第5話 掃き溜めのツル
「じゃあ学校行って来るね」
母さんから水筒をもらってカバンに入れる。
「お前あんまり無理するなよ。勉強ばっかりしてると、嫁の貰い手がなくなるぞ」
「またお父さんはそんな事ばかり言って、でも美咲、たまには友達と映画見たりして気晴らししなよ」
「うん、じゃあね」
ガラ、ガラ、ガラ、父さんが全開にしてくれたシャッターをくぐって通りにでる。
「やあ、みーちゃん!おはよう。今日も早くから学校かい?」
「うん、」
「精が出るねえ。真面目だよねみーちゃんは。頑張っておいでよ」
向かいの八百屋のおばあさん。野菜の仕分けが終わってみんな奇麗に並んで光ってる。いつもそれが終わると道路に水をまいて準備完了。開店前の町並みは、すがすがしくてガラーンとしてて、唯一、私の好きな時間だった。
「いってきまーす」
「はい、はい、」
今日も良い日。いつもどおりの静かな空気が流れている。こんな日が好きだ。何にもなくて爽やかな日。
電車に乗ると向こうから、背の高いヒョロっとした男が近づいてきた。
「よ!」
「……」
「解らないのか、ひょっとして」
「……」
私は気味悪がって後ずさりした。
「美咲だろ、俺」
そう言って自分に指を差す。
「正太?」
まさか…朝から一番会いたくない奴に会ってしまった。
「そうそう、久しぶりだな」
正太は少し髪を染めて、VネックのTシャツを着て、少しよれた感じで、どう見ても好印象とは言えなかった。
「どうしたのよなんか変じゃない?」
「どっか一緒に行こうぜ」
無遠慮に近づく。
「え、まさか、行かないわよ。何言ってるのよ!」
「怖いな、親父がお前が奇麗になったってうるさいもんだから、眠たいの無理して起きて駅で待ってたんだぜ。そしたら前をスーと通り過ぎるもんな。まったくよ、わざと無視したのかと思ったら本当に解らなかったんだな。
そんなに変わってねえじゃねえか。俺にはすぐ解ったよ」
「あんたは変わったわね。全然わかんなかったわ」
「そうかなあ、大して変わったとは思わないけど」
正太は髪をかきあげて上から見おろすように私を見た。
「髪染めてるの」
「寝てるうちに友達にやられたんだよ」
「似合ってないわよ」
「へ、相変わらずそっけ無いな。親父が頼んでくれたんだろ、俺と付き合ってくれって」
「……」
「おい!」
「そんなこと引き受けた覚え無いわよ!」
「何だよ。だいたい夏休みに制服着て何処行くのさ」
電車がホームに飛び込んで、ドアが開いた、私は無我夢中で駆け出すと足早に階段をのぼった。正太はひつこく追い掛けてきて改札で私の腕を掴んだ。
「やめてよ!」
私が大声を出した時、改札にいた斎木君が、驚いて私のほうに寄ってきた。
「どうしたの」
「ううん、何でも無い」
「ちえ!」
罰が悪そうに正太が離れた。
「大丈夫?」
「うん、急に追い掛けてきて……、どうしようかと思った。今日は早かったんだね。いてくれて良かった」
息をハアハアさせていた。
「知ってるやつ?」
「ううん」
激しく頭を振って、とっさに嘘をついた。知ってる奴だなんて思われたくない。斎木君は振り返り少し曇った顔で、正太の離れていく後ろ姿をじっと眺めた。
「そう、行こうか」
「うん」
「ああ、今日、お前の誕生日だろう」
「え?」
「八月八日。そろばんの日」
「それ覚えてる。よく言われたパチパチって」
「早く会いたくてさ。いつもより1本早い電車で来て、待ってたんだ」
「私、自分の誕生日忘れてた…」
「おめでとう。十八だな」
斎木君はリボンのついた、小さな包みを私に渡してくれた。
「ありがとう、嬉しい。開けても良い」
バスの中で、私は静かに包みをあけた。
「わあー、これ、色鉛筆の?シャープペン?」
「そう、前に見付けて、誕生日に絶対お前に渡したいなって思ってたんだ」
「あの……。今日からお前は止めて」
私は急に、決意したようにそう言った。
「え、じゃあなんて呼ぶんだ」
「美咲でいい」
