第84話:閑話・屍山血河1
天文十六年(1548)4月20日:近江観音寺城:六角定頼視点
「一大事でございます、朝倉が一夜で滅びました!」
朝一番に三雲定持がとんでもない情報を持って来た。
三条長尾家がまた何か言ってくるとは思っていた。
だが、まさか、越前を攻め落とすとまでは思っていなかった。
いや、もしかしたら朝倉家に攻めるかもしれないとは思っていた。
だがその時には、援軍を送れば済むと思っていた。
六角と朝倉が組めば、防ぐことくらいは出来ると思っていた。
「間違いではないのか?!
幾ら何でも一夜で朝倉家が滅ぶなどありえんだろう?」
「嘘ではございません、我が手の者だけでなく、商人共も知っております」
「だが、何故だ、どうやったら一夜で朝倉ほどの家を滅ぼせるのだ?!」
「家臣領民はもちろん、一族一門衆の大半が朝倉宗滴殿に従いました。
戦いらしい戦いも起こらず、越前一国が長尾家に従いました」
私は大きな間違いを犯してしまったのか?
六角家の力を持ってすれば、成り上がりの餓鬼になど負けないと思ったのは、私の思い上がりだったのか?
「急ぎ六人衆を集めよ、左京大夫にもここに来るように伝えよ」
朝早かった事もあり、六宿老と呼ばれる重臣全員が観音寺城内の曲輪にいた。
命じて半刻の間に全員集まったが、皆が深刻な表情をして何も話さない。
僅か半刻の間にも、三雲定持が甲賀衆使って新たな情報を集めていた。
その全て朝倉家の滅亡を裏付けるものばかりだったからだ。
「父上、直ぐに兵を集めましょう。
我が家が本気になれば四万近い兵が集まります。
歴戦の国人地侍が四万もいれば、長尾家の奴隷兵など恐れるに足りません!」
あまりにも楽観的な言葉に、思わず𠮟りつけたくなって息子に目を向けたが、その目と表情は悲壮な覚悟を示していた。
息子も六角家存亡の危機だと分かっているのだ。
分かっていて、私の心を少しでも楽にしようと言ってくれたのだ。
六角家を死地に追い込んだのは、他の誰でもない私だ。
私が責任を取らなくて誰が取るのだ!
「急ぎ兵を集めよ、浅井家には国境を固めるように命じよ」
「はっ!」
浅井家との取次ぎを任せている平井定武だけでなく、家中の取り締まりを任せている目賀田忠朝も同時に出て行った。
「大殿、右京大夫様と三好、北畠参議様に使者を送りたく思います」
六角家の外交を任せている進藤貞治が言う。
確かに、この状況では形振り構っていられない。
多少の外交的譲歩をしてでも味方を集めなければ厳しい戦いになる。
「分かった、かなりの譲歩をしてもよい、援軍を引き出せ」
「はっ、全力を尽くします」
そう言って進藤貞治が部屋を出ていった。
部屋に残ったのは息子の六角義賢、後藤高豊、蒲生定秀、三雲定持三人。
これといった言葉も出ず、じりじりと刻だけが過ぎていく。
「大殿、若狭の伊豆守様と将軍家が高浜城を逃げ出したそうです!」
昼頃、新たな知らせが届いた。
「どういう事だ、越前の長尾勢が若狭に攻め込んだのか?」
「いえ、越前の長尾勢は近江との国境に集結しております」
「だったら何故伊豆守と将軍家が高浜城を逃げなければならぬ?!」
「高浜湊に長尾水軍の大艦隊が現れたそうでございます。
更に若狭と丹後の国人地侍が一斉に高浜城に攻め込んだそうでございます!」
三雲定持に報告に足元が崩れるような衝撃を受けた。
若狭の国人地侍が主君である伊豆守と将軍家に刀を向けるとは思っていなかった。
いや、一色家に仕えているとばかり思っていた国人地侍まで長尾家に味方した!
「急ぎ伊豆守と将軍家を助けよ」
「お待ちください、ここで伊豆守様と将軍家に手を差し伸べれば、六角家を朝敵だという噂が真実になってしまいます!」
進藤貞治が私の言葉を遮った。
怒りが沸いて、思わず怒鳴りつけそうになったが、飲み込んだ。
息子の義賢が憐れむような目で見ている。
進藤貞治、後藤高豊、蒲生定秀、平井定武、三雲定持、目賀田忠朝の六人全員が、決死の想いを隠すことなく見つめている。
私は、私情で家を死地に追い込もうとしたのか?
将軍家と娘婿を助けるのは私の身勝手なのか?
「朝敵がどうした、皇室御料を押領している国人地侍が掃いて捨てるほどいる。
軍を共にした者の兵が内裏に近づいただけの事。
それで朝敵と言われても、気にするような国人地侍など居らんぞ」
「大殿、六角家に勢いがある時は誰も何も申しません。
ですが、追い込まれている時は、寝返る格好の言い訳に使えます。
朝敵には味方できない、そう言って離反する国人地侍が跡を絶ちませんぞ!
