第113話:懇願
天文十七年(1549)9月1日:越中富山城:俺視点
「頼む、この通りだ、何とか帝と朝廷を支えてくれないだろうか?」
九条摂関家の矜持を守り、命懸けで偉そうな態度を取っていた稙通が、深々と頭を下げている。
「麿からも頼む、この通りだ、帝と朝廷を支えてくれ!」
鷹司兼輔も同じように深々と頭を下げている。
俺が色々やっているのを、二人とも単なる脅しだと思っていたはずだ。
自分達が利用されているように、帝も朝廷も利用されるだけだと思っていたはず。
近衛や二条がそういう噂を流していたが、三条長尾家の親子三代に渡る忠誠と献金を主張して、奴らの妄想だという噂を流して打ち消したはずだ。
実際に滅ぼすまでは気付かれない方が良いと、最近では脅さないようにしていた。
二人とも、公家と地下家を支配した事で俺が満足したのだと思っていたはずだ。
「止めてください、頭を上げてください、困ります。
それに、何の事を言っておられるのですか?
私はずっと皇室や朝廷を支援しています。
いえ、私だけではありません、父の代も兄の代でも支援してきました」
「越後守殿が、近衛や二条のやり方に腹を立てていた事は知っている。
清廉潔白と言えば聞こえはいいが、現実を知らず、夢想を武家や公家に押し付ける帝に苛立ちを持っていた事も知っている」
九条稙通の言う通りだ、俺は将軍と幕府だけでなく、帝と朝廷にも腹を立てていたが、心の中に隠していたはずなのだが、そんなに分かり易かったか?
自分の主通りにしたくて、脅かしているだけだと思わせていたはずなのだが。
内心の感情が表情や態度に出ていたのか?
「越後守殿の言動を見ていれば、本心がどうなのかくらいは分かる。
それでも、情の深い越後守殿が帝や朝廷を見捨てる事はないと思っていた。
だが、京どころか畿内中で、戦乱の世を引き起こした将軍家と皇室を根切りにして、幕府も朝廷も滅ぼした方が良いという噂が広がっている。
そこまでやられたら、越後守殿が最後の情で警告してくれたことくらい分かる。
この通りだ、皇室と朝廷は我らの力で変える。
だから滅ぼすのは止めてくれ、この通りだ」
九条稙通がまた深々と頭を下げた。
単に下げただけでなく、ずっと下げたままにしている。
俺が皇室と朝廷を滅ぼさないと約束するまで上げない気か?
「越後守殿に逆らう者は、麿と九条殿で根切りにする。
官職についても、公卿補任を改竄して好きな物を与える。
帝が気に食わないというのなら、退位して上皇になって頂く。
次の帝が方仁親王では嫌だというのなら、覚恕殿下に還俗して頂いてもいい。
宮家の王子方から気に入った方を選んでくれても良い。
だから皇室と朝廷を滅ぼさないでくれ、支えてくれ、この通りだ」
鷹司兼輔がそう言って深々と頭を下げた。
単に下げただけでなく、下げたまま頭を上げない。
九条稙通も頭を下げたままだ、困ったな、どうする?
しかし参ったな、表情や態度で本心を見抜かれていたのか……
京や畿内で広がっているという噂も、俺の内心を見抜いた誰かが広めたか?
側近くに仕える重臣なのか?
それとも、侍大将の誰かが、俺の文の内容から察したか?
察しただけならいいが、独断専行していないか?
俺を狂信している者がいる事には気がついていた。
科学が未発達で迷信がはびこる戦国時代では、仕方がないと思っていた。
時には狂信を利用してやりたい事を成し遂げた。
だが、狂信のあまり、命じてもいないのに帝を弑逆する者がでては困る!
