第96話:醜聞

天文十六年(1548)6月1日:越中富山城:俺視点


 諜報部隊の者達が頑張ってくれた。

 思っていた以上の速さで、太郎達を狙った連中に報復してくれた。

 無理をして傷を負った者は、大きく賞して隠居させる事にした。


 だが、全員が引き続き俺のために働きたいと言ってくれた。

 涙が流れそうになるくらいうれしかった!

 家臣の前で泣かないようにするのが難しいくらいうれしかった。


 だから、どうしても諜報員として働き続けたいという者以外は近習に取立てた。

 大幅に扶持を加増して、俺の身を守る役目を与えた。

 彼らになら、安心して命を預ける事ができる。


「殿、里見刑部少輔が雑賀から堺に移動したとの事でございます」


 鳩の知らせを持って来た近習が言う。

 俺が安房から叩き出した里見義堯は、最初は予想通り伊勢長島に入った。

 だが勝ち目がないと判断したのだろう、長島から雑賀に移っていた。


「見張りは堺の者に引き継がせろ」


「はっ!」


 大した事ではないので、祐筆に代筆させる。


「堺を出た連中は、全員三好についたのだな?

 他に移ったという伝令はないな?」


 当番重臣の山吉丹波守に確かめた。


「はい、殿がお休みの間に届いた伝令にはありません」


 鳩、旗振り、狼煙、船、騎馬、徒士など、あらゆる方法で、少しでも早く命令が届くように、現場の状況が届くようにしている。


 あまりにも情報伝達方法が多いのと、情報をやり取りする諜報部隊が多いので、朝昼晩休みなく情報がやり取りされる。

 だから政所に来て最初に聞くのが、休んでいる間に何があったかだ。


「そうか、将軍達が太郎達を殺そうとして報復を受けているという噂は、今も全国に広がっているのか?」


「はい、殿が続報を届けるように命じられたので、詳細な知らせが届くようになりましたが、全国で広まっているようです」


「長尾家の諜報員が噂を流しているのではないのだな?」


「はい、殿の命に背いて勝手に噂を広めた者はおりません」


 尼子家の子供達、毛利隆元と吉川鶴寿丸、織田信広と信時、今川龍王丸と妹、波多野元秀の子供達が死んだのは、俺の報復だという噂が急速に広まっている。


 織田信秀と今川義元が考えた、俺の子供達を謀殺するという策を、松江の足利義藤と堺の足利義維が認め、全国の守護に命じて実行させた。


 全て返り討ちにされたが、激怒した俺が、太郎達の謀殺に関係した者の子供を皆殺しにしているという、とても正確な噂が流れている。


 人の口に戸は立てられぬと言うから、誰かが真実が話して、そのあまりにも衝撃的な内容に興味を持った人達が、誰かれ無しに話しているのかもしれない。


 その影響は俺が思っていた以上に大きいようだ。

 勝つためなら、卑怯下劣な方法も平気で行うのが戦国の国人地侍だが、中には正々堂々を好む者もいるし、表面上だけは奇麗に振舞う者もいる。


 誰にも知られないなら手段を選ばない者も、悪評が不利になると分かったら、悪評が広まらないように手段を選らぶようになる。


 負けて領地を失い、挽回の機会を狙っている武将は、勝つためなら、新たな領地を得るためなら、手段を選んではいられない。


 だが、勝つ機会でもなく、領地を得られる機会でもないのに、評判を落とすような事は絶対にしない。


 領地も銭もない敗残の武将には、評判しか残されていないからだ。

 元服をしていない幼子を謀殺しようとしたという評判がたてば、迎えてくれる領主は少なくなり、兵も集まり難くなる。


 だから、関東管領だった上杉憲政と村上義清が足利義維の所を去った。

 小笠原長時と神田将監、蘆名親子なども堺御所からいなくなった。

 全員が三好長慶の所に集まった。


「三好長慶の所に送り込んだ諜報部隊は大丈夫か?