大殿、烏帽子親まで務めた公方様に想いがある事は重々承知しております。
家を滅ぼしてでも味方したいと申されるのでしたら、ついて参ります。
ですが、本当に宜しいのですか?
朝敵の汚名を着た状態で、長尾家と戦う覚悟がおありなのですか?」
自分の命だけでなく、家を滅ぼす覚悟までして口にしてくれた諫言。
それを聞かされて私情に流されるほど愚かではない!
「……伊豆守と将軍家を見殺しにするしかないのか?」
他人が口にしているしか思えないほど絶望に満ちた、自分の言葉が耳に入る。
「その心配はございません。
将軍家一行には朽木の者がおります、必ず朽木領に逃げ込みます」
「そうか、それは良かった」
「ですがそれは、六角家を追い込む長尾家の罠でございます」
進藤貞治の言葉が更に私を追い込む。
「何じゃと?!」
「六角家の支配下にある高島七頭の一つ、朽木家に将軍家が逃げ込むのです。
六角家が陰で将軍家と管領家につながっていた。
内裏の襲撃も知っていて黙認した、そういう噂が広まるのは間違いありません」
「知らぬ、私は全く知らなかった。
そもそもあれは内裏への攻撃ではない、逃げ出した先に内裏があっただけだ」
「私達にはそれが真実ですが、六角家を裏切る者には格好の言い訳になります。
大殿も同じ立場なら、敵を叩くために利用されたのではありませんか?」
「……その通りだ、間違いなく敵を叩くために利用した」
「ならばお分かりですよね、敵に利用されないようにするしかありません」
「分かった、今集まっている者達だけで良い、高島に攻め込む」
「「「「「はっ!」」」」」
苦渋の決断をしたが、本気で伊豆守と将軍家を攻めるのではない。
攻める振りをして、伊豆守と将軍家を御逃がしするのだ。
朽木で休んでいただいた後で、丹波に逃げていただく。
近江に入れる事ができず若狭丹後も敵となると、丹波に逃げていただくしかない。
朽木領から安曇川を遡り、比良山地を越え、花背峠と芹生峠を抜けていただく。
京には出ずに貴船山を越え、山中を彷徨ように逃げてでも宇津頼重を頼って頂く。
朝敵とされた状況では、皇室御領を押領する者を頼るしかない。
私が将軍家達を御逃がししている間に、朝倉宗滴が十万の兵を北近江に向けた。
あれだけ助けてやった浅井久政が、長尾家に降伏臣従の使者をだしやがった!
だが、長尾家は降伏臣従を認めず、国人地侍の調略を行った。
複雑な心境だが、これで長尾勢が一気に攻め寄せて来る心配は無くなった。
「申し訳ございません、力及ばす新九郎に裏切られてしまいました」
浅井家との取次ぎをしていた平井定武が平伏して詫びる。
だが、叱責する事などできない、裏切ったのは浅井だけではない。
伊勢、大和、伊賀の国人地侍も参陣命令に従わないのだ。
「そなたの所為ではない、私が判断を誤ったのだ。
管領殿を切り捨てるか、将軍家を裏切るか、はっきりすればよかったのだ。
両者を和解させようとした事で、身動きできなくなった隙を突かれた。
だがこのままでは終わらせん、長尾家の急所を突く」
「晴景と景虎でございますね?」
「そうだ、両人とも長尾家の家督に未練があろう。
全てとは言わずとも、一国二国はもらって当然と思っているはずだ。
ここまで将軍家の為に働いたのだ、公方様に両人を動かしてもらう」
たった一日で追い込まれたが、私なら盛り返せると思っていた。
堅田の一向衆を通じて、本願寺を味方につける気でもいた。
北陸と三河で叩かれた本願寺なら必ず味方に付くと思っていた。
だが、そのような調略を行う時間など全くなかった。
朝倉宗滴は、浅井久政配下の国人地侍に降伏臣従の使者を送りつつ兵を進めた。
越前と北近江の国境に領地を持つ国人地侍が、一斉に朝倉宗滴に味方したので、瞬く間に長尾勢が近江に入ってきた。
しかも十万兵が縦に長く伸びないように、二軍に分けた進軍だった。
北国街道を進み、余呉湖や琵琶湖を右に見ながら小谷城に向かう宗滴の直率軍。
疋檀城の疋田景継に案内させて北近江路を進み、琵琶湖を左に見ながら、浅井久政の義弟、田屋明政の守る田屋城を攻める遊撃軍。
朝倉宗滴は必勝不敗の野戦陣地を築きながら少しずつ軍を進めた。
浅井久政配下の国人地侍に降伏臣従の使者を送り、次々と味方につけていく。
「大殿、三好家が朝敵には味方できないと申しております」
「本願寺の証如殿と蓮淳殿には、病を理由に会えませんでした」
「長尾家の晴景殿と景虎殿には、朝敵の使者に会う気はないと門前払いされました」
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