第105話:無情と無常

天文十六年(1548)10月8日:越中富山城:俺視点


 堺御所の足利義維は阿波に逃げている。

 堺にいる時はそれなりの家臣を抱えていたが、その費用は堺商人や足利義維から利を得ようと考える者の寄進で賄っていた。


 だが、都落ちして阿波に逃げる足利義維に寄進する者は殆どいない。

 阿波の支配者、三好長慶が与えてくれる捨扶持しかなくなる。

 そんな少ない扶持で多くの家臣を召し抱え続ける事はできない。


 裏で足利義維と三好長慶の間で取引があり、多くの家臣が三好家に移った。

 小笠原長時、村上義清、上杉憲政などが代表的な連中だ。


 一方、俺の恨みを買わないように追放した連中もいる。

 今川義元と織田信秀だ、こいつらを召し抱えたら、俺の同盟者になるという目論見が、絶対に成功しない事くらい分かっているのだ。


 今川義元と織田信秀に六角親子を加えた連中は、西国に逃げた。

 尼子にも毛利にも受け入れてもらえず、九州にまで逃げようとしている。

 足利義藤を受け入れた、大友義鑑を頼る気だろう。


 優秀な武将と忠義の兵を一気に増やした三好長慶が本願寺を攻めた。

 一方本願寺も味方を募って戦力を増強した。


 伊勢長島の兵力は、海上、尾張、伊勢、伊賀、近江、大和、飛騨、信濃で封鎖されているので、美濃以外には移動できない。

 美濃に移動しても、俺に誼を通じている国人地侍に討たれるだけだ。


 石山本願寺の連中は、伊勢長島の信徒を合流させる事には失敗したが、雑賀衆と根来衆を雇う事はできた。


 陸の雑賀は俺と敵対しないようにしていたが、俺と敵対している海の雑賀を討つところまではせず、石山本願寺に味方するのを黙認した。


 根来寺と本願寺では、信じている教えが違う。

 普通に考えたら手を結ぶわけがないのだが、大半の信者は、利のために根来寺の教えを信じている振りをしているだけだ。


 特に、当代が本願寺の教えを信じている雑賀衆は、先祖が根来寺内に建てた塔頭の一族に本願寺のために戦えと命じた。

 

 当主に命じられた塔頭の主の中には、根来寺の旗頭もいた。

 旗頭に命じられた根来寺の僧兵は、本願寺に雇われた。

 とはいえ、全ての根来寺戦力が本願寺に雇われたわけではない。


 本願寺に雇われた雑賀と根来の兵力は合わせて5000兵だった。

 雑賀が海と山に割れず、根来衆が一致団結していれば、二万兵は集まっただろう。


 更に俺との敵対が避けられないと判断した毛利家が援軍を送った。

 尼子が健在なので、国人地侍は援軍に送れないが、安芸門徒は好きにさせた。

 村上水軍に兵糧を運ばせて後方支援した。


 だが、瀬戸内を代表する海賊、村上水軍とはいえ、阿波と讃岐と淡路の水軍を敵に回して、楽に兵糧を運べるわけではない。

 村上水軍が一枚岩ならかなりの戦力だったのだが、村上水軍が割れていたからだ。


 能島村上は親大内家の村上武吉と反大内家の村上義益に割れていた。

 毛利に味方したのは反大内家の村上義益だが、大内家と村上武吉を警戒しなければならず、本拠を離れて本願寺まで送れる舟はとても少なかった。


 因島村上の村上尚吉は大内家と敵対していたが、以前から親しかった小早川家を通じて大内家と和議を結んでいた。


 大内家を警戒する必要がなく、小早川家とも親しいので、それなりの船を本願寺の支援に送った。


 来島村上の村上通康は、伊予の河野家重臣にまでなっていたので、隣国讃岐の十河家を警戒していた。


 今の三好一派は畿内に戦力を投入しているが、何時畿内に見切りをつけて四国統一に乗り出すか分からないと考えていた。


 だから、十河、三好、安宅の力を削ぐために本願寺に味方した。

 警戒しなければいけない敵もいないので、出せるだけの船を出した。


 その数は二百を越えていたが、安宅、三好、十河水軍を圧倒できるほどではなく、兵糧の運び入れには苦労した。


 何と言っても安宅家の本貫地は淡路国なのだ。

 瀬戸内に巨大な不沈空母を持っているようなものだ。


 安芸から兵糧を届けるには、狭い明石海峡か鳴門海峡を突破しなければいけないが、待ち受ける地元水軍に遠征の他国水軍か勝つのは至難の業だ。


 そこで村上水軍は、淡路国の手前にある本願寺の拠点、英賀城に兵糧を運び入れ、そこから陸路で本願寺に運んだ。


 播磨と摂津にも数多くの本願寺信徒がいる。

 三好長慶の父親、三好元長を殺した時には十万もの本願寺信徒が襲ったのだ。

 兵糧を確保するために、本願寺は畿内の信徒を総動員した。


 兵糧を石山本願寺に運んできた信徒の一部が、本願寺を囲んでいた三好勢の背後を襲い、大きな損害を与えた。


 三好勢には百戦錬磨の名将が数多くいるので、壊滅的な損害は出さなかったが、戦意の乏しい雑兵が逃げ出して崩れてしまった。

 

