第112話:可能性

天文十七年(1549)8月2日:越中富山城:俺視点


「旦那様、お帰りなさいませ」

「父上、お帰りなさいませ」

「ちちうえ、おかえりなさいませ」

「だぁああああ」

「「「「「お帰りなさいませ」」」」」


 俺が三之丸の政所から戻ると、家族と女官達が迎えてくれる。

 その日の仕事を終える少し前に、使番が奥に知らせてくれるのだ。

 温かい料理は熱いうちに食べられるように、準備してくれる。


 毒殺を警戒しなければいけないので、予備の膳も沢山用意されている。

 何人もの毒見役が何度も確認してくれる。

 食べる直前も、十の内の一つに選ばれた膳を毒見してくれる。


 ここまでやらなければいけないのは哀しいが、これが現実だ。

 警戒を怠らなかったからこそ、俺は殺されずに生きている。

 子供達が殺されて狂気に堕ち、全てを破壊する事にならなくてすんでいる。


「御飯の前に手洗いとうがいはしたか?」


「はい、手洗いもうがいも終わっております」

「父上、手洗いもうがいも終わっています」

「はい、てあらいとうがいはしました」

「だぁああああ」


「こちらにご用意させて頂いております」


 前世で聞いた事のある上方落語の手水回しではないが、手洗いとうがいをするための道具を女官が持って来てくれる。


 腹が減って目が回りそうとまではいわないが、毒殺を警戒する立場なので、小腹が空いた、喉が渇いたからといって、簡単に飲食できない。


 子供達の為にも、今死ぬ訳にはいないから、奥に戻るまでは、食べ物だけでなく湯茶も口にしないように気を付けている。


「いただきます」

「「「いただきます」」」

「だぁああああ」


 俺に続いて晶と子供達が言う。

 毒見役の五人は言わないが、緊張した表情をしている。

 遅効性の毒でない限り、この場で死ぬ可能性もあるのだから当然だ。


 場所も物も限られてしまう俺達の食事。

 せめて熱い物は熱いまま食べたいという欲を満たすために、七輪が人数分用意され、焙烙と呼ばれる素焼きの土器に魚や肉が乗せられている。


 椀物、澄まし汁や味噌汁を熱いまま飲むための土鍋や鉄鍋も複数ある。

 淡水真珠や茸を人工栽培しているので、美味しい出汁が用意できる。

 晶は京の西京味噌汁を好むが、俺は潮汁が好きだ。


 前世では米どころと言われた越後に生まれたのに、美味しい米が食べられない!

 美味しい米が食べたくても、美味しい米を食べいた一心で、先人が品種改良した米が戦国時代にはないのだ!


 魚沼産のコシヒカリはもちろん、ササニシキも秋田小町もない!

 美味しさよりも量が優先されるのが戦国の米作りだ。

 水害や病気に負けずに実る事が、美味しさよりも大切なのだ。


 だから、俺の飯は雑炊が多くなってしまう。

 この立場になると、猫まんまと言われる味噌汁かけにはできない。

 子供たちの教育にも悪影響を与えるので、最初から雑炊にして食べている。


 武将ならば、合戦に出陣する前に湯漬けを食べるのは普通の事なのだが、流石に普段の食事まで湯漬けや味噌汁かけにはできない。

 肉、魚介類をたっぷり使った雑炊やパエリアが主食として並ぶ。


 主菜は肉と魚の両方が山のように用意されている。

 俺達家族が食べた後で、女官達に下賜されるから無駄にはならない。

 

