この奇妙な夢の話を纏めておこうかな。女神に会ったところから。いや、女神は本当の出来事かもしれない。だったら、ミネア村のところからが夢?でも、女神の名前が違っていたような…。
『だとすると、これはただのゴミクズ?まぁ、ゴミクズみたいなもんだけど、ね?』
またもや違う声。強いて言うならイザベルの喋り方に似ているが、勇者をゴミクズ呼ばわり。
それはそれであり得そうではあるが。
『でも、もしかしたらイレギュラー?王に報告に行った方がいいのかも?』
やばい。実は起きてるぞ‼のタイミングが分からない。ミネア村で変な赤毛にハンマーでぶん殴られたのは夢。とにかく面白い話をして、どうにか……
何故か、誰一人として回復魔法をかけようとしない。
彼女達の力なら、無傷に近いくらいに回復してくれる筈なのに。
もしかして、本当に死んだと思われてる?ってか、こんなにドライな感じだったっけ?い、いやそれはない。でも、あまりにも死にかけるもんだから、ボロクズになっても放っておかれてたっけ。
流石にそろそろアピールをした方が良い。
だが、まだ体が重い。回復してくれと頼んだ方が良さそう。
『とにかく王に報告した方が良さそうね。とりあえず、コイツは燃やしときましょ』
『うん。そだね。だったらアタシが…』
「ちょーっと‼待って‼俺、生きてるから‼」
こいつら、マジで何を考えてるんだ、と。
重い体を持ち上げて、生存を皆に伝える。
そして、彼は目を剥いた。
『わー‼生きてんじゃん。そりゃそうよね。魔王様の力、ビンビン伝わって来るもんね。』
『おうよ。俺達の力はマシマシよぉ‼』
「は……?」
三本の角を生やす大ウサギと、顔の半分近くが口の人食い大ネズミと何故か目が合ってしまった。
『あら、ゴミクズではなかったようね。任務に恐れをなして死んだふりなんてことはないわよね、アナタ』
更に頭上にはハーピーのお姉さん。
それだけではない。周りには尋常じゃない程の魔物が屯していた。
ままままま、不味いって。
本来ならこんな奴ら、範囲魔法で一撃だけど、今の俺は魔王との戦いで全ての力を使い果たしている。
そして今の俺はステータスで言うなら瀕死状態。野良モンスターにも殺されてしまう。そ、そ、そうか。こここここれも夢?
夢かもしれないけど、今度こそあの時の衝撃で吹き飛ばされたって考えられる。
魔王を倒した瞬間、世界の魔物が消えるって言われてたけど、シュン‼って消えるわけじゃないのか…
魔法の練習で何度も瞬殺してきた小物たちだが、ハーピーは頭二つ以上は飛び抜けている。
勇者という言葉に縛られるな、俺。そしてこれは決して逃げるって意味じゃない。
戦略的撤退、そして近隣住民への注意勧告。うん、それは絶対に必要なことだ。決して臆病とかそういうんじゃあない。っていうか、魔王を倒して凱旋を果たす前に死んでたまるか‼
右、左、上と魔物の位置を把握する。
右は人食い大ネズミ、左はトリホーンラビット。奥にはスライムたち。
問題はやはり木の上に座って、全体が見える状態にいるハーピー。
彼らは何をしているのか分からないが、襲ってくる気配はない。
魔王が倒されたことで、指示系統がマヒしているのかもしれない。
だったら、判断は早い方がいい。
「あっちに勇者が‼」
『ん?何だって?』
ちゃんと伝わったかは分からなかった。
でも、彼は魔物がいない方へ、持ちうる力で飛び出した。
「くそ。まだまだ体が重い。っていうか、力が入らない。何故か森の中にいるし、意味が分からないし…、…でも、あれ?あっちの方、明るい?」
今は夜。月明かりは木々の葉に遮られて、色を失っていた。
薄暗い灰色の世界、その先に人工的な灯り、多分たいまつの光を見つけた。
「あれ?おか…しいな。俺の手、こんなだっけ?足も…何、これ」
漸く見つけた僅かな光に照らされた自分の体。
形は辛うじて手の形をしているが、力を入れないと今にも崩れ落ちそう。
足も同じ。どうにか足に見えなくもないが、力を篭めないと崩れてしまいそう。
そして、一番の異常は半透明であること。
「そう…いうこと…か」
彼には思い当たることがあった。
というか、その時の印象が鮮明に残っているから、そうとしか思えなかった。
「魔王アングルブーザーとの戦いだ。アレで五体満足で済む筈がない。早く…、早く回復魔法、解毒魔法、状態異常回復魔法をかけてもらわないと…」
もしくは解呪魔法か。
過去に例がない壮絶な戦いの終わり。
死を覚悟して臨んだ戦い。
手足のゲル化、これくらいのペナルティを喰らっていてもおかしくはない。
「大丈夫。アイツら、追ってくる気配がない。指揮系統が死んでる証拠だ。今のうちにあの松明のところに…、あそこまで行けば人間に出会える…筈?」
ゲル化したことで小さな枝や地面の凹凸が気にならず、思ったよりも早く林を抜け出すことが出来た。
——だが、抜けた先に待っていたのは
「あれ…?ミネア…村?なんで?」
今が現実という保証はないけれど、あそこは夢の中で出てきた村だ。
どうして、という疑問が浮かぶ。
けれど、後ろの林の中には魔物が潜んでいるわけで。
「落ち着け。これが夢かどうかなんて関係ない。今すぐ皆に知らせるべきだ‼」
プラプラの腕、グズグズの足で不寝番がいることを信じて村の入り口を目指す。
プロアリス大陸は西も東も定期的に魔物が出没する。
人間は腕に自信がない限り、集落を作って共同生活をする。
「おーい‼俺だ。アークだ。頼む、開けてくれ‼」
村の周囲には木でできた柵がある。
そこから入り込むことは出来るが、疚しいことがない限り、普通は正門を通る。
それに今は見つけてもらうことが目的だ。
だから、正門に向かうのが正しい…筈だけど
カーンカーンカーンカーン‼
「魔物だ‼魔物が来たぞ‼」
突然、警鐘が鳴らされて、アークは戸惑った。
けれど、魔物が潜んでいたのは間違いない。
「林だ‼林の中に魔物がいた‼回復してくれたら俺が戦える。だから早く…」
スパーン‼
「おっしゃ‼命中したぜ。俺が一番にやってやったぜ。」
物見台から声がした。
どうやらあそこに人がいる。
「馬鹿言え。昼に団長が仕留めたのが一匹目だろ?…だけど、団長の言った通りだ。一匹いたら百匹はいると思え、か」
矢が何かに直撃して、破裂音がした。
気付くと、自分の右肩から先が無くなっていた。
痛みはないが、喪失感はある。
「ちょっと待ってくれ‼」
確かに手足はゲル状になっているかもしれない。
下手したら体も…、体もゲル…?
