第2話 まどろみの中で

「うう……」


 頭の中に靄が掛かったみたいだった。


「ぐえ…え…えええええええ」


 その影響か、それとも激しく揺らされたのか、吐き気がする。

 とにかく気持ちが悪い。


「お、俺…は…、一体何を。アレ?なんか、へんな記憶。いや、夢かな?」


 18年前。彼の前に現れた女神アリス。アリスによく似た女神の夢を見た気がする。

 意味の分からない夢、夢なんてそんなものかもしれない。


「それにしても、俺はなんでここにいるんだ?魔王に光の剣を突き立てて、それから…。駄目だ、思い出せない。体がやけに重い。もしかしてあの衝撃で飛ばされたとか?」


 どうしてここに居るのか、その理由が分からない。

 もしかしたら魔王決戦自体が夢なんて、笑えないオチだったあるかもしれない。


「いや。そんな馬鹿な事。俺達はイーストプロアリス大陸の北、プロエリス山脈の北に居た筈だ。通称、極夜地帯の隠れ里で最後の準備をしたんだ」


 この景色は覚えている。

 覚えているというか、懐かしい景色。

 ウェストプロアリス大陸の南西、ブーツの形をしているからブーツ半島、そこにある小さな村。


「ミネアの村。どうしてミネアの村の前に俺はいる?」


 もっと笑えないオチを思いついてしまった。

 今までの冒険が全て夢だった、という最低最悪の夢落ち。


「そんな筈ない。あれは現実だ。色々、いろんなことがあったんだ。だから、これが夢に決まっている。きっとあの時の衝撃で頭を打って…、……‼」


 ザッザッ


 その時、自分の近くを金髪の誰かが通り過ぎた。服装からして女だ。

 そして女が通り過ぎた後に、自分が倒れていることに気が付いた。


「って、倒れてるのに通り過ぎるって。さてはミネアの人間じゃないな。ミネアの人達はお人好しで有名なんだよ」


 あそこで過ごした時間は16年くらい。

 とはいえ、転移ではなく転生だし、転生したと思い出すまでの期間を差し引くと、十年くらいかもしれない。

 だけど転生の記憶に関係なく、生まれ故郷には違いない。


「ちょっと、待ってくれよ‼ここに人間が倒れているんだぞ‼」


 咄嗟に声が出た。

 朧にしか見えないけれど、自分は倒れていて、ここが故郷の近くで、そこを人が通り過ぎていったのだ。


「助けてくれ。なんか、体がおかしいんだ…」


 ここは間違いなく夢の中。だけど、もしも現実だとしたら。

 イーストプロアリス大陸からウェストプロアリス大陸まで吹き飛ばされたことになる。

 人類が何度も封印するしかなかった魔王を倒したのだ。

 反動でここまで飛ばされることだってあるかもしれない。

 そして、その場合。


 流石の勇者様でもタダでは済まない…か。


「お願い、だ。村の中まで俺を連れてってくれ。…それか門番さん、えっとアリさんだっけ。彼を…」


 どうにかこうにか体を動かしながら、女に振り向いてもらおうと足掻く。


 ガサガサ……


 全身倦怠感というか、とにかく体が重い。

 懸命な頑張りが届いたのか、通り過ぎていった女がゆっくりと振り返る。


「あれ。この人、どこかで見たような…」

「キャァァァァァァァァァアア‼‼」


 記憶を手繰り寄せようとした時、女は絹を裂くような悲鳴を上げて、村に向かって走り去ってしまった。


 そこで、彼は考えた。


「今、怯えられた?あ……、俺は吹き飛ばされたんだった。全身血塗れか、あらぬ方向に関節が曲がっているか。なんか、悪いことをしたな。ミネアに上級の回復魔法を唱えられる人っていたっけ。ぐちゃぐちゃの状態で凱旋って、……アークの伝説に汚点が残っちゃうじゃん」


