第125話:閑話・備前備中侵攻

天文十八年(1550)7月29日:備中笠岡城:長尾晴景視点


 因幡と美作と備前の国人地侍が一斉に降伏臣従した。

 殿に降伏臣従した者を見殺しにはできない。

 それ以上に、殿の名を騙って近隣の国人地侍を襲う者を見逃す訳には行かない!


 山陽討伐軍の総司令官を命じられ、五万の男屯田兵軍と播磨、摂津、河内、和泉、紀伊、大和、伊勢、伊賀、志摩の国人地侍を率いて備前に侵攻した。


 備前、播磨、美作は守護代の浦上政宗と赤松政村が争っていた。

 元々は赤松氏が支配していたのだが、浦上政宗の父親、浦上村宗が主君赤松義村を殺し、その子供の赤松政村を傀儡にして支配していた。


 だが、成長した赤松政村が好機を逃さず、浦上村宗を殺して父親の仇を討った。

 しかし、幼少で家を継いだ浦上政宗を島村盛実などの家臣団が支え、赤松政村との権力争いを続けていた。


 備前の松田元輝、播磨の小寺則職、美作の中村則治なども力を持っていた。

 多くの国人地侍が少しでも領地を切り取ろうと争っていた。


 その中には信じられないほど愚かな者もいる。

 この混乱期に殿の力を悪用して近隣を切り取っても隠しきれる、殿を騙せると思うほど愚かな者がいるのだ。


 時間が経てば諜報衆が調べ上げ、有無を言わさずに根切りにする。

 だがそれでは、殿の名を悪用できたという前例が残る。

 そんな事は絶対にさせられないので、電光石火の速さで侵攻して戦を禁じる。


 船を利用できる沿岸部は、大型関船の艦隊で千人侍大将指揮下の軍を揚陸させる。

 山間部は、元修験者や山窩で固めた軍勢が険しい山々を乗り越えて進む。

 騎馬で駆けられる街道沿いは、騎兵隊が制圧する。


 殿の下で長年戦い続けて来た男屯田兵達は、想像以上の強者達だった。

 国人地侍とは全く違う戦い方をする。

 食糧と銭を湯水のように使って、貧しい領民と地侍を味方につける。


 最初に弱小国人の家臣である地侍から調略する。

 余程家臣からの忠誠心が厚い守護や有力国人でなければ、殆どの地侍に背かれ、百人も味方が集まらなくなる。


 それなりの立場にある家臣が主君に忠誠を尽くそうとしても、その家臣に従っていた地侍が殿に臣従してしまうので、全く兵が集まらなくなるのだ。


「良く聞け、殿の家臣となったからには、乱暴狼藉は絶対に許さない!

 殿は単なる守護でも武将でもない!

 朝廷の太政大臣となられた、帝や皇室の守護者だ!

 征夷大将軍の公方など、太政大臣の配下に過ぎない。

 お前達も足利の武士ではなく北面の武士となったのだ、忘れるな!」


「「「「「おう!」」」」」


 備前と美作の国人地侍を集めて厳しく言い渡した。

 播磨や摂河泉の国人地侍にも気をつけないといけないが、連中は既に諜報部隊から厳しい懲罰を受けた者の姿を見ている。


 殿の名を穢す者がどれほど厳しい罰を受けるか理解した後だ。

 獣と変わらない者でも、殺されると分かれば大人しくする。

 備前と美作の国人地侍は、暫く重点的に見張らなければならない。


 ここで配下が殿の名を穢したら、どれほど武功を挙げても厳しい評価を受ける。

 九州で一国の領地を貰おうと思ったら、長尾家で一番の武功が必要だ。


 山陰道討伐軍の総司令官に任じられた朝倉宗滴には負けたくない。

 半世紀以上、名将と称えられ続けている朝倉宗滴殿に勝とうと思うのが、身の程をわきまえない事だとは分かっている!


 分かってはいるが、望んで手を伸ばさなければ得られないのも分かっている!

 使えるモノは全て使って、朝倉宗滴殿のよりも先に山陽道を討伐する。

 その為なら実の弟をこの手で殺す事も躊躇わぬ!


 その覚悟を持って備中に兵を進めた。

 備中も赤松と浦上の権力争いで国人地侍が二つに分かれて争っていた。

 心からの忠誠心で争っているのではなく、近隣を切り取る名分にしていた。


 赤松と浦上の争いに加えて、今では大内と尼子の影響も受けていた。

 長年の抗争で支配力を弱めた赤松と浦上を喰らおうと、大内と尼子が軍勢を送り自分の支配下に置こうとしていたのだ。


 勝てる方、近隣の領地を切り取れる者の配下になるのが戦国の生き方だ。

 備中国の守護を務める細川野州家六代目当主の細川通政は、当主を陶晴賢に殺された大内家に味方すると言い続けていた。


 その方が備中で戦い生き残るには有利だと思ったのだろう。

 成羽鶴首城主の三村宗親と家親の親子も大内方を名乗っていた。


 備中では抜き出た勢力を持つ備中野州家細川家の守護代、松山城主の庄為資も、大内の配下を名乗って近隣に攻め込み、更なる領地拡大を狙っていた。


 庄氏と並んで備中野州家細川家の守護代に任じられ、備中国の一宮である吉備津神社の社務代職も兼務する石川氏は、尼子が侵入した時に配下に入っていた。


 庄為資は、それを理由に石川家久と久智の父子を討ち取り幸山城を奪ったが、石川一族全てを滅ぼす事はできないでいた。

 忍山城の石川久忠、立石城の石川久智が残った。


 他にも多治部、楢崎、伊達、新見、石蟹、秋庭、赤木、野山、小田、清水、伊勢、那須、上野、中島、陶山と言った中小の国人が生き残りを賭けて争っていた。


 細川野州家は、守護としての権威と実力が地に落ちていた。

 多くの者が戦い倦み、太平の世を願っていた。

 特に奪われる事の多い貧しい領民と地侍が太平の世を願っていた。


 殿の名声は、越後からこんな遠く離れた地にも轟いていた。

 いや、表と裏の諜報衆が長年かけて広めていた。


 大飢饉で奴隷になるしかなかった者達が、殿の下で武功を挙げて、侍大将や足軽大将に成っているが、その中には備中の民も数多くいた。

 その事を表と裏の諜報衆が貧しい領民や地侍に広めていた。


 最初は全く理解できなかったが、諜報衆ほど大切な役目はなかった。

 直接戦いの力に成らない諜報衆に人や銭を使うのは、愚かだと思っていた。


 だが、愚かなのは他の誰でもない、余であった。

 殿の深慮遠謀は、余などが理解できるような浅知恵とは違うのだ。


 だから、余が進軍するだけで領民と地侍が一斉に蜂起する。

 主君や寄り親を裏切って殿に降伏臣従する。


 楽々と備後に国境まで侵攻できたが、余の武功ではなく殿の名声の御陰だ。

 これでは朝倉宗滴殿に後れを取ってしまう!

 武功を挙げたい、天下に長尾晴景の名が轟くほどの武功を挙げたい!


「虎千代をこの手で討ち取りたい、何か策は無いか?」


「絶対ではありませんが、誘い出せるかどうかやってみましょう」


 殿がつけてくれた諜報衆が答えてくれた。

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