第11話 生まれた街
いつもの早い電車に揺られて学校に向かった。今日も斎木君は改札で待っていてくれるだろうか。昨日電話で暢子はそんなこと言ってたけど……。今日こそは、勇気を出して話をしてみようと思った。
駅について階段を駆け上がる。改札が近くなって顔を上げても斎木君は待っていなかった。どうしたんだろうと思って、立ち止まった。まさかもう愛想が尽きたんじゃないかって…こんなに頑固な私をそんなに毎日待っててくれるわけもないか…と少し気落ちして思い、そのままバス停に向かった。足取りが重くなる。勇気出して勢いつけてきたのにな……。
バス停にもどこにも斉木君らしき人影はなかった。何だか変な感じ、そうだよね。いつも待っててくれたんだよね。私はため息をついてバスに乗った。バスに揺られながら、だんだん不安な気持ちになった。
不安な気持ちで一杯になって、考え込んでしまった。
「美咲、おはよう!」
「おはよう」
「元気ないね」
「うん、少し……」
「龍哉、今日まだ来てないんだ」
暢子がグランドを見て言った。
「うん、まだみたい。朝も会えなかった」
「そっか、サッカー部もよくやるよね。毎日毎日朝も早くから。エースが落ち込んでるから手痛いかもな」
「暢子、人形渡してくれた」
「うん、渡したよ。少しは元気でるんじゃないかと思ったんだけどな」
「そう、私、今日は一日選択の美術だから絵画教室へ行くわ」
「うん、朝から実習か……」
今日は一日実習授業で、私は絵画教室に行ったきりだった。お昼もそっちで食べて教室に戻ったのは五時限終了後だった。
「美咲!大変よ、龍哉、交通事故で足の骨、折ったんだって!」
「ええ!」
「さっき修司に聞いたの。ココに入院してるって」
暢子に小さなメモを渡された。
「交通事故!どうして」
「昨日学校の帰りに自転車で脇道から飛び出して乗用車とぶつかったんだって」
「朝……胸騒ぎがした」
「行ってやりなよ、昨日だってひどく、落ち込んでたんだから。ちゃんと仲直りしてくるんだよ」
「うん」
暢子にそう言われて、返事をしたもののどうしていいのか解らなくて途方にくれていた。 授業が終わって急いで学校を飛び出してバスに乗った。ようやく落ち着いてメモを広げると『坂崎病院』と書いてあった。
「坂崎病院……斎木君の家の方かな」
原沢の駅より向こうへは行ったことがなかった。こういうとき私って情けないんだよな。メモを見ながらトボトボと歩いていた。
「美咲!どうした?」
「正太!」
「この頃よく会うな」
「斎木君、彼が足の骨折って、入院したの」
「斎木って、あいつか?」
「うん……この病院」
「ココなら寄り橋からでも行ける。おれ前にかかってた事あるぞ」
「え?」
「坂崎方面は、原沢の駅で乗り換えるけど、電車は寄り橋を通る線と平行して走ってるんだ。向こうは海沿い、こっちは山沿いを走って行くんだ。遠そうに見えて結構近いんだぞ」
正太は頭に地図を浮かべながら詳しく話してくれたけど私にはよく解らない。
「送ってってやるよ。駅に自転車置いてあるから」
「本当?」
「急ごうぜ、早く行ってやれ!」
「うん」
二人で改札を走り抜けて、ホームに入ってきた電車に飛び乗った。正太は気がせいているのか、電車の中でも貧乏揺すりして、気ぜわしそうに車窓の景色を追っていた。私も、不安で胸の中が一杯になって、ほとんど何も話さないで電車に揺られていた。
寄り橋の駅を降りると走って自転車を出してきて、
「乗れ!」
と言った。
正太は、私の鞄を掴むと自分の鞄と二つ、前のかごに放り込んだ。
「ちゃんと捕まってろよ!思いっきり飛ばすからな」
「うん!」
ペダルを勢い良く踏むと、駅前の踏切を超えて、駅裏の細い路地に入る。そのまま何度も曲がりくねりながら行くと大きな道に出た。私は後ろで必死に正太につかまって、自転車のうねりに身体を任せていた。