 肉は猪、鹿、和牛、穴熊、熊、鯨、鶏、軍鶏、雉などが用意されている。

 俺が教えた通りロースからヘレ、タンなどのホルモンに分けられている。

 しゃぶしゃぶ、すき焼き、味噌煮、塩焼き、味噌漬け等の味付けがされている。


 魚も同じだ、鰤、鱸、鯛、鮃、鰻、鮟鱇、久恵、鮭、鱒などが用意されている。

 大きな魚は、頭、かま、はらすなどの部位に分けられている。

 料理法も塩焼き、西京漬け、煮つけ、蒲焼などにされている。


 卵も玉子焼きから目玉焼き、たまごふわふわまで用意してある。

 俺が大好きなので、茶碗蒸しと小田巻き蒸しは必ず用意してある。


 生野菜は食中毒や寄生虫が怖いので食べられない。

 必ず火を通さなければいけないが、煮物や蒸し物、炒め物や揚げ物にしている。

 ビタミンの事も考えて、糠漬けも必ず出すように命じている。


 料亭の本懐石料理ではないが、菜種油や胡麻油、綿実油を使った天婦羅やフライ、竜田揚げなども用意してある。


 俺が大好きで、ほぼ毎食食べるのは、海老フライと牡蠣フライ、蟹の蒸籠蒸しと茶碗蒸し、玉子焼きと目玉焼き、鰻重と牛丼、牛タンと牛ロースの塩焼き……


 贅沢ではあるが、限られた場所で制限された食事しかできないのだ。

 少々の事は許して欲しい、どうせ毒殺されるのなら、大好きな物を食べて死にたい、嫌いな物を食べていて毒殺されるなんて、哀し過ぎる。


「父上、これ美味しくありません、残していいですか?」


 前世の祖母なら、高い物を食べるのが贅沢なんじゃない、食べ残すのが贅沢なのだと言って、皿を舐めさせただろう。


「食べ物を残すのはとても贅沢な事だ!

 生きているモノの命を奪って食べるのだ、絶対に残してはいけない。

 だが、他人には大丈夫でも自分には毒になる食べ物もある。

 残すのではなく、家臣に下賜するなら許される。

 乳母か女官に下賜して食べてもらいなさい」


「景太郎様、わたくしは肉の脂身が大好きなのです。

 下賜して頂ければとてもうれしゅうございます」


「景太郎、乳母の心遣いを忘れてはならんぞ」


「はい、父上、もう肉の脂には手をつけない、これだけは食べてくれ」


「はい、よろこんで」


 子育ては難しい、特に毒殺や食物アレルギーまで考えると、俺が前世や今生で受けた躾や食育をそのまま持ち込めない。

 何時毒殺されてもいいように、後悔しない食事にするしかない。


 毒殺か、帝を、皇室を残すかどうか、悩む。

 残すにしても、北朝にこだわる必要はない。

 俺の傀儡にすると割り切るなら、北朝よりも力のない南朝を擁立する方法もある。


 ただ、南朝に皇統を替えるとしたら、ある程度は奇麗に見せる必要がある。

 越後長尾家の初代が南朝だったとは言っても、一時的な物でしかない。

 負けて直ぐに北朝に寝返っているから、忠義の為とは言えない。


 晶の勧修寺家は北朝の重臣だった。

 近衛摂関家や二条摂関家は、親兄弟で権力を争い南北に分かれた。


 近衛摂関家や二条摂関家を利用する方法もあるが、できれば借りは作りたくない。

 二条家を甥の誰かに継がせる方法もあるが、甥に責任を押し付けられない。

 それは子供達も同じだ、やるなら俺の責任でやる!


 南朝系で今の朝廷に残っている家は少ないが、全く無い訳ではない。

 残っている南朝系公家で九条家と関係が深い家は、清華家の花山院家だ。

 師信と師賢の親子が後醍醐天皇の忠臣だった。


 花山院家は後継者がいなくて、禅定太閤殿下の弟、家輔殿が養子に入って家督を継いだが、未だに子が生まれていない。


 今の俺なら、養子になって花山院家を継ぎ、南朝の帝を擁立できないか?

 それとも、困窮で体面を保てずに当主が僧になり、絶家となった洞院家を俺が復活させて南朝の帝を擁立するか?


「父上、どうかされたのですか?」


「ちょっと考え事をしていた、すまぬ。

 食事の時だけは、家族の事を一番に考えると言っていたのに」


「父上はとても大切なお役をされているので、約束を破らなければいけない時もあると、母上に教わっています」


「そうか、ありがとう、晶、だが、やはり家族の方が大切だ。

 朝分かれてから何をやったか教えてくれ」


「はい、父上、算盤と習字をやりました」


 景太郎が満面の笑みを浮かべながら話してくれる。

 政治や戦いの事など忘れて、家族の事だけを考えて生きられたらいいのだが……

 景太郎達が苦しまないように、俺の代で全てかたずけないと!

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