第124話:土佐一条家と伊予河野家

天文十八年(1550)7月25日:土佐中村御所:真田源太左衛門幸綱視点


「殿から授かった内々の命を伝える」


 総大将の小嶋弥太郎貞興殿から紹介された、殿の表諜報役を務める者が、夜陰に乗じて陣屋に忍び込み、密命を伝えに来たのが二カ月前だった。


「はっ、謹んで聞かせていただきます」


「土佐一条家は、一条摂関家に刺客を放ち、一族一門皆殺しにした罪で滅ぼす事、勅命で受けているのは知っていますね」


「はい、殿からの文を見せていただきました」


「困った事なのだが、総大将の小嶋弥太郎殿は情の厚い人だ。

 女子供に至るまで根切りにしろという主命や勅命であろうと、そのような事をすれば主や帝の名誉を損なうと言って、見逃す可能性が高い」


「はっ」


「殿の深謀遠慮よりも、殿の名声を大切にしようとする。

 だが、それでは後々若君達に災いが降りかかるかもしれない。

 殿は、御自身の代で出来るだけ災いの芽を摘む御心算なのだ」


「はっ」


「真田源太左衛門幸綱、土佐一条家の本家だけではない。

 東小路、西小路、入江、飛鳥井、白河。

 後々土佐一条家を名乗れそうな家は全て根切りにせよ」


「はっ、謹んで御受けさせて頂きます」


 戸惑いや躊躇い、疑いや危機意識が全く無かった訳ではない。

 私が選ばれた理由が、始末し易い外様だからなのかもしれない。

 お気に入りの小嶋弥太郎殿に、汚い役目を命じられなかっただけかもしれない。


 何よりも、口封じされるかもしれない恐怖もあった。

 だがそれ以上に、成り上がる絶好の機会だという思いがあった。

 俺も戦国乱世の武将だ、敵を根切りにする事くらい当たり前だと思っている。


 生まれ育った地、先祖代々守ってきた領地を奪われ、一族一門の多くを殺され、上野にまで逃げる屈辱の中で暮らした事もある。


 殿に見出して頂き、武功を挙げる機会に恵まれた。

 裏の役目を命じられるとは思わなかったが、それだけ信じてもらえたのだと思えば、女子供を殺すのも平気だ。


 殿は小嶋弥太郎が邪魔する事を避けようとされたのだろう。

 小嶋弥太郎殿は、四国討伐総大将の役を解かれて富山城に戻られた。

 これまでの事を直接報告すべしと、殿からの命が来たのだ。


 それが罰や叱責でない事は、共に帰還を命じられた侍大将の顔ぶれで分かる。

 十万いた配下が分割減少されて、土佐と伊予がそれぞれ四万となった。

 減った分、降伏臣従した阿波と讃岐の国人地侍が増えている。


 俺は一気に四万の男屯田兵を預かる侍大将に大抜擢された。

 影の役目を受けた褒美なのだろう。

 長野や武田に仕えていれば当たり前の事が、特別な役目として賞される。


 殿の噂が広まっていたから、総大将の役目は楽だった。

 あれだけの勢力を誇った三好家が、戦う事なく降伏臣従したのが大きかった。

 末端の地侍が一斉に殿に家臣になったのを見て、抵抗は無駄だと悟ったのだ。


 中には名誉のために戦おうとした者もいたかもしれない。

 討死覚悟で華々しい野戦を選ぼうとした者もいたかもしれない。

 だが、家臣のほぼ全てが殿に臣従する姿勢を見せたら、戦にもならない。


 長岡郡の本山家、 吾川郡の吉良家、安芸郡の安芸家、高岡郡の津野家、香美郡の香宗我部家と山田家、高岡郡の大平家、長岡郡の長宗我部家が降伏臣従した。


 土佐七雄と呼ばれる有力国人八家が揃って降伏臣従した。

 こんな楽な役目で武功を稼げるなら、裏の不名誉な役目など幾らでも引き受ける。


 俺がやった事は、土佐一条家の一門衆が降伏の使者を送る前に、急襲して皆殺しにする事だけだった。


 土佐一条家の一門衆を皆殺しにした後は、土佐中村御所に入って事後処理をした。

 一日も早く土佐の国人地侍を使えるように、四カ月かけて関係を深めた。

 土佐を完全に掌握して、豊後日向に攻め込めるようにするのだ。


 天文十八年(1550)7月26日:伊予清水城:直江大和守景綱視点


 いよいよ十万人侍大将、総大将の役目が見えてきた。

 小嶋弥太郎に先を越された時には心穏やかではなかったが、殿から疑いの目で見られる訳にはいかないので、言動には細心の注意を払っていた。


 殿は家臣をとても大切にしてくださるが、同時に猜疑心も強い。

 奴隷から育て上げた者には気を許される事もあるが、三条長尾家時代からの譜代衆や、越後上杉家に仕えていた者への警戒はとても強い。


 同じ長尾一族の者どころか、兄達に殺されかけたのだ。

 その心の奥底に暗い物があって当然だ。

 私が僅かでも不審な言動をしたら、厳しい罰を与えられるだろう。


 いや、古志長尾家の者は罰ですんだが、一条摂関家や二条家の者の末路を思えば、自分一人の処罰だけではすまない、一族一門根切りにされかねない。


 まあ、殿は最初から一族一門譜代衆も信じていないのを行動で示されていた。

 内と外を調べる諜報衆がいる事を、家臣達の前でも隠さずにいた。

 御陰で欲に駆られて愚かな事をしないでこられた。


 まあ、よほど愚かな者なら、武功を自分の力だと思うだろが、少しでも知恵のある者は、武功を挙げられるのが全部殿の御陰だと分かる。


 来島村上家の村上通康殿が、主君河野通直を説得して何の抵抗もせずに降伏してきたのは、殿がこれまで築き上げて来られた実績の御陰だ。

 俺の武勇や軍略を恐れたからではない。


 俺以外の誰が総大将であっても、兵を率いて行軍するだけで、伊予の国人地侍は進んで降伏しただろう。


 伊予西園寺家の西園寺公宣も、西園寺十五将と話し合って降伏してきた。

 西園寺公宣も十五将の一人なので、残る十四将も進んで降伏してきた。


 全員が殿のこれまでの行いを知り、自分の家臣が殿の直臣になろうとしているのを知り、抵抗を諦めて五百貫だけでも確保しようとしたのだ。


 丸串城の西園寺宣久 、常盤城の観修寺基栓、天ヶ森城の津島通顕 、法華津本城の法華津前延、金山城の今城能定、大森城の土居清宗、高森城の河野通賢、一之森城の竹林院実親、河後森城の渡辺教忠、三滝城の北之川通安、竜ヶ森城の魚成親能、白木城の宇都宮乗綱、 萩之森城の宇都宮房綱、元城の南方親安だ。


 全員が九州侵攻で武功を挙げようと勇んでいる。

 彼らの子弟や譜代衆も独立を認められ、武功を挙げようとしている。

 これは俺の武勇や政治を信じたのではなく、殿を信じての事だ。


 大洲城を拠点に周囲を治めていた、伊予宇都宮家の宇都宮豊綱も降伏してきた。

 宇都宮家に仕えていた者達も全く抵抗する事なく降伏してきた。

 無傷の伊予勢を配下に加えられた、これで何時でも九州侵攻ができる!

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