第8話 ジェラシー

 寄り橋の駅を降りると正太がベンチに座っていて癇に障った。

「どういうつもりよ!」

「さあな」

「私につきまとわないでよ!」

 叩きつけるように言う。どんなに不良じみた格好をしていても幼馴染だ。怖くはなかった。

「たまたま会っただけだよ。仲良さそうじゃん」

 私の勢いに怯んだ正太が後退りした。

「あんたに関係ないわよ。いいかげんにして欲しいわ!勝手なことを親にまで言い付けたりして」

「お前がしょってるからだよ」

「情けない、彼女くらい親に頼まないで自分で探したらどうなの」

 一方的だ。負ける気はしない。言いたいだけ言ってやると後先考えずに捲し立てた。

「うるさい!」

「きゃあ!」

 正太が私を叩いた。そして……ひるんだ私の手を引っ張ってキスした。

「ひどい……」

 ひどくおびえた顔を見て正太が怯んだ。そして、

「みんなに言い触らすぜ。お前にキスしたって。あいつにも教えてやるよ!」

 と半笑いで言った。

「最低……」

 耐えられない。こんなことになるなんて、自分の回りのものがすべてが疎ましく思えた。この町もこの駅も電車も何もかも……。

「お帰り。楽しんできた」

「……」

「どうしたの?何かあった」

「ほっとけ、ほっとけ」

 嫌でも帰る場所はここしかない。母さんの心配そうな顔も,父さんの声も何もかもが気に入らなかった。布団に潜り込んで声を殺して泣いた。悔しくて後から後から涙が出た。


 次の日から…私は学校を休んだ。

 10時頃ようやく意識を回復させて、ガバッと起き上がった。斎木君どうしてるだろう。あの喧嘩のせいだって思ってるだろうか。

 暑い、汗びっしょり。ボーと目を開けて壁を睨んだ。夏休みもあと二週間、カレンダーを見て指を折った。

「母さん、おはよう」

「なにがおはようだよ、大丈夫かい。もうとっくに陽は上がってるよ。学校行かないの」

「こんにちは、コロッケ4つとミンチカツ4つ」

「はーい、まってね」

 お客さんが来て母さんが忙しそうに立ち働いていた。

「お姉ちゃんどうかしたの。夕べは帰ってくるなり寝ちゃってさ」

「……」

「なによ、ぼんやりして」

 私は、麦茶を飲むと又二階へ上がった。なにも目に入れたくなかった。自分の存在も消えてしまえばいいと思った。遠くにトーフ屋のラッパの音が聞こえる。

「お母さんお姉ちゃんやっぱ何か変だよ」

「そっとしておいておやり、お前うるさく言っちゃいけないよ」

 下で母さんと雪乃の話す声が聞こえて来る。私……らしくない、柄にも無いことやってた。似合わないことをして自分で自分を追い込んだ。こんなにガチャガチャした下町に育って、そんなに格好よくやってられないよね。

 斎木君、本当の私はこんなもんなんだよ。情けないんだよ。と思うと。後悔しか無くて、後から後から涙があふれてきた。

 昼過ぎ正太がやってきた。

「正太、何だよその頭」

「いや、ちょっと」

「ちょっと見ない間に変わり果てて、お前、だらしねえぞ、その格好。まったく美咲が嫌う訳だよ」

 父さんから正論過ぎる言葉をぶつけられて益々正太は罪深い気持ちになった。

「ちょっと待ってね。美咲!正太さんが来てるよ」

「え、美咲いるの?」

「何だよ美咲に用があるんじゃないのかよ。昨日から口も聞かないよ」

「そうなのよ、学校も行かないでボサッとしてるのよ」

 逃げる気はなかった。こんな奴に負けたくない。

「美咲、あんた大丈夫なの。食事もろくにしないで」

「大丈夫だよ」

 私は正太と外へ出た。距離をおいて後ろを歩いた。

「学校いかなかったんだって」

「ええ、いい気味でしょ」

「そんな言い方するなよ。お前にあやまろうと思ってきたんだ」

「あやまるって何を。もういいわよ」

「お前があいつとあんまり仲良さそうだったからつい……」

「もういいって」

「美咲!」

「いいって言ってるでしょ。いいのよ夢みたいな話だったんだから。私が恋するなんて柄にもないことしたからバチが当たったのよ。こんな私が人並みに恋するなんて笑ってんでしょ」

 涙が後から後からこぼれてだんだんかすり声になった。

「おれ…」

「正太私にキスしたんだよ。なんの腹いせか知らないけど、もう斉木君には会えない。話なんか出来ない。嘘もつきたくないんだから」

「ごめん…」

「いいよ。もう…いいんだよ」

 私は下駄を鳴らして家と反対の方向に走った。走りながら色々考えても、堂々巡りでどうにもならないけど、正太のことなんか忘れて吹っ切ろうと思った。あんなことで事態は変わるはずもない。好きになるなんてありえない。

 でも、今…斉木君には会えない。


「母さん手伝うよ」

「まあ、珍しいね」

「何すれば良い?」

「じゃあ、そこの大根洗っておくれ」

「これね」

「ええ!今度はお姉ちゃん、母さんの手伝いなの…雨降るよ。

 ま、丁度良いか蒸し暑いから」

「雪乃!」

「おっかなーい」

 雪乃は上がり端に腰掛けて無駄口ききながら状況を見守る。

 私は久しぶりに店に立った。母さんの横で大根の皮をむいた。考えれば中学の頃は母さんと店番したり、味見したり店にいることが多かった。けれど、高校になってから店に立つことはなくなった。

 家には帰って寝るだけでほとんど外に出ていた。1、2年はクラブに明け暮れ、引退してからは勉強勉強と無理にこの家を遠避けて来た。

 母さんも優しい。父さんも良い人なのに、私一人心を石みたいに硬くしてこの町を疎ましく思っていた。

「学校行かなくて良いのかい」

「うん、しばらく家で勉強する」

「そう、無理に手伝わなくて良いから」

「気晴らしよ。運動不足だから」

「美咲がお店にいるとよくお客さんが来たよね。誰それのお母さんが来たり。あの頃はお父さんも直ぐどっかへ飲みに行っていなくなったりしたから、本当に助かったんだよ。この頃その元気もなくて母さんは助かるけどね」

「私、手伝うの好きだったよ。お店屋さんごっこみたいで」

「最近、駅前の店も子供があとを継ぐところが無くなって、年寄ばっかりで店を畳むところもあるからね。家みたいにコロッケ屋くらいならバイトも雇えるけど、ふとん屋とか家具屋は難しいらしいよ」

「そうなの、そうだ。明日母さんが仕事してる絵を描こうかな」

「へえ〜そのうち高く売れるかもね」

「そんな、母さんがめついよ」

「明日、美咲が私を絵に描いてくれるんだって」

「そりゃあ凄いな。額に入れて飾らないとな」

 父さんが目を細めた。私は随分長いことこんな気持を忘れていた。石膏像にばかり気を取られて生活感のある絵を描く気持ちを失っていた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る