第4話 コロッケ屋

「ただいまあ」

 店から入るこの帰り方が我が家の日常で、学校から戻るとここを通り抜けて厨房を左に見て部屋に上がる。家族全員平均的体格だから良いけれどいつか通れなくなる日が来るんじゃないかと妹は心配している。

「あ、おかえり」

 母さんは人柄が最高に良い人だ。どんな日も安定している。忙しくても私をよく見て気にしていてくれる。

「お!おかえり」

 私が学校から帰るこの時間、今日も常連さんが店の奥のちょっとしたテーブルでお酒を飲んでいる。父さんが明日の仕込みをしながら対応する。こうやっていつも誰か家に居座っている。

「いらっしゃいませ」

「よー、みーちゃん大きくなったなあ。何年になったんだ?」

 指でWの合図。

「美咲、ちゃんと口で言いな」

 笑顔で返す。でも、私は自分の店の客を心のなかで拒絶している。この雑多な雰囲気が嫌でここを通るたび息をつまらせる。

「三年か、俺も歳をとるよな。みーちゃんがこんな小さい頃。よく家の正太と一緒に電車を見せに行ったもんだがな」

 正太の父親は手のひらを下に向け頭を撫でる仕草をする。

「正太、元気にしてる」

 それでも自分の家の生業を贔屓にしてくれるお客さんだから、何食わぬ顔で話を返す。

「また呼び捨てにして!もう大きいんだから正太さんとかちゃんと呼びなよ」

「なによ、今さら」

「はは、まあまあ正太は夏休みになったってんで毎日遊び呆けて家にいないよ。

まったくいくつになったんだか、自分の子の成長は、あんまり自覚ないけど、よその子は大きくなるもんだな」

「何言ってるのよ、正太さんだって同じ歳なんだから、ようするに自分の子の歳を気にしてないってことじゃないさ」

「はー、男親なんてそんなもんだよ」

 ここにいるおじさんは残念だけどいつもお酒を飲んで酔っている。冗談しか言わない。そういう一人だった。

「おじさんゆっくりね」

 適当な相槌だ。関わりたくない。この場を早く立ち去ってしまいたい。

「ああ、ありがとよ」

 我が家は、駅前のアーケード街で小さなコロッケ屋をやっている。駅からひとっ走り雨の日も傘をささずに家まで帰ることができる。

 まだ商店街が賑やかだった頃父さんと母さんがふたりで初めた。この頃は、シャッターの閉まった店も多い中で細々ながら営業を続けられている。今さらこのあたりを本格的に再開発しようなんて話は起きない。このままなんとか駅前の利便性だけに依存して自力で営業を続けるしかない。

 無口な父さんがコロッケやカツを揚げて、愛想の良い母さんが惣菜を作って売っている。コロッケは美味しい。正真正銘じゃがいもから蒸かした父さんの手作りだ。近所のひとり暮らしの高齢者の方たちから便利がられて贔屓にしてもらっている。それだけはやっていて有難い気持ちになる。最近は駅前も新しいアパートが増えて新婚さんやひとり暮らしの学生も増えてきた。

 夜になると馴染みのお客さんがやってきて、ついでにお酒も飲んだりして、長居していく。正太のおじさんには、随分会って無かったけど、そういう人が何人もいて、小さい頃からの私を知っているから…家に帰ると絡んできて、関わり合いになりたくない反応が邪魔をする。ずけずけ言ったりつっけんどんな態度をして、言いたいこと言ってるふうなのに気を使う、気ままに振る舞っている学校の私とは違う。

