第95話:閑話・凶行
天文十六年(1548)5月18日:摂津・河内・和泉の堺:某諜報員視点
会合衆の合議によって全てが決められる堺は、商人が支配する街だ。
濠と土塁に囲まれ、会合衆が雇った兵力に守られている。
相手が戦国大名であっても恐れず、街の自治を続ける一大勢力だ。
そんな堺が足利義維を街の中に入れたのは、何か利があるからだろう。
俺には分からないが、支援した者が将軍に成る事で莫大な利があるのだろう。
どのような利があるかなど、俺達の役目には関係ない。
ただ、堺が足利義維を迎えてくれた事で、絶好の機会が得られた。
殿は早くから表の諜報部門に商人を使われていた。
伊勢御師も兼ねておられる蔵田殿が殿の情報網なのは、敵にも良く知られている。
だがそれは敵を欺くために目立たせているだけで、他にも多くの商人がいる。
堺の正式な会合衆は紅屋、塩屋、納屋、茜屋、薩摩屋、銭屋、魚屋、天王寺屋、油屋、皮屋の十人だが、他にも有力な商人が多数いる。
三十六家ある有力商人の内、十家が殿の家臣なのを誰も知らない。
そんな家臣の中には、商売の傍ら女を扱う妓楼を営んでいる者がいる。
男とは愚かな者で、女の気を引きために大切な秘密を話す。
女に入れ込んで、役目を忘れて通う馬鹿もいる。
そんな馬鹿の一人が、織田信秀の庶長子である織田信広だ。
お気に入りの女に誑かされて、弟の織田信時と一緒に妓楼に来た。
妓楼が疑われないように、出入り口の「猿」を刀で壊して入る。
鋭い鎧通しと鋸を使えば、音も立てずに素早く「猿」を壊せる。
八組四十人の暗殺部隊が、誰にも知られる事無く妓楼の特別室に向かう。
特別室には刺客に対する仕掛けが施されている。
狙いの相手がいる部屋に入るには、必ず控えの間を通らなければならない。
控えの間と廊下には不寝番の護衛がいる。
だからこそ、四十人もの強襲兵が集められたのだ。
ずっと潜んで情報を集めている諜報員が疑われないように、外部から強襲兵が集められ、目立つ方法で織田信広と織田信時を殺すのだ。
俺の手の指示を合図に、不寝番二人がいる廊下に進んだ。
先頭の二人が、抜く手も見せない居合斬りで、不寝番二人を絶命させる。
後に続く三人が廊下右の控室に飛び込み、三人の護衛を殺す。
襖を壊して控えの間に入った時点で、妓楼に危険を知らす鈴が鳴っている。
だがその時には、廊下左の部屋にも五人の強襲兵が飛び込み、三人の護衛を殺す。
三組目の刺客も廊下右の控えの間に飛び込み、一組目の三人が護衛を殺している間に、織田信広のいる部屋に飛び込み膾切りにして殺す!
織田信広も戦国の武将だ、鈴が鳴ったのと同時に跳び起き、刀を抜いて戦えるように身構えていたが、選び抜かれた強襲兵五人に襲われては助からない。
四組目の刺客は廊下左の控えの間に飛び込み、二組目の五人が護衛を殺している間に、織田信時のいる部屋に飛び込み膾切りにして殺す!
織田信時も刀を抜いて抵抗しようとしたようだが、瞬殺されていた。
信時の方は殺した場面を見ていないが、殺した後で確認したから間違いない。
敵が腕利きだったり何か予想外だったりして、一瞬で殺せなかった時に備えていた五組目以降は、敵を確実に殺しているか確かめ、必要なら止めを刺して続く。
手の空いている者が、座敷の窓を開けて通りから逃げられるようにする。
一瞬の殺戮だが、暗殺ではなく強襲なので、襖を壊す音や断末魔が響いている。
何より襲撃を知らせる鈴が鳴ったので、妓楼の客や女が集まって来る。
計画通り二階の窓から飛び降りて通りを抜け、土塁と濠を越えて逃げる。
これでこの殺戮が外部の者の犯行だと思われる。
堺にいる諜報部隊は誰も疑われることなく役目を続けられる。
天文十六年(1548)5月20日:摂津・河内・和泉の堺:某諜報員視点
二日前、他の諜報員達が見事に強襲を成功させた。
織田信広と織田信時を殺して、親達が行った悪行に報復した。
若君達を殺そうとした外道に、子供を殺される苦しみと哀しみを教えてやった!
