第10話 新学期

 2学期が始まった。重いカバンを提げて学校に向かった。心もかなり重かった。原沢の駅を降りると、改札に斎木君が待っていた。

「オッス!」

 私は黙っていた。

「あいさつくらいしろよ」

「うん」

「うんじゃないだろ。二週間も会って無いんだぞ。勝手に休んだりして心配しただろ」

「ごめん」

「それに、あれ返せよ。おまえ持って帰っちゃって、俺のお守り」

「あれは、置いてきた……」

「何だよ。美咲!」

「私……、今までの私じゃないの。もう斎木君とは、付き合わないから!」

「え、うそだろ。俺、美咲って呼べるように練習したんだぜ。二週間も待ってやっと呼べるようになったのに、いきなり別れるってどういうことだよ!」

「…………」

「美咲!」

「龍哉、しばらくそっとしといてやりなよ」

「あ、暢子!何かあったのかなあ」

「なによ、こっちが知りたいわよ。何かあったの?」

「あるには、あったけど。そんな深刻なもんじゃなかったと、思うんだけどな」

「でも、何もなかったってことはないね。龍哉、早くも失恋か?」

「そう簡単にあきらめるかよ。俺はあいつが振り向いてくれるの、二年のときから長いこと待ってたんだからな」

「な〜んだ、龍哉の片思いの相手って、初めっから美咲だったの。それは驚きだな」

「くそ、何だか解らないけど俺はあきらめないからな。明日も待ってるってあいつに言ってくれ」

「まったく、世話が焼けるんだから」

「暢子、ちゃんと言えよ!」

「はいはい」

 百戦錬磨の暢子はうかない斉木君と私の間であせりもしないで淡々としていた。

「どうしたのよ、美咲?」

「どうもしないって」

「そうかなあ、どうもしないって顔はしてないと思うけど」

「うまく話せないよ」

「まあとにかく、龍哉は明日も待ってるってさ。長いこと待ってたんだから、そう簡単にあきらめるかだって」

「斎木君、そう言ったの?」

「そうだよ、あいつの長患いの片思いの相手が、あんただったんだって。

 全く美咲みたいに真面目だけが取り柄の女にあんなにメロメロじゃ、龍哉がかわいそうだよ、美咲でなくていいなら、他にいくらでもいい女いるのにさ」

「暢子、これ斎木君に渡してくれる?」

「なに、これ?」

「お守り、私が作ったの。……もう少し待っててって言って」

「なによ、自分で渡せばいいでしょう」

「お願い」

「はいはい。もう少しってね。損な役回りだね」

 私は、自分の気持ちに整理が着くまでもう少し一人で考えなきゃと思った。時が過ぎてみれば、正太との事も大げさに騒ぐことでもないって、冷静に向き合える気持ちになってきたけど…訳も無く毛嫌いしていた自分の回りの物にようやく目が行くようになった。

「美咲、これあんたが描いたの」

「え?」

 机の上に無造作に置いたスケッチブックをひろげた暢子が言った。

「絵が変わったねえ」

「そうかしら」

「なんか優しくていいね。あんたの絵、血が通って無いって言うか、どっか置物って感じだったけど。この絵はいいわ」

「まさか……。でも楽しく描けたんだ。これ母さん」

「良かったじゃない。学校にこないし先生も心配してたけど、そうだ、龍哉の事も描いてやりなよ10月まではクラブやるって言ってたから」

「え?まだクラブやるの」

「止められ無いんだって、そりゃあ心境悪いと思うよ。クラブでもやってなきゃ」

「そうか……私のせいか」

 六時限の授業が終わるチャイムと同時に、まだ誰もいないグランドを横目に見ながら、ひっそりとした桜並木の下を足早に通り抜けて逃げ帰るように校門を出た。

 斎木君と、夏の間、一緒に歩いた道。

此処を通る度に彼がからかって遊んだ白い犬が寂しそうにしている。大きな背中越しに見ていた電信柱の看板。

 一人で、勝手気ままに歩くのが好きだった昔の私は、今や見る影も無い。強がってみたいけど私の中の斎木君は隠し切れない程、こんなにも大きくなっていた。

 バス停からバスに乗る。バスの窓からは、二人で歩いた歩道が何処までも続いていた。9月に入っても、陽射しはまだまだ厳しく、プラタナスの木が、コントラストの強い影を落としていた。