「お前の方が呼びやすい……あ、で、でも、そうする、練習してな」
嬉しかった。誕生日を覚えててくれただけでも嬉しいのに、プレゼントまで……。
色鉛筆はノック式の八色ペン。色鉛筆のしかもシャープペン、それが私のなんだ。見たこともない気がして嬉しかった。
美術室でカチカチと音を立てて、机に肘をついて遊んでいたら遅れて暢子がやってきた。
「美咲どうしたのニヤニヤして」
「これプレゼントにもらったの」
「えー、龍哉に」
「龍哉って言わないでよ!私だって斎木君って呼んでるのに」
「プッ、良く言うよ。新参者が〜この間まで知らんぷりして龍哉を泣かせてたくせに、私、正課クラブ一緒なんだ。同じクラブの子はみんな龍哉って呼んでるわよ!」
知らないことばかりに呆れる。そうだ、改めて思う。私は何も知らないんだ。
「ねえ、ねえ、クラブではどんな感じ。みんなに人気ある」
「あった、あった。あったけど、あいつずっと片思いしてる子がいて、どんな可愛い子が告白したり、付き合いを申し込んでも、全然上の空でみんな撃沈。持てたのよ1,2年はね。みんな相手にしてもらえずに涙を飲んで諦めたのよ」
「へえー、そう」
「そしたらさ、今年になってどうやら美咲に目を付けたらしくてさ、修司に相談してきてそれで、私も一肌脱いだって訳よ。
まったく秘めた恋だなんて言ってて、男なんて勝手なもんよ。あんたも気を付けなさい。いつ心変わりするか解ったもんじゃないんだから」
「そうだね」
薄ら笑いしながら答える。それ、それ、ずっと私だったんだって言わないけど心で思って、後はニタニタしてた。そうか、だからみんな諦めてて大した騒ぎにもならなかったんだ。ずっと思われてたのがこの私…信じられないけど。そういう事らしい。私はシャープペンを筆箱にしまってカルトンバックを開け始めた。
「美咲、学校決めたの」
「ううん、まだ。……一度休みの間にいろんな学校見てこようかと思ってるの」
「美咲、成績いいからな」
「今だけよ、高校に入ってようやくがんばろうって気になって、何かむきになって勉強してるって感じなの」
「私、推薦もらって行ける私立にしようかなって思ってる」
「暢子はいいよ。美術の成績いいもの、私は実技いまいちだから、二学期になったら先生に紹介してもらってデッサンの予備校へ行こうかなって思ってるんだ」
「まったく頑張るわね。デイトする時間、無くなっちゃうよ」
「いいの、それより今は学校のこと考えたいし、斎木君とはゆっくり時間を掛けて考えていけたらいいと思ってるの」
「龍哉も苦労するね。こんな真面目と付き合ってるんじゃ」
「だって、デイトっていっても、何処へ行ったらいいのかよく解らないし、学校の帰りに一緒に駅まで歩くくらいが調度いいな。私、鈍臭いからあんまり長く一緒に居ると、ボロが出そうで怖いんだ。……暢子は竹原君といつもどうしてるの」
「どうって事ないよ。二人ともお金ないから映画なんてそうそう見に行けないし、選択が違って学校でも一緒にならないし、この頃会ってないな。夏休みに入ってから学校にもこないんだ」
「そう」
「美咲はいいよね。いつも一緒でさ」
「そうだね」
そうだね。そう言った自分に驚いた。この時期に誰かと付き合ってしまうなんてマズイ事、解ってるのに肯定する自分がいるのが言いようのない違和感だった。
窓から外を見ると、サッカー部がグランドいっぱいに広がって練習をしている。斎木君が大きな口を開けて笑いながら何か叫んでいる。いつも明るく元気だ。もう少し早く出会っていたら、そんな斎木君の姿を飽きるほど見てられたのに。もう残り一ヶ月も無いなんて寂しいな、それから先は私達はどうなるんだろう。斎木君は会社訪問に行くのかな……。どっちにしてもゆっくりできる時間はそんなに無いんだと思った。考えすぎないで今だけ…でも良いやとそう思った。
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