第97話:閑話・忍者狩り

天文十六年(1548)6月9日:南伊勢多気御所:小嶋貞興


『私の子、まだ元服も迎えていない幼子を謀殺しようとした者を絶対に許すな、地の果てまで追いかけて皆殺しにしろ。

 六角親子、甲賀と伊賀の者を匿った者も同じだ。

 一切の慈悲を与えず、女子供を含めて皆殺しにしろ!

 先ずは伊勢、近江、大和、山城に逃げた連中、匿った者共を根切りにしろ!』


 殿が甲賀と伊賀の残党を追討せよと命じられた。

 太郎様達を狙われた殿の御怒りは、尋常ではない。

 普段あれほど慈悲深い殿が、幼子や女まで殺せと命じられるほどだ。


 側にいれば命懸けで御諌めするのだが、ずっと最前線にいるのでできない。

 鳩や船、騎馬の伝令に御諌めする手紙を託しているのだが……


 恐らくだが、殿と同じように激怒している側近が握りつぶしているのだろう。

 そうでなければ殿が何時までもこのような非情な命令を続けられるはずがない!


「弥太郎殿、北畠参議様から使者が参っております」


「斬れ」


「宜しいのですか?」


「しかたあるまい、今更匿っていた伊賀者を皆殺しにしても遅い。

 ここで手を抜けば、我らも殿に殺される」


 北畠参議は余りに愚かだ。

 殿に降伏した以上、全身全霊を込めて仕えないと立身出世の機会はない。


 誰もが奴隷の身から這い上がろうと必死なのだ、形だけ仕えていては、元奴隷よりも見劣る武功しか立てられない。


 自分達が元奴隷に劣るのを認められず、殿に負けた事も認められず、殿に報復する機会を得ようと伊賀者を匿うなど、馬鹿としか言いようがない。


 馬鹿なら馬鹿なりに、武家の意地を通して最後まで戦えばまだ誇りも伺えるが、城を囲まれた途端に伊賀者を皆殺しにして身の安全を図るなど恥知らずにも程がある!


 殿に一族一門譜代の全員を独立させられた北畠本家に、戦う力など殆どなかった。

 分家や一門衆の中には、こんな絶望的な状況なのに、本家の従って命懸けで謀叛した者がいると言うのに、こんな見苦しい言い訳をするとは、恥を知れ!


 北畠参議、北畠侍従の親子は、覚悟を決めて討って出て来るまで待ってやろう。

 そうすれば、潔く戦いを挑んで討死した事になるだろう。


 幼子や女を殺すのは気が重いが、家臣にやらせるのは卑怯だ。

 殿なら女子供を見逃しても許してくださるだろうが、側近達が頑強に処分を要求するだろう。


 詰城に籠っている木造中将も討って出て来るまで待ってやろう。

 自分の城に籠城した神戸と田丸も、もう殺されているだろう。

 他の侍大将が指揮している軍団は、先の戦いでも太郎様の件で暴走気味だった。


 太郎様達を襲われて激怒している侍大将や足軽大将はとても多い。

 普段は絶対行わないような我攻め始める者がいるかもしれない……


 もう一度厳しく我攻めを禁じよう。

 家臣が太郎様達のために我攻めを行って死傷したと知ったら、殿が心を痛めると言えば思いとどまるだろう。


「弥太郎殿、霧山城に籠っていた者共を根切りにしたそうです」


「我攻めを行ったのか?!」


「いえ、籠城しても無駄だと思ったのか、女子供を殺した後で討って出てきたそうです、愚かな主君を持った忠臣は哀れですな」


「そうか、事の顛末を書いた矢文を多気御所と詰めの城に射よ。

 これ以上北畠の馬鹿に付き合ってられん!」


「はっ!」


 このまま北畠を囲んで刻をかけるのも腹立たしいが、大和宇陀に入って甲賀と伊賀の残党を根切りにするのも憂鬱だ。


 女子供を少しでも助けたいのなら、さっさと出て来て腹を切れ腹を!

 武家ならばそれくらいの心意気を見せろ!

 そうすればお優しい殿の事だから、女子供だけは許してくださるはずだ。

 

天文十六年(1548)6月9日:大和茗荷城:日夏左衛門尉家望


 殿から甲賀と伊賀の残党を追討せよとの命があった。

 伊賀の柏原にいたので、直ぐに宇陀郡にある三ケ谷氏の城に攻め込んだ。

 使者を送るなどの時間稼ぎさせる気はない。


 三ケ谷氏は大和興福寺大乗院の国民だ。

 興福寺の力を背景に、殿に無礼な態度を取っていた愚か者だ。


 殿が甲賀と伊賀の残党追討を命じてくださったのは好機だ。

 殿の力を軽く見る興福寺の連中は、甲賀と伊賀を匿った罪で根切りにする!