 バスから降りて駅に向かう途中で、正太と出会った。正太は髪を奇麗に整えて、制服をちゃんと着て、あの時の正太が嘘みたいだった。

不思議と嫌な気持ちも起きず、私達は静かに歩いてホームに降りた。

「正太、元にもどったんだ」

「ああ、お前に泣かれて、何かいっぱい胸に刺さったな。自分でもどうしようもないと投げてた事とか、いろんなことが浮かんできてこのままじゃあなと思った」

「すっきりしたね」

「心を入れ替えてってやつかな」

「そうか~、あの時の正太はいなくなったんだ」

 嫌な思い出の正太が私の心の中から消えていった。

「ひどかったな嫌な思いさせて」

「いいのもう、……」

「お前一人、あいつは?」

「当分一人、顔見れないんだ」

「俺のせいだな」

「私も、ひどいこと言ったよ」

「俺、こんなとこで告白するのも何だけど、美咲のこと好きだったんだ。あの頃……」

 って遠い日を思い出すような目をして、

「美咲と、同じ学校に行きたいと思ってた。美咲が普通科へ行くと思ってがむしゃらに勉強して、よし!って思った時、お前が工業に行くって聞かされてがっくりきた。折角勉強したし行けるもんなら無理してでもと思って学校決めたけど、まだまだ引きずってたんだなあ。

 お前のこと親父に聞いたとき嬉しかったけど俺もひどかったから合わす顔なんて無くてあんなことになったんだな」

「私、自分のことばっかり考えて回りの事考えるの苦手だから……」

「ごめんな、美咲。あいつと仲直りしろよ。あいつ、いい奴そうだから」

「う、うん」

「じゃあな」

 電車は寄り橋のホームに滑り込んだ。

「正太!またコロッケ食べにおいでよ!」

「ああ、またな」

 正太の後ろ姿は寂しそうだった。だけど、シャキッと変身して何か見付けようとしている姿にも見えて、私は正太に声援を送った。


 受験勉強とか、デッサンとかやりたいことはいっぱいあったけど、当分は母さんの手伝いをしたかった。おいもを洗ったり、牛蒡をきさんだりしながら、ゆっくりとこれからの事を考えていた。

「やあやあ、こんばんわ」

「あら、おじさん。いらっしゃい」

「みーちゃん、店手伝ってるのかい」

「うん、気晴らしよ」

「ありがとよ、正太も見違えるくらいシャキッとして、みーちゃんのお陰だってよ」

「へえ、正太さんどうかしたの」

「それが、髪も切ってよ、スキッとしたっていうか、ちょっと変わったな」

「なー、だから言ったんだよ!まかせとけってよ」

「まったく解らないもんだな」

「とにかく、良かったじゃない」

「ちわー、おお、みーちゃんか、久し振りだなあ」

「こんばんわ」

「いいなあ、看板娘がいると店が繁盛するだろう」

「はん、あんまり繁盛すると店が狭くていけないな」

「また、あんなこと言って」

 そんなこと言って笑ってる父さん達がほのぼのとして見えた。甘やかされただけの我が侭娘も少しは大人になったのかなあ。

「美咲、もういいから上で勉強しな。後はもう常連ばっかりだから」

「うん、そうする」

 階段を上がって雪乃の部屋を覗くと、難しそうな顔をして机に向かっていた。

「勉強してるの?」

「うん」

「がんばりな!」

「え?今日はお姉ちゃん優しいじゃん。いったいどうなってるのかね」

「あの時の正太はもういないのか……」

 突然現れて、突然いなくなった正太の顔を思い出した。

「明日、斎木君と話をしてみよう……」

 そう思って勉強を始めた。


 


 

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