でも、俺は、俺は……
弓の先端は金属ではなく、石が雑に括り付けられていた。
そのせいで、ゲルが破裂してしまった。
「お前、マートンだろ?俺だよ、アークだよ‼この声は覚えてるだろ‼昔、一緒に魚釣りしたよな?」
松明の揺らぎのせいで、はっきりとは見えないが、あの声、あの雰囲気。
マートンに違いない。
呪いとは恐ろしいものだ。例えば、石化の呪い。
ゲル状になってしまう呪いは聞いたことがないが、前人未到の魔王殺しだ。
何が起きてもおかしくない。
「ば、化け物め‼」
パーン‼
今度は半透明の右足が弾け飛んだ。
力が抜けて、グシャっと地面に落ちる。
「バリィィィィィ‼お前の言った通りだった。こいつら、人語を話す‼」
「当たり前…だ。だって、俺は人間だ。さっきからアークだって言っているだろ?さっき魔王と戦って、それで呪いを受けてしまったんだ」
「射ろ、射って喋れなくしろ。何なんだよ、このスライム‼中途半端に人の形しやがってよぉぉぉ」
「スラ…イム?」
次々に村人が集まり、一斉掃射が始まる。
このままじゃ、本当に殺されてしまう。
そして、村人の一人から信じられない言葉が発せられる。
「人語を理解してるか知らねぇけどよぉ‼ミネア村にぁ、アークっつー名前の人間は居ねぇんだよ‼」
「馬鹿、トーマス。本気にしてどうする。アレは真似をしてるだけって団長が言ってたじゃねぇか」
完全に崩れ落ち、見上げるしかなくなった状態で、アークは恐怖で目を剥いていた。
アークが存在しない?そんな馬鹿な。確かにこの村から出て行って三年も経ったから、居ないといえばいないのだけど。
そうか。罠だと思っているんだ。……ど、どうすれば、俺だって信じてもらえる?俺が知っていて、魔物が知らなくて、みんなが知っている事実。
だったら、家族の話なら。
子供の頃に魔物に殺された父さんの話…なら
「聞いてくれ‼本当に俺はアークだ。ギークとリリーの子供のアークだ‼みんなは覚えているんだろ‼十年以上前に戦って死んだ父さんのこと‼」
声と後姿しか覚えていない。
立派に戦った戦士だったと、村人から何度も聞かされて育った。
これも魔物の罠だと思うかもしれない。それでも…
そして、撃ちおろされる矢が止み、物見台の男たちが何やら話し始めた。
流石にこんな魔物がそこまで詳しいとは思わない。
だから、迷っている。だから…
ギッ、ギィィィィィィィィィィ……
金属がきしむ音、擦れる音が聞こえて、ついに村の門が開かれた。
——これで助かる。
開け放たれた門から、足音が聞こえてきた。
大地に崩れ落ちたから、星空しか見えない。
ただ、振動から感じることは出来た。大柄な男。多分、筋骨隆々な男。
そして。
「ギークって言ったのか?へぇ……」
「あぁ。ギークだ。俺はギークとリリーの子供のアークだよ」
聞いたことのある声、夢の中でも聞こえてきた声だった
そしてギークをこの男は知っている。
だったら。
「こんな木っ端スライムに名前を覚えられるたぁ、俺も有名人になったものだな。」
瞬間、アークの体が固まる。心が固まる。
何を…言って…
「それに結婚したばかりのリリーの名前まで漏れてるとはなぁ。やっぱ、魔族は侮れねぇな」
は?こいつ、今、なんて言った?結婚したばかりって…
トントンと音が聞こえる。木と何かがぶつかる音。
カタッ、更に別の音。その瞬間、暖かい何かが近づいたから、多分松明を手に取った。
『とりあえず、コイツは燃やしときましょ』
ハーピーの声が脳裏によぎるが、首を振って否定をする。首が触れないほどにグズグズになっているけど。
「お前さん、別の集落と間違えたんだろうなぁ。……だけど、アークってのは俺とリリーで最初に生まれた子につけようって決めてた名前だ。アーク違い、だけどこりゃ、駄目だな。アークは止めだ。縁起が悪い。でも、とりあえずお前は……、蒸発してこの世から消えろ‼」
その瞬間、やっぱり赤毛がちょっとだけ視界に映った。
あれ…
そういえば、あの後ろ姿でチラリと見えた髪色は、こんな色だったかもしれない。
あの時、優しく語りかけた声は、こんな声だったかもしれない。
今は優しさのカケラも感じられないけど。
そして、俺は棍棒で何度も殴られた後、松明の炎で蒸発させられた。
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