 三好長慶は、継戦を訴える三好之虎を説得して阿波に帰った。

 何度同盟の使者を送っても無視する俺に、同盟も帰属も不可能と見切りをつけたのだろう。


 自分の手で証如と蓮淳を殺せる可能性があれば、戦い続けていたかもしれないが、十万もの信徒が集まっては不可能、そう判断して断念したのだろう。


 それに、三好長慶ほどの男だ、俺の考えも読んでいる。

 俺が三好と本願寺を戦わせて自滅させようとしているのが分かっている。


 その仕返しに、俺を本願寺と戦わせて消耗するようにしたのだ。

 その間に自分は阿波で兵を休め戦力を増やす。


『周りに付け城を築いて本願寺を封じ込めろ』


 三好長慶が阿波に逃げたと報告を受けて、晴景兄上や侍大将達に本願寺を兵糧攻めにするように命じた。


 この頃の淀川河口、大阪湾には伊勢長島のような中州が数多くある。

 石山本願寺のある中州を囲む陸地や中州に付け城を築かせる。

 

 三好長慶が福島城と野田城を築かせていた中州と浦江城を築かせていた中州。

 大阪市天王寺のある中州と三ツ寺観音のある中州。

 中ノ島、備前島、三軒家島など本願寺がの拠点がない島に付け城を築かせた。


 だが、海を抑えなければ完全な兵糧攻めにはならない。

 今は三好長慶が制海権を握っているが、いつ本願寺と手を結ぶか分からない。


 俺が方針を変えない限り、三好には戦う以外の道がない。

 そして俺には三好と妥協する気が全く無い!


 三好が本願寺と手を結んで歯向かってくる前提で、水軍衆を摂津に集めた。

 三好、本願寺、村上水軍、毛利、大内、尼子と同時に戦う覚悟はある!

 伊勢湾から紀州にかけて海上封鎖していた水軍衆を摂津に集めた。


 伊勢長島の一向一揆は皆殺しにした。

 尾張側に長大で堅固な堤防を築き、上流に水攻め用の堰を築いていた。

 台風で大水となった状況で堰を切り、木曽三川の中州を全て水で流した。


 伊勢長島に籠城していた十万の信徒は、ほぼ全員溺死した。

 僅かな人数が北伊勢に逃げたが、国人地侍に捕らえられた。

 殺すのは勿体ないので、終身奴隷として死ぬまで艪を漕がせる。


 伊勢長島封鎖の役目がなくなった水軍衆に、紀伊、和泉、摂津の海上封鎖と揚陸強襲をやらせた。


 本願寺に雇われた雑賀と根来が拠点としていた湊を占領した。

 領地に残っていた海の雑賀は、女子供関係なく根切りにした。


 揚陸強襲後の湊確保は、尾張で堤防を築いていた男屯田部隊がやった。

 摂津と和泉への援軍は、本願寺を包囲する国人地侍勢が行った。


 揚陸強襲や援軍といっても、抵抗する敵は限られていた。

 本貫地が五百貫以下の弱小国人や地侍は、進んで降伏した。


 降伏せずに抵抗する僅かな勢力は、俺に許してもらえない海の雑賀と根来衆だけ。

 南和泉の国人地侍は根来寺成真院中氏の支配下にいる。

 雑賀の土橋氏が支配する泉識坊への対抗心もあって、進んで俺に降伏臣従した。


 あっという間に大型関船五百隻が大阪湾に集結した。

 村上水軍であろうと三好水軍であろうと、鎧袖一触で滅ぼせる大艦隊が集結した。

 英賀から兵糧を運ぶ街道も、国人地侍勢二十万兵が十重二十重と囲んでいる。


 石山本願寺は米一粒も補給できなくなった。

 淡路の安宅水軍は、湊を出る事ができなくなった。


 これまで淡路国の海峡を管理することで莫大な利を上げていた安宅水軍衆が、一文の銭も手に入れられない海上封鎖を受ける事になった。

 三好長慶と安宅冬康の信望が地に落ちた。

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