第83話:当主交代と逃亡
天文十六年(1548)4月20日:越中富山城:俺視点
御所、いや、内裏襲撃の片棒を担いだ形になった六角家は慌てた。
慌てたが、六角定頼も重臣達もとても優秀だ。
戦闘力のない朝廷の詰問使だけが相手なら、のらりくらりと躱せただろう。
だが今回の内裏襲撃を撃退したのは、他の誰でもない、三条長尾家だ。
実際に戦ったのは景虎だし、総指揮官は晴景兄上だ。
しかし、その将兵は俺の家臣だし、詰問使に神余隼人佑が随行している。
俺が百万を超える兵を使って奥羽と関東を席巻しているのは、六角定頼も重臣達も良く知っており、加賀に十万兵が常駐している事も知っている。
厳冬期には、出稼ぎのように但馬を攻め取っている。
六角主従が、詰問使の背後に三条長尾家を見て返事をするのは当然だ。
「管領殿が内裏を攻撃させたわけではありません。
負け戦で雑兵が逃げ込もうとしただけでございます」
六角主従は必死で弁明したが、神余隼人佑が言い成りに受け入れるわけがない。
「愚かな、誰がそのような言葉を信じるのです!
管領殿の命令で内裏を襲ったのではないと申されるなら、証明していただきたい。
証拠は、証拠はどこにあるのですか?!
管領代殿は朝敵の義父で烏帽子親、裏でつながっていたのではありませんか!?
畏れ多い事ですが、帝を弑逆して意のままに操れる方を奉じようとしたのではありませんか!?」
「ありえん、そのような事は断じてない!」
「だから、証拠を見せていただきたいと申しているのです!
管領代殿が、管領や将軍と通じていなかった証拠を見せていただきたい!
実際に内裏に兵を向けた管領や将軍にその気がなかったなど、狂人の戯言。
そのような天下の物笑いになる言葉、二度と口にされるな!
既に帝の使者が全国の守護国人地侍に向かっていると心得られよ。
内裏を襲った朝敵に味方する者は、同じ様に朝敵として討伐の綸旨を下されると理解されよ。
その国人地侍には、六角家に忠誠を誓う者も含まれますぞ!」
神余隼人佑の脅しに六角主従も屈するしかなかった。
近江、若狭、伊賀、伊勢、大和の百万石に影響力を持っていた六角定頼。
だが、朝敵の綸旨が各地に下されたとなると、一族重臣も信じられなくなる。
六角家の当主の座を狙う一族が、この機会に下剋上を起こすかもしれない。
これまでは忠義を尽くしていた重臣が、六角家に成り代わる好機と捉えて、下剋上を起こすかもしれないのだ。
「……私は内裏の襲撃には一切かかわりがない。
その証拠に、実際に内裏を襲撃した将軍家と管領には絶縁状を送る」
「絶縁状とは片腹痛い、将軍家を近江坂本に匿っているではないか!」
「あれは叡山が匿っているのだ、私は何の関係もない」
「六角家は、朝敵と繋がっていると疑われていると言ったはずですぞ。
長年に渡り強訴を繰り返し、帝と朝廷を悩ます叡山を放置している。
それは陰で叡山と手を結んでいるからでないのか?!」
「違う、それはない、皇族の方々が天台座主を務められる叡山に手出しできなかっただけで、裏で手を結んでなどいない!」
「帝を弑逆して、青蓮院宮尊鎮法親王を新たな帝に担ぐ密約があるのではないか!」
「ない、絶対にない、絶対にそのような事はない!」
「だからその証拠を見せろと何度も言っている!
内裏を襲った一味ではないと言うなら、将軍を近江から追い出せ!
青蓮院宮尊鎮法親王と通じていないと言うなら、叡山を焼き払え」
「それは幾ら何でも無理難題でございます」
「そうか、朝敵の将軍を匿い叡山と手を結び続けると言うのならしかたがない。
全国の守護国人地侍に送られた朝敵討伐の綸旨に、六角も名を連ねるだけ」
神余隼人佑は、六角主従との話は終わったと京に帰ろうとした。
もう全て終わったと言う神余隼人佑の姿に六角主従は慌てたそうだ。
朝敵は討伐するだけという神余隼人佑の態度に、三条長尾家の大軍が越前から若狭、若狭から近江に攻め込む事を想像したのだろう。
六角主従は、神余隼人佑に朝敵と言われた足利義晴と義藤を坂本から追い出した。
だが、説得して追い出しただけで、攻めて追い出したわけではない。
攻撃しなかったのは足利義晴だけでなく、坂本にも叡山にも攻撃しなかった。
坂本を追われた足利義晴と義藤は若狭武田家を頼った。
若狭武田家当主の武田信豊は、正室に六角定頼の娘を迎えている。
六角定頼は義理の息子に足利義晴と義藤に預けただけだ。
六角定頼が隠居して、六角義賢に家督を譲れば責任を取った事になる。
そう思ったのだろうが、強大な力を持っているから、自分に甘過ぎた
六角主従は、俺と神余隼人佑を甘く見過ぎた。
俺の事を良く知っている神余隼人佑が、このような態度を許す訳がない。
神余隼人佑は、このような事を許したら、俺が神余隼人佑を追放して奉公構いにする事を理解している。
だから神余隼人佑は、進藤長治と近衛稙家を脅した。
景虎と三条長尾家を利用しようとした進藤長治と近衛稙家を許さなかった。
神余隼人佑は実相院と大雲寺に駐屯している軍で近衛邸を包囲した。
包囲しただけでなく、何時でも焼き討ちできるように焚火を始めた。
近衛稙家は恐怖の余り土下座して詫びた。
進藤長治には責任をとらせて、神余隼人佑の前で切腹させた。
その上で、六角家の国人地侍に、内裏を襲った六角定頼と義賢の親子を討てと書いた手紙を手当たり次第に送った。
帝や朝廷ではなく、近衛家の手で始末をつけさせた。
近衛稙家の妹が足利義晴に嫁いで正室になっている。
義兄弟で殺し合うようにさせたのだ。
神余隼人佑も俺と同じように冷酷非情だ。
近衛稙家を含めた近衛一族が、将軍、管領、六角に殺されても良いと割り切った。
帝や朝廷ではなく、近衛稙家個人に責任を取らせて死地に送った。
だが、これだけなら統制力の有る六角主従が国人地侍を抑え込んだだろう。
離反しようとする国人を滅ぼして見せしめにしただろう。
しかし、ここに越前朝倉家当主、朝倉孝景の病死が重なる。
次期当主は弱冠十六歳の朝倉義景だ。
この状況で、越前と国境を接する加賀を預けられた朝倉宗滴が採るべき態度は?