 慣れ親しんだ町は居心地がいいはずなのに、本当の自分がどんな自分なんだかわかん無くなって、素直になれない。

「斎木君就職するのか……」

 新しい情報を整理して呟く。

「お姉ちゃん何か言った」

「ううん!なにも」

「お姉ちゃん、毎日学校で何してるのよ。夏休みだって言うのに制服着ちゃってさ」

「美術室でデッサン。うちの学校たいていの事は適当なんだけど通学だけは制服着用なんだよね」

「ねえ、ねえ、私、夏休み前の模試良くってね。良くったって、私にしてみればよ。志望校絞るのにいろいろ考えてるんだ」

「そう……」

「お姉ちゃんの学校どんな感じ?」

「怖い男子いっぱいいるよ、工業高校はほとんど男子校だからね。やりたいことあるなら構わないけど、普通科とは違うわよ」

「もてる?」

「ぜーんぜん」

「でも女子少ないんだから、大事にしてもらえるんじゃない」

「そんな事、ないって、甘いよ。今時校内で付き合ったりしないんだよ。ほらうちの学校すぐそばに私立の女子校があるじゃない。そこの女子と付き合ってる子多いわ。あそこの制服は可愛いからね。みんな上品に見える」

「そっかー」

「そう言うの期待して学校選んだりするの止めなさいよ!」

「コワーイ!」

 姉としてなるべく大きな釘を刺す。まったく今時の中三は何考えてるんだか、もっと純粋に進路を考えるべきよ。私なんて高三になって始めてこう言うことになったんだから……。今はまだ半分余計なことをしてるとしか思えない。斉木君が良い奴だから成立してるけど…

「美咲、夕食の支度手伝ってー!」

「はーい!今着替えていく。……雪乃もおいで、どうせろくな事やって無いんだから夕食の手伝いくらいしなさい!」

「もう今、CD聞いてるのに…」

「そんなの後だって出来るでしょ」

「まったく、お姉ちゃん自分がモテないもんだから私に八つ当たりして」

「雪乃!」


「正太の親父、美咲が奇麗になったって驚いてたぞ」

「そんな言い方止めてよ」

「正太のやつ、無理して上の学校行ったもんだから、大学入試でつまずいてるらしくて調子良くないんだってさ」

 だからなに?

「美咲、今度息抜きに誘ってどっか行ってやってほしいってよ」

「嫌よ、そんなこと」

「嫌って、お前、幼なじみだろ、苦しいときはお互い様だぜ」

 こういう話は神経を逆撫でる。一番嫌いな話だ。

「正太がどうしたっていうのよ」

「そんなこと親には解らないから、お前に頼みたいっていってるんじゃないか」

「お姉ちゃんチャンス!」

「うるさいよ雪乃は」

「何よチャンスって」

「なんでもないよ」

 正太がどうなろうと私の知ったこっちゃ無い。だいたい中学時代から印象は最悪なんだ。私の事なんかいじめてばかりで、高校が決まった時も自分は普通科へ行くとか言って上から目線で、私が工業に行くって言ったら、なんで普通科に行かないんだって頭からバカにして相手にしなかったじゃない。

『今更何よって感じ。もう嫌だ。せっかく良い一日だったのに。最後が良くなかった』と、ぶつぶつ文句言いながら部屋に上がった。嫌悪感が押し寄せる。いつまでも子供じゃない。私はわたしの道を自分で切り開きたいんだ。

 窓につるした風鈴が、小さな音を立てている。下からは、父さんがいつまでも見ているテレビの音がやかましく聞こえる。

 私の町は駅前の下町。昔に比べて閑散としているとは言え人通りも多くて、人の出入りも激しい。知ってる人がやたらと多くて、しんみり出来るのは私のこの部屋の中だけだ。

 お客さんに嫌な顔は見せないけれど、心の中では受け入れてないものが多かった。私、二重人格なのかも知れないな……。父さんも母さんも朝から忙しく働いているのに、私だけスンとして図書館や美術館通いして。

 一人で静かな時間が欲しい。絵の勉強もしたいし、そして、一度この町を出て一人で暮らしてみたいと思っていた。短大か大学に行って、もっと他の世界を見て見たいって。もともとレベルの低い私が、大学へ行こうって言うんだから、がんばって推薦を貰わないとと思っていた。クラスの上位にいないと自分の将来は無いってしがみついてた。

    

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