第126話:破竹の勢い
天文十八年(1550)11月5日:越中富山城:俺視点
天下を統一すると決めてから、破竹の勢いで諸国を平定している。
特に晴景兄上と朝倉宗滴殿の働きが際立っている。
五万人の侍大将となっている五将も同じように武功を挙げている。
どうしても時間が必要なのは、治安を悪化させる野伏の討伐だ。
山奥に根城を持っている連中なら簡単に見分けられるのだが、普段は普通の村人として生活している連中が、好機が来たら野伏になるから見分け難い。
戦国乱世で生き残るためには仕方のない事だったのだろうが、俺の治める世の中は、力ではなく法と道徳を優先する、農民と野伏の兼業は許さん!
因幡と美作と備前を降伏臣従させ、国人地侍を軍勢に組み込みこんだ。
耕作を優先する者は領地に残し、俺に仕える気のない者も領地に残った。
そこに独りで商いする行商人に偽装させた陰の諜報衆を幾人も送る。
行商人に偽装した諜報衆を守る武闘派諜報衆をつけて。
独り旅の行商人を襲う者を誘い出し、個人も村も関係なく捕らえて奴隷にする。
卑怯下劣な者は徹底的に探し出して捕らえ、死ぬまで船の櫓をこぐ奴隷にする。
備中と伯耆を降伏臣従させたら、そこでも野伏狩りをやった。
行商人はもちろん、民も安心して暮らせる太平の世を築く!
晴景兄上は少々焦っていたようで、虎千代、長尾維虎を討ち取ろうとした。
だが、長尾維虎に付き従う兵などいない。
銭目当てでついていた連中も、俺の軍勢と戦えと命じたらその日の内に逃げ散る。
安芸毛利家に仕えている者達も、俺の軍勢と戦うとなったら逃げ散る。
死んでも忠義を尽くす忠臣がいても、その忠臣に戦わされている地侍や領民兵まで同じ気持ちとは限らない。
末端の領民兵や地侍ほど俺に仕える方を選ぶ。
実際、長尾維虎は晴景兄上と戦う気で安芸吉田郡山城を出陣したのだが、夜営した翌日の朝には、俺がつけた諜報衆以外の足軽が全員逃げ散っていた。
家族がいる足軽は、家族と一緒に逃げる者が多かったそうだ。
残った家族持ちも少しだけいたそうだが、とても戦える人数ではない。
長尾維虎は恥を忍んで吉田郡山城に戻り小さくなっているそうだ。
だがそれは毛利本家に味方していた備中や備後の国人地侍も同じだった。
晴景兄上と朝倉宗滴殿が備中と伯耆に侵攻すると、国人地侍が降伏臣従してきた。
まだ晴景兄上と朝倉宗滴殿の援軍が遠い間は、毛利や尼子に忠誠を尽くすふりをして、毛利や尼子の討伐されないようにしているが、近づくと降伏臣従する。
晴景兄上と朝倉宗滴殿が備後と出雲に侵攻すると、これまでと同じように、貧しく苦しい生活をしている百姓兵や地侍が降伏臣従してくる。
朝倉宗滴殿は尼子の本拠地、月山富田城を囲んだ。
尼子晴久には士心を掴む魅力があるのだろう、三千兵が籠城した。
並の大名や有力国人なら百兵以下、多くても五百兵しか残らない。
晴景兄上は降伏臣従してきた備後の国人地侍を再編成した。
小早川隆景が迎え討とうしたそうだが、兄上と対峙したとたん裏切られた。
それどころか、これまでの悪行の報いで家臣に刺殺された。
小早川隆景が養子に入ったのは竹原小早川家だ。
小早川家の本家は沼田小早川家で、当主は眼病で視力を失った小早川繁平だ。
毛利元就と小早川隆景は、何度も刺客を送り小早川繁平を殺そうとした。
本家を乗っ取ろうとしたが、忠臣達が命懸けで防いでいた。
命懸けで小早川繁平を守り続けていた田坂全慶らによって小早川隆景が殺された。
主君小早川繁平を殺そうとした、乃美隆興と景興の父子と一緒に、膾のように切り刻まれて殺された。
晴景兄上は俺の方針を守り、備後の名門山内首藤氏の山内隆通はもちろん、小早川隆景を殺した沼田小早川家も五百貫以内とした。