 この事は、伊賀に駐屯していた侍大将全員で話し合った結論だ。


 大和は興福寺が力を持っており、実質的な守護だ。

 大和の国人地侍は興福寺の家臣なのだが、建前上は衆徒として仕えている。


 ただ、興福寺も一枚岩ではなく、一乗院と大乗院に分かれている。

 更に興福寺に使える国人地侍は衆徒と国民に分けられている。


 衆徒は早くから興福寺に仕えている北大和の国人地侍が多い。

 国民は多武峰の神人であった者が、多武峰が力を失ってから興福寺に乗り換えたので、南大和の国人地侍が多い。


 衆徒は興福寺内で力の有る国人が多く、国民は力のない国人地侍が多い

 興福寺大乗院に仕える国民ごときが、興福寺の威光を笠に殿に無礼な態度を取っていたから、城を囲んで火を放ち根切りにしてやった!


 そのまま進んで、大乗院でも有力な衆徒、古市胤重配下の茗荷城、段の峯城、長谷城、大平尾城、誓多林城などを囲んだ。


「匿っている甲賀者と伊賀者を差し出せ、三ケ谷のように根切りにするぞ!」


 このまま一気に大和を制圧して殿の領地にする!

 興福寺を焼き討ちして跡形も残さず消し去ってくれる!

 

 いや、殿に逆らう寺社は全て焼き払ってやる。

 大和七大寺と呼ばれている東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、西大寺、法隆寺の全てを焼き払い、殿の力を見せつけてやる!


天文十六年(1548)6月9日:大和柳生城:伊庭帯刀篤史


 殿から甲賀と伊賀の残党を皆殺しにせよと言う厳命があった。

 伊賀の千賀城などに分散駐屯していたが、直ぐに配下を集めて大和の石内城を囲み攻め滅ぼした。


 長尾家の諜報部隊から、稲垣氏が伊賀者の逃亡を助けたと聞いていた。

 殿から大和に入るなと命じられていたから我慢していたが、許しがあれば即座に根切りにすると誓い、準備を整えていた。


 山添郡は他の部隊が任されているので、私は配下を率いて柳生に向かった。

 柳生も稲垣氏と同じように伊賀者の逃亡を手伝っていた。

 更に伊賀者と同じように忍術を使うと言う話もあった。


 殿は下々の者にも優しく、配下が死傷すると心を痛められる。

 侍大将や足軽大将に選ばれた者は、極力配下を傷つけないようにしてきた。

 ただ今回に限っては、配下の者達が怒り狂っているので抑えきれない事が多い。


 その事は殿の御側近くに仕える方々も分かっていたようで、これまでは禁じられていた焼き討ちが許された。


 敵の城を囲み逃げられないようにしたうえで、周囲の木々を全て伐採して火事が広がらないようにしたうえで、大量の火矢を城に射掛けるのだ。

 松脂を大量に使った大火矢を放ち、少々の事では消せないような火をつけるのだ。


 柳生城を囲んで焼き殺そうとしたが、逃げられてしまった。

 甲賀と伊賀が根切りにされたのを見て、自分達も危険だと悟ったのだろう。

 柳生の連中は、何時でも一族全員で逃げられるようにしていたのだろう。


 だがそれは諜報部隊の知らせで分かっていた事だ。

 気落ちするような事はなく、我らは粛々と殿のために大和を制圧するのだ。

 まだ三年五作の技が行われていない地を制圧する事こそ、屯田部隊の本分だ。


 敵、柳生の罠に嵌らないように慎重に追撃する。

 後醍醐天皇が入って鎌倉幕府軍と戦ったと言う、笠置山に築かれた笠置城を攻め滅ぼして占領した。


 この辺りは大和と山城と伊賀が入り組んでいる。

 柳生城は大和だが、直ぐ近くの笠置城は山城になる。


 次に攻め落とした、直ぐ近くの下垣内城と上狭川城は大和になる。

 大和と山城の侵攻が同時に許されてよかった。

 許されてなかったら、危険な城を放置して侵攻する事になっていた。


「帯刀様、木津重右衛門という者が会いたいと来ております」


「木津だと、山城の木津家は、伊賀木津家の本家のはずだ」


「問答無用で斬り殺されますか?」


「いや、甲賀者と伊賀者を捕らえて連れて来た者には褒美を渡す事になっている。

 分家の者を捕らえて褒美を求めているなら殺す訳には行かない。

 だが、迂闊に会う訳にも行かないから、何か暗器を持っていないか調べろ」


「帯刀様が会われるのは危険です、足軽大将の誰かに任せましょう」


「……そうだな、こんな所で暗殺される訳にはいかない。

 とはいえ、迂闊な奴に任せる訳にもいない。

 阿武侍大将に任せよう、奴なら少々の敵くらい平気で返り討ちにするだろう」


「分かりました、伝えて参ります」 

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