 増員するように命じたが、どうなっている?」


「元々三好家に入り込んでいた者は、そのまま見つかる事無く働いております。

 三好家に身を寄せた者達には、身近に入り込んでいた者がついて行きました。

 増員した者達ですが、直ぐに三好の奥深くに入り込むのは難しいです。

 これまで通り、足軽や下働き、出入りの商人の家人から始めさせております」


「それでいい、直ぐにどうこう出来るとは思っていない。

 今奥深くに入り込んでいる者が、少しでも楽になるように、手助けできる者を増やせればそれで良い」


「分かりました、そのように指示しておきます」


「松江から逃げ出した公方はどうなった?」


 俺に尼子晴久の子供達を殺した罪を擦り付けられた尼子国久は、新宮党と共に尼子晴久に攻め滅ぼされた。


 史実では二つの説があり、尼子晴久が毛利元就に騙されて大切な家臣を自分の手で殺してしまったという説が主流だった。


 もう一つの説は、目障りな尼子国久と新宮党を潰して尼子晴久が独裁できるように、毛利元就の罠だと知っていて乗ったという説があった。


 今回尼子晴久がどちらの理由で尼子国久と新宮党を潰したのかは分からない。

 分かっているのは、尼子晴久の粛清に恐怖した足利義藤が逃げ出した事だ。


「松江の公方は筑前の若松城に入ったそうでございます」


「若松城、大友の城だったか?」


「はい、今は大友修理大夫殿に味方しております」


「今はか、筑前にも大友に味方する者や大内に味方する者がいるのだったな。

 そのまま大友を頼るのか、他家を頼るのか、見落とさないようにしろ」


「はっ!」


「毛利はどうなっている、何か新しい知らせはあったか?」


 毛利元就は俺の罠から逃れようとしている。

 嫡男を殺されただけでなく、嫡流の子供がいない。

 次男吉川元春の子供まで殺された。


 俺に対する敵愾心は激しいだろうが、先に子供を殺そうとしたのは毛利が先だ。

 それを世間の噂で暴露され、尼子晴久も子供を二人も殺され、叔父を粛清した。


 毛利家でも同じ事が起るかもしれないと、一族譜代が恐れおののいていた。

 毛利元就は俺の子供を暗殺しようとした事を認めた。


 認めた上で、戦国乱世では当然の手段だから、恥じる事も恨む事もないと言った。

 俺に乗ぜられないように、長幼の序を守って吉川元春を後継者にすると言った。


 流石毛利元就だ、中国三大謀将と呼ばれるのは伊達じゃない、家中で家督争いをする危険を良く分かっている。


 俺が四男以下の実家に謀略を仕掛ける隙を与えないようにしている。

 だが、言葉だけで人間の欲望を抑えきるのは無理だ。


 目の前に毛利家の家督と権力がぶら下がっているのだ。

 欲望に負けて手を出す馬鹿が必ず現れる。


 それに、毛利元就がどれほど頑張っても、五年十年かければいつか隙が生まれる。

 慌てて殺そうとするから襤褸が出て暗殺に失敗するのだ。

 期限を決めなければ、必ず隙ができて殺す事ができるはずだ。


 小早川隆景は、史実では子供に恵まれなかった。

 この世界でも同じように子供に恵まれないかどうかは分からない。

 だが、子供に恵まれようと恵まれなかろうと、子必ず殺す!


 小早川隆景を生かしておいたとしても、子供に恵まれなければ家督争いが起きる。

 そう言う意味では殺す必要はないのだが、毛利元就に太郎達を狙われた報復をしなければ、今も胸の中で渦巻いている怒りが収まらない!


「毛利に動きはありません。

 外には座頭衆だけを送り、世鬼忍びは吉川少輔次郎の守りに専念しております」


「吉川と毛利に送り込んだ者達は、疑われてはいないのだな?」


「はい、若君達を殺そうとして、腕利きの者達を全て失っております。

 残っているのは腕の劣る者達ばかりで、こちらの諜報兵を見つける事ができないようです」


「そうか、それなら安心だが、これからも用心するように伝えよ。

 急ぐ必要はない、此方が狙っていると思わせているだけで、心が病む。

 心を病ませて乱心させるのも十分な復讐になる」


「でしたら、簡単な所から復讐されませんか?」


「簡単な所、どこの誰を言っているのだ?」


「大和、山城、伊勢に逃げた甲賀と伊賀の者共でございます。

 連中を徹底的に追って殺せば、若君達を狙った他の者共にも、殿と我らの怒りがどれだけ激しいか思い知らせる事ができます。

 それに、表向きは臣従した南伊勢の北畠ですが、内心では下剋上の機会を伺っていると思われます」


「よく言った、北畠を叩く、特に嫡男の心を叩いて絶対に逆らえないようにする。

 甲賀と伊賀を追って叩くのも良い策だ。

 考えていた策があるから、鳩と旗振り、騎馬と船の伝令を用意しろ」


「御意!」

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