沼田小早川家の執政、田坂全慶も五百貫以内だ。
田坂全慶以外の沼田小早川家譜代衆も、全員俺の家臣で同列だ。
備後を野伏狩りの諜報衆に任せた晴景兄上は、国人地侍の編成を配下の侍大将に任せ、足の速い騎兵隊だけを率いて急ぎ安芸に侵攻した。
安芸東部に領地を持つ国人地侍と備後の国人地侍を率いて、晴景兄上を迎え討つはずだった小早川隆景が、家臣に裏切られて殺されたのだ。
従軍していた国人地侍は、安芸に大切な人がいない者は、降伏臣従した。
降伏臣従したら、晴景兄上が安芸を制圧する前に大切な人が殺されると思った者は、安芸に逃げ戻って田坂全慶らの裏切りを訴えた。
吉川元春、宍戸隆家、熊谷信直、福原広俊、桂元澄、志道広良、仁保隆在らが兵を率いて迎え討とうとした。
吉田郡山城や各国人の城を出陣した時には、地侍や百姓兵はもちろん足軽も、命令通り晴景兄上を迎え討つ忠誠があるように見せかけていたそうだ。
だが、毛利勢が高山城を囲んだ途端、百姓兵や地侍が裏切った。
吉川元春や宍戸隆家たちの首を取って、降伏臣従する手土産にしようとした。
何故なら、晴景兄上は、味方してくれた沼田小早川家の小早川繁平を守るために、急いで高山城に入っていたのだ。
吉川元春は、少数で安芸に入り込んだ愚かな晴景兄上を討ち取り、俺の軍が常勝不敗ではないと、配下の国人地侍に知らしめようとしたのだろう。
だがそれは、自分達が行ってきた悪行を軽く考えた愚行だった。
裏切りを決めた家臣を率いて死地に入る事になった。
裏切る機会を謀っていたのは、吉川元春の養父、吉川興経だった。
叔父の吉川経世を始めとした家臣達に裏切られ、無理矢理吉川元春を養子にさせられ、隠居までさせられていた。
吉川興経と毛利元就一派の間では、吉川興経の実子、千法師を吉川元春の養子にして跡を継がせるという血判起請文が交わされていたが、興経は信用していなかった。
毛利元就のこれまでの言動を思い出せば、信じられるはずがない。
吉川興経は、自分は兎も角、千法師だけは助けたかった。
戦略眼や政治力に乏しく、当主としての器量には欠けていると家臣達に責められ、当主の座を下ろされた吉川興経だが、武勇には優れていた。
だからこそ、養子の吉川元春と正面から戦う事ができた。
気性が荒く、前世では猛将とも言われていた吉川元春だ。
自分が殺そうとしている吉川興経を相手に油断していなかった。
弟の小早川隆景が家臣に謀殺されたばかりだ、十分警戒していた。
だが警戒だけでは駄目なのと、先手を打って動かないといけない。
俺なら出陣前に吉川興経を殺している。
出陣前に養父を殺したら、配下が動揺すると思ったのだろうか?
吉川興経を殺しても殺さなくても毛利の滅亡は変わらないのに、愚かな事だ。
猛将と呼ばれる吉川元春だけは吉川興経に殺されなかったが、宍戸隆家を含めた多くの重臣が家臣に殺され、軍勢は総崩れとなった。
吉川元春が吉田郡山城まで逃げられたのは、城を囲むために外にいたからだ。
直卒の軍勢の中に数多くの安芸一向衆がいたからだ。
他の国なら百姓兵と地侍全員が吉川元春達を狙い、確実に首を取っていた。
だが俺を恨んでいる安芸一向衆が数多くいたので、乱戦となって逃げられた。
晴景兄上はこの好機を見逃さなかった。
騎兵隊を率いて城から討って出て、毛利勢を散々突き崩して全面壊走させた。
敵だった者達、吉川元春が率いていた軍勢を配下に加えた晴景兄上は、吉川元春達を追撃して吉田郡山城を囲んだ。
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