加賀を預けられた時から長年に渡って越前の国人地侍に調略を続けてきた意味は?
内裏を襲った足利義晴と義藤親子が若狭にいるのに、何もしない事が許される?
朝倉宗滴は賢く、俺の性格を注意深く見ていたのだろう。
四人に兄に対する俺の言動も参考にしたのだろう。
雪融けを待って越前に侵攻する許可を求めて来た。
俺は朝倉宗滴に越前侵攻の許可を与えた。
朝倉宗滴は即座に朝倉義景と越前の国人地侍に降伏臣従の使者を送った。
ただし、密偵に調べさせて信用できないと判断した国人地侍は追放した。
俺が絶対に家臣には加えないと言った朝倉景鏡、前波吉継、富田長繁、魚住景固などの臣従は認めず越前から追放した。
降伏臣従を認めた国人地侍も、家族一門家臣を取立てて細分割した。
多くても五百貫、できれば百貫程度にまで分割して謀叛できないようにした。
普通なら国人地侍が反発するのだが、素直に降伏臣従した。
三条長尾家では、知行が許される領地は少ないが、扶持は大盤振る舞いされる。
俺に臣従してからは、手柄次第で多くの扶持がもらえるのは、奴隷から成り上がった前例が有名だし、公家と地下家の子弟の立身出世でも有名だ。
有力国人の一族や譜代衆が、俺に直接仕えたくて全員独立する。
これまでは朝倉家の陪臣だったのが、俺の直臣に成れるのだ。
余程忠誠心の強い者は別だが、普通は少しでも成り上がろうとする。
万貫以上の領地を持っていた有力国人も、一日で五百貫程度に没落する。
たった一日で越前が朝倉家から三条長尾家になったのを知った者は、恐怖した。
特に、俺を舐めて形だけ詫びた六角家と、足利義晴と義藤を預かった若狭武田家の武田信豊は、次は自分だと理解して思いっきり慌てた。
武田信豊は、慌てて国人地侍を集めて足利義晴と義藤を追い出そうとした。
だが、追い出そうにも、西側の丹後には俺に通じている国人地侍がいる。
東側の小浜郡には朝敵を殺そうと兵を集める粟屋元隆がいる。
そもそも若狭の国人地侍が全く集まらない。
集まらないどころか、高浜城を攻める準備を始める。
小浜郡を粟屋元隆に奪われた武田信豊は、居城を高浜城に戻していた。
高浜城の東西に領地を持つ国人地侍が、朝敵を討とうと兵を集めている。
海は長尾水軍が支配しているので、船で将軍達を逃がす事もできない。
武田信豊が俺と朝廷を優先するなら、足利義晴と義藤を捕らえて差し出すべきだ。
将軍家と六角家を優先するなら、連合して俺に戦いを挑むべきだ。
だが武田信豊は、どちらも選べず足利義晴と義藤を近江に逃がそうとした。
逃がそうとしたのだが、高浜湊に長尾水軍が現われ、丹後と小浜から兵が押し寄せるのを見て、自分達も一緒に逃げるしかなかった。
丹後にも小浜にも逃げ込めず、家臣だった武藤、本郷、粟屋、伊崎、寺井、逸見なども兵を率いて襲い掛かって来るので、山に分け入って道なき道を逃げた。
丹後衆も若狭武田家の家臣だった者も、自分達の手で将軍を殺すのは気が引けるので、将軍達を朽木領に追い込むようにした。
足利義晴の側には内談八人衆がいて、その一人が朽木領主の朽木稙綱だ。
足利義晴と武田信豊を追い込んだら、若狭と近江の間にある山を越えて朽木領に逃げ込むのは分かっていた。
これで六角家を追い込む事ができた。
内裏を攻めた足利義晴と義藤を二度も領内に匿ったのだ。
俺と戦うか、足利義晴と義藤、武田信豊を殺すかを選ぶしかなかった。
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