道が一直線になると加速度もついてぐんぐんスピードをあげていく、町並みが途切れ、田や畑が見えてくる。用水路の横を通り抜け、国道を超えると、長く続いた見通しのいい田園風景から町の様子が一変した。
「この辺りから坂崎だぞ!」
と正太が教えてくれた。
坂崎の町は大きなハム工場や車の修理工場、運送会社や道路際まで迫った事務所など、工場町というイメージだった。
「その先だ、歩道橋を超えると病院が見えるからな!」
正太はハアハア言いながらそう言った。歩道橋から折れてスーパーの駐車場を斜めに横切り、病院の入り口に自転車を止めた。
「いそいで、受け付けで病室を聞くんだぞ。それから、美咲、必ず…あいつと仲直りしろよ!」
それだけ言うと後ろ手に手を振りながら、又来た道を戻っていった。
「正太、ありがとう!」
私は、口元に両手を当てて大声で叫んだ。
一人になった私は、病院の名前を確かめ、一度深呼吸をして病院の扉に手をかけた。小さな下駄箱にスリッパが並んでいる。靴を履きかえると一段高いフロアーに上がった。廊下は静まり返って消毒の匂いがした。
受け付けと書いてある小さな窓を開けて斎木龍哉の部屋の場所を聞いた。
「南棟の三〇二です。真っすぐ行って右に曲がるとエレベータが有りますからそれに乗って上がって下さい」
と若い女の人が教えてくれた。スリッパを突っかけながらしばらく行き、突き当たりで右に曲がった。
古い病院だった。板張りの廊下を踏んでいく時のきしむ音、すすけた壁の色、壁に掛かった肖像画、どれも不安をかきたてるものばかりで恐る恐る回りを確かめながら歩いた。 エレベータに乗ってボタンを押すとゆっくり静かに確かめるように進んで、ギューンと止まった。
扉が開く頃、ようやくドキドキしてきた。長いことろくに話もして無かった事を思い出した。暢子と正太がふたり口を揃えて仲直りしろよ。といったのも思い出した。そして斎木君の顔も思い出した。
三〇二……三〇二……三〇二……進むにつれて部屋の番号は若くなり、斎木龍哉と踊るような字で書かれた名札を見付けた。
部屋の前でもう一度深呼吸して、ドアをトントンと小さく叩いた。返事はなかった。静かに小さく開けて中を覗くと、四人部屋の窓際のベッドに人の気配がした。ベッドに近づくと斎木君が左足をつって寝ていた。
「美咲!」
斎木君は驚いて身体を半分起こした。顔にも絆創膏を貼って痛々しそうだった。
「どうした?」
どうしたって聞きたいのはこっちの方なのに斎木君はそんなふうに聞いた。
「ココまでどうやって来たんだ?」
斎木君らしい質問だと思った。私が一人で知らないところへ行けないこと知ってる。
「うん、友達に自転車で送ってもらったの」
「友達?」
私は、何でも話そうと思った。
「あいつに。前に改札で私の腕つかまえた。この前、言い合いになった時、私と同じ駅まで切符買った奴」
「ああ、あいつか、でも何であいつに?」
「あいつ、正太っていうの」
「正太?」
「うん、あいつ、幼なじみなんだ。小、中同じ学校だった。 家の常連さんの息子で、付き合ってくれっておじさんから頼まれてたの」
一気に話すと、斎木君が静かに聞いた。
「常連って?」
そうだその説明もいるんだ。
「あ、家、コロッケ屋なの。寄り橋の駅前でコロッケとか惣菜とか売ってて、夜になるとお酒飲んでく人もいて、そのお客さん」
斎木君は、焦らなくていいよ。って言うように笑って、
「まあ、座れよ」
と言った、そして、横の椅子を指差して、私を座らせると、左手を差し出した。
差し出された手に私の右手を乗せる。
一日絵を描いていた私の手には絵の具が着いていた。
「美咲の手、いつもなにか着いてるな」
って愛しそうに握った。私の掌から、私の記憶を写しとるように、同じ経験を確かめるように、私の中のものが手を通して斎木君に伝わっていくような気がした。
「あいつどこの学校?」
「原沢第二」
「そんな感じじゃなかったな」