 夢か現実か、それはさておきアークは待つことにした。

 村の外で死にかけの人間がいる。それを放置するような村民ではない。


「ふー。なんとか仰向けになれた。ずっとうつ伏せで土が口に中に入って仕方なかったんだ。それにしても綺麗な空だ。俺やったよ、アシュリー…」


 美しい青空が広がっている。

 極夜地帯にいたから、暫く見ていない真っ青な空。

 最後の決戦の直前は、別の大陸の反対側、つまりこっちの方まで禍々しい空に変わっていたという。

 つまり、この青空こそが平和を勝ち取った証。


「もしかしたら平和になったらお役御免で帰らされるのかと思ったけど、そんなことは無かったみたいだ。マリア、レプトン、みんな。俺、一足先に戻ってるぞ」


 タッタッタッタ…


 微睡み始めたアークの耳に足音が届いた。

 手も足も重すぎて動かせないが、耳はどうやら無事らしい。

 一応、霞んではいるが目も大丈夫、だと思う。


「はは。口も無事だ。流石は勇者の体だ。そういえば、何度も死にかけたんだっけ。気付いたら教会ってパターンだってあった。何度も仲間に叱られて、それでも俺は無鉄砲で。女神アリスの加護…だっけ。それがなければ俺は…」


 ドン‼


 一人、ベラベラと喋っていると、すぐ側で地響きがした。


「リリーが言ってたのはこの辺りの草むらか」


 やっと近くまで来てくれた。

 そして、成程と思った。草むらの中から、血塗れの男が助けを求めてきた。

 そりゃ、青ざめるに決まっている。


「こっちだよ。えっとその声は…。ん?あれ?今、リリーって。さっきのって母さんだった?なんとなくしか見えなかったし、リリーってそんなに珍しい名前じゃないし」


 ザッ‼


 今度は空気を切る音、草を裂く音が聞こえてきた。

 少しずつ近づいている。体を起こして知らせてやりたいが、どうにも上手く体が動かせない。


「って、なんだこれ?はぁ?どうなってんだ?」


 そして、ついに彼は発見される。

 若い男のように見えた。それに朧気だけど雰囲気で分かる。


「やぁ。アリ、久しぶ…り……」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」


 だが、彼も同じような反応を見せて、ドスドスと足音が遠ざかっていった。


「全く。臆病なところは変わってないな、アリ」


 こんなことになると思っていた。

 村の門番に立たされている彼は、とても臆病でいつもいやいや立たされていた。

 それに、そもそも魔法が使える者を連れて来てくれないと意味がない。


「でも、これで漸く伝わったかな。えっと回復魔法が使えるのって、確かマリアの伯父さんだっけ。どうしよ。可愛い姪を無理やり連れだしたって思われてて、嫌われてるんだよな…」


 そんなことを考えながら、流れる雲を眺める。

 魔王アングルブーザーを倒したから、この辺りの魔物もいなくなっている筈だ。

 今は言うなれば瀕死の状態、野良モンスターにも下手をすれば殺される状態だけど、平和になった世界なら安心して助けを待てる。

 これがあの三年間の旅の成果。


「なんか、眠い。それに遅い。やっぱ、あの事をまだ根に持って…」


 傷ついて、体に負担が来たのだろう。

 こんな状態で、もがきすぎてしまったのだろう。

 酷い眠気に襲われる。

 でも、寝てしまったら、二度と目覚めないような気もして、どうにか眠気と戦っていると。


 ザザザザ…

 タッタッタッタ…

 ドスドスドスドス…


 今度は複数の人間がやって来た。

 けれど、今回は瞼が重くて誰が来たのか分からない。

 精神もまどろみの中に片足を突っ込んでいるから、頭が回らない。

 これはいよいよ不死身と呼ばれた勇者様もお迎えが来ているのかもしれない。


 でも、回復魔法さえ…して…くれれば…


「成程。確かに人型だな。」

「ってか、バリぃぃ。おまえ、これ見て悲鳴を上げたのかよ」

「これを見てじゃない‼こいつは…」


 ん?何を言って…。それにこの声、どこかで…


 三日月よりも薄くしか開かない瞼で、どうにか状況を把握する。

 すると、ぼんやりと赤い毛と黒い毛と茶色い毛の何かが見えた。

 そして、彼は確信した。


「いや。バリの言っていることはおかしくない。こいつらは人間の真似をする。例え知性を持たぬスライムだとしても、だ」


 あ、やっぱりこれって


 ただの夢……だ………


 ドン‼…バシャ‼


 赤毛の男が振り下ろす、大きな棍棒を見つめながら、ただの悪夢だったと彼は確信した。


 そして、確信したところで深い眠りについた。

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