ただ、情けない事だが、諜報員としては未熟極まりない俺は、何時も通り堺公方の足軽として、足軽内の噂を集め、命じられた噂を広める役目をするしかなかった。
だが、天が俺に絶好の機会を与えてくださった。
自分の悪行を知っている今川義元は、子供達の護衛を急ぎ集めた。
集めたが、領地を失った今川義元に集められる護衛はとても少ない。
そこで堺公方の足利義維に頼んだのだが、義維自身が子供を狙われる立場だ。
元服前の子供を暗殺する外道な策を思いついたのは織田信秀と今川義元だが、それを認めて全国の守護に実行させたのは足利義維だ。
織田信広と織田信時が殺されたら、暗殺を謀った当人なら、先に殺された尼子の子供と毛利隆元も殿の復讐だと分かる。
優秀な武将や侍は、自分を守らせるか阿波に戻して子供達を護らせる。
とてもではないが、最近やってきた今川義元や織田信秀には貸せない。
嬉々として積極的にて手を貸しておいて今更だし、逆恨みでしかないが、子供を狙われる原因を創ったのが二人だというのもあるだろう。
堺公方は今川義元と織田信秀に優秀な侍を貸さなかった。
最近雇われて信用など全く無い俺達のような傭兵が、今川龍王丸の護衛に送られたのは、そう言う状況だからだ。
若君達の暗殺に加わらなかった三好長慶が、兵の派遣を断ったのも当然だ。
卑怯下劣な幼子殺しに加担しなかったのに、ここで護衛の兵を貸したら、激怒している殿に狙われて、たった一人の跡継ぎを狙われるかもしれないのだ。
足軽組の一人として、今川龍王丸の護衛に送られたが、信用がないから龍王丸の側には近寄れない。
屋敷の中にも入れてらえず、周囲を警備するだけだ。
このまま何もできずにいるのだと思っていたが、天が好機を与えてくださった。
「火事だ、火事だぞ、消せ、急いで火を消せ!」
今川義元が堺の会合衆から借りている屋敷が、火事になったのだ!
もしかしたら、俺の知らない諜報役が火を放ったのかもしれない。
殿の守護神が、神通力を使って火事を起こしてくださったのかもしれない。
水をかけても火事を消す事が出来ない!
安全な環濠都市には限られた土地しかない。
そこに納屋、屋敷、家が密集しているのだ、火事ほど怖い物はない!
「壊せ、家を壊して火事を広げるな!」
火事に慣れた者が叫んでいる。
何の関係もない者が大勢集まり邪魔になっている。
いや、これだけ大勢の人間が集まっているなら、何をしても逃げられる?
「誰も入れさせるな、ここに刺客がいるかもしれんのだぞ!」
足軽組頭が状況を判断して的確に命じる。
確かに、この大勢の人間の中に、先に織田兄弟を殺した強襲者が混じっていたら、今川龍王丸を確実に殺せただろう。
「若様、こちらへ、御所に避難させていただきましょう」
今川家の重臣が龍王丸を守りながら燃え上がる屋敷からでてきた。
屋敷から出る危険が分かっているから、ぎりぎりまで我慢したのだろう。
重臣に抱きかかえられた龍王丸が運ばれてくる。
俺達足軽組が守る裏口から逃げようとしたのは、少しでも目立たないようにして、殿の刺客から逃れる為か?
「どけ、どかないと斬る、御前ら何のためにいる!
邪魔をする者は斬れ、それでも護衛か!?」
護衛の武士が居丈高に怒鳴りながら龍王丸の前を駆けて来る。
よほど切羽詰まっているのだろう。
刀を抜いて何時でも刺客を斬り殺せるようにしている。
龍王丸を抱きかかえている老重臣を除いて八人の護衛か。
強襲に成功して龍王丸を殺せたとしても、生きて越中には戻れないな。
だが、龍王丸を殺せたら、弟達が取立てられるのは間違いない!
「お前が刺客だな、死ね!」
俺は刀を抜いて集まっている者達の中に突っ込んだ。
身分ある者の不幸が面白くて、火事場に集まっている者達。
その中にいた、どこかの商人に雇われている侍を罵倒して斬りかかる!
一人で来ている者ではなく、四人で来ている侍に斬りかかる!
最初から傷つける気はなく、ここで争いを起こすための演技だ。
「刺客だ、四人組の刺客がいるぞ!」
叫びながら、傷つけないように斬りかかる!
最初は驚いて何もできなかった四人組も、乱世を生きる侍だ。
黙って斬られるはずもなく、刀を抜いて抵抗する。
「誤解するな、我々は火事を見ていただけだ!」
「うわぁあああああ、刺客です、刺客が集まっています!」
刺客に押し負けたように演じて、叫びながら屋敷の中に入る。
今川義元が借りるほどの屋敷だから、狭いながらも裏庭がある。
護衛の武将が、俺を追いかける四人組に斬りかかる。
「表に、表に逃げましょう!」
そう叫びながら老重臣と今川龍王丸の左側に近づく。
鎧通しを抜いて龍王丸の心の臓を刺し貫く!
燃え盛る屋敷を通り抜けたら、表から逃げられるだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます