第7話 ジンクス

 次の日曜日、私達は原沢の駅で待ち合わせてそこから地下鉄に乗った。初めの計画では、遊園地に行こう。といって計画していたけれど、それは変更して動物園に行くことになった。動物園は幼稚園以来行ってないから行ってみたいと私が言ったのと、

『遊園地は初めてのデイトで行くと別れることになる』

 って言う当てにならないジンクスを斎木君がどっかから聞いて来て慌てて変更になった。

「今回は学校の事も何もかも忘れて思いっきり楽しむんだぞ」

 って前以て言ってくれた斎木君の優しさを感じて、小さなメモ代わりのスケッチブック一冊と色鉛筆のシャープペンを入れて、後は置いていくことにした。代わりに、この前の誕生日のお礼にと密かに作った人形をバックに忍ばせて。

「親にちゃんと言って来たか?」

「うん、母さんにだけ。父さんはうるさいから内緒。斎木君は?」

「俺は照れ臭いから初めっから内緒」

「誰にも?」

「ああ」

 普通に話せばいいのになんとなくぎこちない。何を話せば良いのか頭がショートしそうだった。

「私服で会うの初めてね」

「そうだな。さすがにセンスいいよ。いい色だな」

「これ?」

「うん、バックと合ってるし」

「あ!そういえば、去年の学園祭、お前私服だった!」

「ええ?」

 そうだっけか?珍しく私服で登校したっけ?

「たしか、白いTシャツにジーンズのスカートにチェックの上着。グレーと茶の」

「……?」

 まさかその頃もストーカーしてた?

 斎木君はポケットから定期入れを出しながらすごく詳しく説明した。

「よく知ってるだろう。本当だろ、ずっと見てたって。実は……ジャーン」

「うそ!これ私?」

「そう写真部のやつにもらったんだ」

「ほかにも有るの?」

「うん、私服のはこれだけだな。貴重な一枚だぞ」

 返してと彼が手を出したから。懐かしいなあとしばらく眺めて笑って返した。写真は又、彼のパスの中に、ずっと長い間、そこに有ったように、戻っていった。

 車内は、人もまばらで幾つも席が空いていた。それまで四人掛けの窓側二つに座って写真を見ていた私達は、その時彼が立ち上がって、片方の椅子を倒し、二人掛けにして隣同士で座った。

 学校帰りの二人とは雰囲気が違う。彼が私の手を取って両方の手で、指を触ったり、握り直したりして戯れていた。

「前から聞きたいと思ってたけど、お前好きな奴とかいなかったの?」

「本当のこと言うの?」

「あ、嫌だったらいい」

 クスッ…、

「私中二の時片思いの子がいてね。隣のクラスの子。新聞クラブが一緒で学年新聞作ったりしてたの、お互い無口で話す事もなかったんだけど。三年になっても好きだった。でも、クラスが遠くなってしまってね。益々会うことも無くなって、そのままだった。

