第106話:閑話・意地

天文十六年(1548)10月8日:長門壇之浦:霧隠才蔵


『やれ』


 俺が手で指示をだすと、配下の精鋭が一斉に動いた。

 彼らも殿の御陰で地獄のような生活から抜け出せた者達だ。

 若君達を狙った腐れ外道に対する怒りは俺と同じだ。


 殿が無理無体な命令を下さなければ、もっと早く殺せていた。

 味方に一人の死傷者も出すななんて、厳しい制約がなければ堺で殺せていた。

 俺達の事を大切に思ってくれての事だと分かっているが、時と場合がある。


 殿の事だから、こうなる事を予測されて時間をかけてくださったのだろう。

 織田弾正忠と今川治部大輔の家臣が激減している。

 堺までは付き従った連中も、中国九州への都落ちまではついて行かなかった。


 特に毛利と大内に受け入れられなかった事で、安全に二人を見放した。

 毛利はこれ以上殿の恨みを買いたくなかったのだろう。

 大内は武断派と文治派の内部抗争で他者を受け入れる余裕がなかった。


 いや、大内義隆が三十九歳でようやく恵まれた実子を狙われるのを極端に恐れた。

 そうでなければ、織田弾正忠と今川治部大輔を受け入れるように提案した、陶晴賢をあれほど激しく面罵しない。


 武断派と文治派の融和を願っている大内義隆が、逆恨みされる事も考えずに陶晴賢を罵ったのは、陶晴賢が子供達を殿に殺させる気だと疑ったからだろう。


「「「「「うぐっ!」」」」」


 身体中に手裏剣を受けた織田弾正忠と今川治部大輔が倒れる。

 最後まで付き従う忠義の家臣も一人残らず地に伏し屍をさらす。

 死骸を膾切りにしてやりたいが、殿の名誉を損ねる訳には行かないから我慢する。


『首を取って逃げる』


 俺の手の合図に従って、配下が死骸に近づく。

 堺から追ってきたから本物に間違いないが、念のために確認する。

 影武者の首を殿に届けるような失敗は絶対にできない。


『間違いありません』


 配下も手の合図で知らせてくれる。

 最初から最後まで、一言も発する事なく役目を果たす。


『本当に六角親子を見逃すのですか?』


 一瞬迷ってから配下の一人がたずてくる。

 配下が聞いてくる気持ちは良くわかる。

 俺自身が何度も殺してしまいたいと思ったのだから!


『殿の命だ、逆らう事は絶対に許されない!

 一人でも死傷した時、殿がどれほど哀しまれるか分かるだろう?

 こいつらと同じだ、必ず隙が生まれる、殿の命に間違いはない。

 時間をかけすぎた、離れるぞ!』


『申し訳ありません!』


 追い詰められて判断を大きく誤ったが、六角親子は名君だったのだろう。

 家臣の心、士心を得るだけの大将だったのだろう。


 織田弾正忠や今川治部大輔と違って、最後まで多くの家臣が付き従った。

 特に甲賀衆が昼夜に渡って俺達の襲撃を警戒した。


 それでも、その気になれば皆殺しにできる。

 十中八九、死者を出すことなく皆殺しにできる。

 だが、怪我人は必ず出るだろうし、死者も出るかもしれない。


 それが分かっていて強襲はできなかった。

 若君達を狙われて激怒された殿だが、復讐の為に家臣を無駄死にさせたと思ったら、必ず後悔されて胸を痛められる。


 常に非情な戦国武将を演じておられるが、そのお優しい心は隠しきれていない。

 少なくとも、御側近くに仕えている者は分かっている。

 

 家臣領民に慈愛を示される時には、きれいに見せる必要があると口にされ、常に悪党を演じられるが、本当の悪党なら奴隷に土地を与えない。


 収穫の一部を与えたりしないし、女子供に耕作だけをさせたりしない。

 死傷する事など気にせずに、最前線で戦わせる。

 仏の教えを広める本願寺が、女子供を戦わせて利を手入れているのと大違いだ。


『大内義隆と二条尹房を見張る』


『はっ』


 殿に逆らった愚か者、二条尹房と二条晴良。

 二条晴良はまだ京に残っているが、二条尹房は大内家の世話になっている。

 京の者達が動いたら、二条晴良と弟達も山口に逃げてくるかもしれない。


 殿が殺したと思われては困るが、何時でも殺せるようにしておくのが俺の役目だ。

 大内家の武断派と文治派を対立させる事には成功した。

 だが、勝手に動かれては困る、此方の望む時に謀叛させないといけない。


 二条家が大内の叛乱に巻き込まれて滅んだよう見せかけないといけない。

 殿が係わっているとは、絶対に思われてはならない!


 更に難しいのは、大内、毛利、尼子の何所にも中国地方を統一させない事だ。

 三者が同じくらいの力で拮抗している状態が理想だ。

 殿の配下が中国地方に来るまでの間、俺達が三家を操らないといけない。


天文十六年(1548)10月8日:淡路:猿飛佐助


 殿ために淡路の国人地侍を寝返らせる。

 安宅冬康は兄への忠誠心が強いから、寝返らす事はできない。

 だが、安宅冬康の家臣は別だ、十分可能性がある。


 元々三好之長の代に、阿波の三好氏が淡路に侵攻して支配を強めた。

 安宅冬康が養子に入ったのも、三好元長に合戦で負けて無理矢理押し付けられているから、安宅家譜代の家臣は今も反感を持っている。


 それに、安宅一門は洲本、由良、千草、炬口、安乎、湊、岩屋、三野畑の八家に分かれ、安宅八家衆と呼ばれている。


 その中で三好家に反感を持っている者を慎重に見極め、領地を細分化して殿の直臣とする。


 今回も出来るだけ殺し合いを起こさないように命じられている。

 船乗りとして使える者は貴重だから、死なせず役に立てたいと言われた。


 そんな言い訳をされなくても、出来るだけ人を殺さないようにされている、殿の慈愛は家臣の多くが分かっている。


 湊を封鎖されて困っている淡路の海賊衆を寝返らせる。

 安宅八家衆の湊安宅家も含まれるが、安宅水軍の主な者達、淡路十人衆に三好を裏切らせて、殿の直臣にする。


 庄田城の船越、湊里城の安宅、志知城の野口、郡家城の田村、蟇浦城の蟇浦、柳沢城の柳沢、猪熊城の菅、栗原城の島田、山添城の加藤、沼島城の梶原、鍛冶屋城の賀集、阿那賀城の武田を殿の直臣にする。


 中には三好に忠誠を尽くす者もいるだろうが、そう言う家は一門衆や家臣に謀叛させて家を乗っ取らせる!

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