やるかやらないかは、これからの事を十二分に考えてからだ。
やるとしても、表立ってやるか隠れてやるかも決めなければならない。
「御願いですから頭を上げてください」
「頼む、約束してくれ、皇室と朝廷を滅ぼさないと約束してくれ」
「誰がいい、誰が帝に成ったら皇室と朝廷を滅ぼさないでくれる?}
参ったな、嘘をつくのは簡単だが、嘘をつくのも約束を破るのも、心の負担になって病む可能性があるんだよなぁ。
内心で思っているだけなら、良いストレス発散なのだ。
何時でも潰せる滅ぼせると思って考えるから、帝や朝廷への不満を貯めて激発しないでいられるのだ。
無関係な民が銭目当てに殺された時には悪夢に悩まされた。
皇室や朝廷を滅ぼすかどうかは、それも考慮しなければいけない。
やった事で俺の心が壊れてしまったら、損も得もない。
「禅定太閤殿下は、帝や朝廷に恨みはないのですか?」
「恨みが全く無いとは言わない。
だが、祖父と父に全く非がなかったとも思わない。
それに、恨みが深い連中は越後守殿が滅ぼしてくれた。
もう十分だ、皇室や朝廷まで滅ぼしたいとは思っていない。
今なら我らの力で、皇室と朝廷を越後守殿の思うように出来る。
だから皇室と朝廷を滅ぼさないでくれ、この通りだ」
頭を一度も上げずに頼み続けられるのは困る。
現場を全く見ない状態で誰かを殺させるのは、心の負担にならない。
だが、目の前で土下座同然の態度を取られるのは心の負担になる。
「越後守殿、何でも言ってくれ、その通りにする。
だから皇室と朝廷を滅ぼさないでくれ、この通りだ。
帝は誰が良い、誰でも良いぞ、言ってくれたらその方を践祚する。
今の帝にはここに下向していただく、人質になって頂く。
だから皇室と朝廷を滅ぼさないでくれ!」
確かに、既にここには上皇が住む仙洞御所が完成している。
京に新たな仙洞御所を築く手間も時間も銭もいらない。
そこが気に食わないというのなら、五ケ所用意してある里内裏の何所を仙洞御所にしてもいい、やろうと思えば明日からでも退位の儀式に入れる。
「そのような事をしたら殿下が他の公家衆に狙われませんか?
何も知らぬ振りをしているのが一番安全ですよ」
「そのような事はできぬ、我らには責任があるのだ。
藤原家には、外戚となって代々の帝を傀儡としてきた責任があるのだ。
危険になったからと言って、皇室を見捨てて自分達だけ生き延びる訳にはいかぬ」
きれい事を口にしているが、宿主が死んでしまったら寄生虫は死ぬしかない。
皇室や朝廷が滅んだ摂関家には何の価値も無くなる。
子孫のために皇室と朝廷を残したいのだろう。
俺も無力な摂関家に転生していたら同じ事をしているだろう。
「口だけなら何とでも言えます。
本当に長尾家の命じるままにできるという証拠を見せてください。
私が何か約束するのは、長尾家の役に立つと分かってからです」
「分かった、証拠を見せよう、何でも言ってくれ、その通りにする」
九条稙通はようやく頭を上げて話した。
「私が何か命じる事はありません。
殿下方が私の心を推し量ってやってください」
「分かった、精一杯の誠意を見せよう」
九条稙通と鷹司兼輔の嘆願を聞いた後で奥に戻ると、晶が待っていた。
これまで一度も見せた事のない、苦痛に満ちた表情をしている。
粟屋元隆の件で謝ってきた時も、これほど苦しそうじゃなかった。
「旦那様、いえ、殿様、伏してお願いしたい事があります」
「なんだい、そんな悲壮な顔をして?
今にも自害しそうな表情は止めてくれ。
身重の身体に心配事は毒だ、何でも願いを叶えるから!」
「殿様、どうか皇室を滅ぼさないでください、朝廷を見捨てないでください。
私には、代々皇室に仕えて来た勧修寺の血が流れております。
同時に、心から愛している殿様への想いがあります。
愛する殿様が、忠義を捧げる皇室を滅ぼすと思うと、心が張り裂けそうです。
どうか御願いです、皇室を滅ぼさないでください!」
糞、九条稙通、鷹司兼輔、晶を利用しやがったな!
いや、二人は俺の性格を知っている、晶を利用する可能性は低い。
勧修寺晴秀か勧修寺尹豊が晶に知らせたのか?
「滅ぼすとは決めていない、その方が民を救えるなら断じて行うが、他に民を救う方法があるなら、無理に皇室や朝廷を滅ぼしたりはしない」
「父に伝えます、殿に命に従って民を救う協力をしてくださいと伝えます。
ですから、どうか御願いします、皇室と朝廷を滅ぼさないでください。
景太郎達には、殿様と勧修寺の血が流れております。
大きくなってから、父親が皇室と朝廷を滅ぼしたと知ったら、どのように思うのか、誰かに利用されて殿様に刃を向けるような事にならないか、心配です!」
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