 そしたら受験すんで学校に来たら。同じ高校に合格してたの。びっくりでしょ。

 一年の体育祭の時に、すれ違ったの、話をしてみようと思ったけど声にならなかったな。それで、それっきり」

「なに科?」

「建築」

「初恋って感じ?」

「ううん、初恋は幼稚園の時。すごく好きで積極的だったんだよ」

 恋に恋してた私は、片思い遍歴ばかりだった。

「まさか?」

「学区が違う遠い所から来てる子でね。小学校は別々になること解ってたんだ。中学校になったらまた会おうね。って約束して別れたの。年長さんでよ」

「何かすごいな」

「でしょう。幼稚園だからって馬鹿にできないわよ」

 遠いあの頃本気で恋した。淡すぎる思い出。

「会ったの?」

「会ったよ。わざわざ会いに行ったの。その子のクラスまで、そしたら全然感じが変わってて……」

「失恋したの?」

「うん、勝手に、あれは失恋だね」

「おもしろいな」

「斎木君は?」

「俺はお前が最初」

「え?まさか……」

「本当。本当なんだ。みんな疑うけど」

「ねえ、今まで好きになった人いないの?」

「ああ」

 それも驚き。しかもそれが私って大丈夫かなあ。でもそれより、

「みんなって、誰が知ってるの?」

「そりゃあ、サッカー部の奴とか、この写真くれた奴とか、知ってる奴は知ってるよ」

「そうなんだ、なんで私だけ知らなかったんだろう」

「そりゃあ、お前が鈍感だからだろう、今までも泣いてる奴いたと思うよ」

「また……」

 斉木君は話がうまい。聞きたくなる話し方をする。

「俺、女には誰にも言わなかったからな」

「そうか、だから私の耳にも入らなかったんだ」

「女はうるさいからな。すぐに広がる。でも最後は、修司と暢子に助けてもらったな」

「斎木君のこと、龍哉って呼ぶでしょう。うちのクラスの暢子なんかも、止めてよって言ったら、みんなそう呼ぶって」

「お前もそう呼べは?」

「いやよ、みんなと同じなんて。私だけ斎木君って呼ぶわ」

「変な奴」

「私のこと美咲って呼ばないの?」

「練習中」

「どうやって練習してるの」

「家で密かに自主練」

「まさか……」

 私達は、バカなことばかり言い合って笑いころげていた。龍哉っていい名前、私好きなんだ。大事にしたい名前なのにみんなが呼び捨てにして、それが嫌なんだ。斎木君は相変わらず私の事をお前って呼んだ。

「あ、そうだこれ、渡すの忘れてた」

「なにこれ?」

「この間の八色ペンのお返し」

「そんな、お返しなんて……」

「開けてあげるね」

「……」

「ほら」

「なに?」

「斎木君、胸に龍って書いてあるでしょ」

「こりゃあすごい、お前が作ったの」

「うん、小さく作るの大変だった」

「サンキュウー」

「お守り、どっか目立たないところに付けておいて、あ、今は私が預かっておくね」

 久しぶりの動物園は暑さのためか、割とすいていた。風船を持った子供や、噴水で歓声を上げる子供たち。夏の陽射しが何処までも強く照りつける熱い土。ふじ棚の下の影が、唯一憩いの場になっていた。

「あのゴリラずっと日陰の中にいるね」

「暑いからな、水浴びしたいよな。そうだ、今度はプールに行こうか?」

「プールちょっと自信ないな」

「泳げないのか」

「違うよ。水着姿見せられない」

「なんでお前スタイルいいよ」

「うそ、太いよ、腕とか胸とかも」

「男は太目が好きだぜ。なあ?」

『ゴッホ、ゴッホ、キー』

「ほら、ゴリラもそう言ってる」

 ゴリラがなにを思ってるか解らないけれど、斎木君は、ゴリラの前ではゴリラになったりキリンの前ではキリンになったりして私に色々言う。私には聞こえないものや、見えないものが見えるように……。

 お昼に入った園内のカフェテラスは、吹き抜けの高い天井に大きな扇風機が回っている静かな白いお店。店内には沢山の観葉植物が置かれていて冷房の風で、微妙に細かく揺れていた。

 斎木君は、ソーダとオムライス、私は、ミルクティーと、ミックスサンドを食べた。二人でゆっくり食べた初めてのランチは日記に記憶しておかなくてはと思った程、私の歴史始まって以来の特別な味がした。

「楽しかったか?輝かしい初デイトは」

「うん、だけど…動物園にも、遊園地があったね」

「それそれ、観覧車が見えた時はヤバイって思った」

「大丈夫よ。そんなの」

「そうだな、お守りももらったし」

「いっぱい歩いたね」

「疲れたろう。お前は、いつもどっかに閉じ篭もってるから」

「うん」

 帰りの電車、私達は手をつないで眠った。

 駅に着いて飛び起きて、電車を降りてそのまま改札に向かった。

「今日は送っていくよ」

「いいよ、ここで。駅に着いたらもうすぐだから」

「心配とかじゃなくて、お前を送って行きたいんだ」

 私は、此処から先は斎木君に来て欲しくないと思った。入って欲しくない、見て欲しくない領域って、何かが斎木君を拒絶していた。

「よう、また会ったな」

「え?」

 正太だ。なんでここで…

「なにか用か」

「自分たちだけ楽しんで、見せ付けてくれるよな」

「斎木君、止めなよ。相手にしないほうがいい」

「どけよ、俺は切符を買うんだ。寄り橋、寄り橋、あった、あったお先に」

「…………」

「お前、あいつのこと知ってんだろう」

「知らない」

「今、顔色かわったって。俺そんなに鈍感じゃないからな」

「そんなこと無いって」

「あいつ、お前の降りる駅まで切符買ったじゃないか」

「……」

「この前だって、何かありそうだった」

 孫権な顔で問い詰める斉木君になにも話したくなかった。

「何も無いわよ!あるわけ無いでしょ!知らないものは知らないわよ!」

「美咲!ちゃんと話せよ」

「話すことなんて無い」

 って言ったら斎木君の顔がこわばった。

「解ったよ、じゃあな」

「あ!」

 斎木君を怒らせた。だけど正太の事なんて言いたくない。絶対言いたくない。泣きそう、悲しい、こんなことになるなんて。

 斎木君は、振り向きもしないでどんどん遠ざかっていった。


 

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