「うん、何かやけになってるっておじさんが心配して、私に様子を聞いてくれって言ったの。でも、私あいつのことが嫌いで、父さんは父親の言うことが聞けないかって言うし、あいつはあいつで親父が頼んでくれただろうなんて言うのが信じられなくて、でも…」
「ん?」
「…本当は、ゴミゴミした町とか家とか、いつも人がいて、お酒飲んで騒いだり、そういうの全部良く思ってなかったんだなあって、私、家の事、斎木君に知られたくなかったんだ」
「家って、コロッケ屋の娘って事をか?」
「うん、高校になってからそういうの人に知られたく無いって思ったの」
「なんでさ?」
「中学の頃は言わなくたってみんなが知ってることって有ったけど、高校になったらいわなけりゃ解らないことがあるって思った」
「……」
「家は、店やってたから、余計人の出入りも多かったし、知らせたく無いことまで知ってる人がいたりするの嫌だった」
「……」
「黙ってるうちに隠してるつもりもなかった事が自分の中で、秘密になっていった……。夏休みあれからずっと家の手伝いしてたの。子供の頃はよくやったのよ、野菜洗ったり刻んだり。もう一度あの頃の私に戻ってみようって思って」
斎木君は黙って聞いていた。自分の事を人に話すのは初めてだった。
「私、心が硬かったんだなあって思った」
「心が硬いか」
「お店の人の楽しんでる声が猥雑に聞こえたり、親の心配を煩わしく感じたり、本当は全然違ってたなあって」
「良かったな、自分の生まれた場所が嫌じゃなくなって」
「うん」
「あ、俺この病院で生まれたんだぞ」
「え!本当?」
「家はこの先の鈴野ってとこで土建屋をやってるんだ。俺だってこの辺じゃ顔だぜ。知らない奴はいないな。病院で会う奴みんな知ってるぜ。入院したの18年振り。懐かしいはず無いけど、懐かしいな」
「憶えてる?」
「憶えてるわけ無いよ!」
私達は久しぶりに笑った。
「よかった。美咲が来くれて。仲直り出来そうになかったし、俺にしては珍しく気持ちが沈んでたんだ」
「あ、これ!」
枕元に、私の作ったマスコットが飾ってあった。
「彼女から貰ったんだって看護婦さんに自慢したら、そいつにも包帯巻いていった」
「身代わりお守りにならなかったね」
と私が言うと、
「大事なそいつの為に俺が身代わりになったんだって」
斎木君らしいことを言った。
「母さん心配してるといけないから、私、家に電話してくる」
「ああ」
私は、部屋を出て電話を探した。少し迷って歩いていると、人が三、四人硝子の外に立って中を覗いていた。近寄って私も覗いてみたら、生まれたばかりの赤ちゃんがベッドに四人横になっていた。眠ってる子やあくびをしてる子や細い目を開けてキョロキョロしてる子やいろんな子がいた。
「かわいーい、ちいさーい」
赤ちゃんって可愛いものだなあ……。私も、斎木君も、正太も、こうやって生まれてきたんだな。小さな指がマッチ棒みたいに壊れそうに並んでいる。硝子に張りついて見てる人達もみんな幸せそうだった。
電話を済ませて部屋に返ると、斎木君が私のスケッチブックを広げていた。
「この絵いいな……」
「どれ」
「お父さん?」
「うん、コロッケ揚げてるところ」
「娘にこんな絵描いて貰えるってうれしいだろうな」
「暢子は母さんの絵がいいって言ってくれたの。少しは上達した?」
斎木君は、自分も父親の働いている所をこんなふうに描いてやりたいなあと言って、じっと見ていた。
「足はどう?」
「入院は二週間くらいだけど、そのあと随分かかるらしい。もうクラブも終わりだ。ちょっと悲しいピリオドだったな」
「復帰早々就職活動ね。私は学校訪問。お互い忙しくなるね」
「忙しくても一緒にいような」
「暢子が斎木君のサッカーしてるところ絵に描いておけって言ってた」
「直ったら一回だけクラブ行くかな、忙しい合間を縫って」
「うん、今度は私が待ってるから」
「これからもずっと、一緒にいような」
「うん」
私は、心からそう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます