第82話:京の騒乱
天文十七年(1548)4月20日:越中富山城:俺視点
俺が京を放置して奥羽や関東を平定している間も天下は動いていた。
俺が密かに支援していた細川氏綱が細川晴元よりも優勢になっていた。
足利義晴将軍は、細川晴元を切り捨てて細川氏綱を支持すると宣言した。
天文十五年末に、足利義晴将軍がまだ十一歳の義藤に将軍職を譲っていた。
烏帽子親を巡って細川晴元の細川氏綱の間で激しい争いがあり、義晴将軍は信頼する六角定頼を管領代に任じて、義藤の烏帽子親とした。
だが六角定頼の管領代就任もかなり揉めた。
六角定頼を管領代にするのは、管領細川晴元に対する不信表明になる。
細川晴元に娘を嫁がせて義父となっている六角定頼が、固辞したのは当然だった。
だが、細川晴元と細川氏綱が畿内で激しく争い、どちらを選んでも襲撃の恐れがある足利義晴が、近江に盤石な地盤を築く六角定頼を頼ったのも当然だった。
頼られた六角定頼は、足利義晴と細川晴元の板挟みになった。
二人を和解させようと腐心し、出来る限りの事を行った。
だが、俺の支援で勢力を盛り返した細川氏綱の存在が邪魔をしていた。
細川晴元に味方する者達が各地で敗れ、晴元は京を捨てるしかなかった。
力ある者に逆らうと将軍職を奪われるのが常識になっている。
足利義晴が細川晴元を見限って細川氏綱を支持するのは仕方のない事だった。
足利義晴に見捨てられて立場が悪くなった細川晴元は、事も有ろうに阿波に逃げていた足利義晴の弟、足利義維を担ぎ出して将軍に擁立しようとした。
足利義維を堺に引っ張り出すと同時に、阿波の三好全軍を畿内に呼び寄せた。
阿波の三好勢を味方に加えた細川晴元が、各地の細川氏綱勢を討ち破り、徐々に京に迫っていた。
足利義晴と細川晴元の間で板挟みになっていた六角定頼が決断をした。
このままでは、また足利家同士の殺し合いが始まると思った六角定頼は、武力で劣る足利義晴を脅迫して和解させると言う強硬策に出た。
足利義藤将軍を支え続ける事を細川晴元に約束させて、晴元の味方した。
細川晴元勢と六角定頼勢が将軍山城に籠る足利義晴勢を包囲して、足利義晴に細川晴元を支援するように強制した。
史実通りなら、足利義晴は六角定頼の言い成りになるしかなかった。
三好長慶や三好政長らの軍勢が細川氏綱勢に大勝していたからだ。
だが、この世界では史実通りにはならなかった。
何故なら、足利義晴の所に俺に敗れた武将が集まっていたからだ。
復讐を恐れる本願寺証如と蓮淳が、三好長慶が力を持つ事を警戒していたからだ。
何より俺が密かに細川氏綱を支援していたからだ。
将軍山城に籠城していた小笠原長時と神田将監が、騎馬勢を率いて斜面を駆け下りて細川晴元の陣を急襲した。
小笠原主従だけなら大した打撃力はなかったが、そこに関東管領上杉憲政と忠義の家臣、村上義清と命知らずの家臣が加わって襲い掛かった。
小笠原弓馬術礼法を極めた小笠原主従ほどではないが、関東の武者は畿内の武者に比べて馬術に秀でた者がとても多かった。
まるで一の谷の合戦のような見事な奇襲は、細川晴元勢の雑兵を恐怖させ、裏崩れから友崩れまで起こす大敗北につながった。
ここで細川晴元が集めた雑兵の質の悪さが、この後の細川晴元の運命を最悪な物にした。
雑兵達は、事も有ろうに、助かりたい一心で御所に逃げ込もうとした。
将軍勢から真直ぐに逃げて、加茂川を渡って御所に逃げ込もうとした。
だが、逃げ込むためには御所を護る者達を破らなければならない。
それは、細川晴元の軍勢が御所を攻撃した事になる。
御所を守っていたのは、晴景兄上と景虎だった。
景虎は将軍家や管領に取り込まれそうになったのだが、晴景兄上と善光寺時代からの京まで付き従ってくれる、古参僧兵に厳しく諫められて朝廷に味方した。
景虎に付けている密偵の報告では、未だに将軍家や管領からは誘いがある。
今は朝廷に味方しているが、将軍家から越後上杉家と関東管領と和解させるとの使者を受けて、かなり誘惑されていたそうだ。
もし景虎が将軍家の誘いを受けたら、この手で殺す事になるかもしれない。
やりたくはないが、やらなければいけないのなら断じてやる。
迷っていたが、子供が生まれて覚悟ができた。
まあ、暫くは景虎が将軍家や管領に味方する事はないだろう。
正義大好きの景虎が、御所を襲った細川晴元に味方する可能性は低い。
勢い余って御所に迫った将軍の味方をする可能性も低い。
細川晴元自身も、今回の敗戦の恨みを忘れないだろう。
御所に逃げ込もうとした雑兵だけでなく、本陣まで徹底的に叩かれたから。
景虎が叩いたのは細川晴元勢だけではなかった。
勢いに任せて加茂川を渡ろうとした将軍勢も徹底的に叩いた。
完全武装で御所に近づく将軍勢を敵だと断じ、手勢五千を率いて突っ込んだ。
大敗して殆どの軍勢を失った細川晴元は、命からがら丹波に逃げた。
一時は大勝していた将軍勢も、小笠原長時などの武将が捕らえられた。
近江側から将軍山城を囲んでいた六角定頼勢は無傷だったが、御所を攻撃した細川晴元勢の味方として、朝廷から御所襲撃を咎める使者がきた。
帝は激怒していたが、六角家を敵に回すほど愚かではない。
だが、六角定頼に裏切られたと思っている足利義晴の側には、近衛稙家がいる。
足利義晴は、近衛稙家を使って六角定頼に詰問使を送るようにさせた。
「山城介殿、このような命懸けの大切な役目は、貴殿にしか頼めないのだ。
御所を襲うような不逞の輩には厳罰を与えたいが、残念ながら朝廷には力がない。
近江一国を治めるだけでなく、伊賀伊勢大和にまで影響力を持つ六角家を討伐するだけの力が、朝廷にはないのだ。
どうか帝と朝廷のために、六角家を問い詰め詫び状を書かせてもらいたい」
近衛稙家の家宰と務める、進藤長治が景虎を唆したそうだ。
公家はもの凄くしたたかで、利用しようと思っている武将への根回しを忘れない。
特に俺を牽制できるかもしれない武将には、必ず根回しを行っている。
景虎には、従五位下・山城介に官職を与えていた。
晴景兄上は用心深くなっていて、一切の官職を受けていなかった。
だが正義と権威が大好きな景虎は、有頂天になって官職を受けていた。
近衛家の家宰で、従三位の官位まで得た公卿に頭を下げて頼まれたのだ。
正義大好き権威大好きの景虎が、有頂天になって言い成りになるのも当然だ。
「分かりました、帝と朝廷のためなら命懸けで働かせていただきます。
御所に弓引くような輩は、この景虎が成敗してみせます」
景虎は進藤長治に安請け合いしたそうだが、実際に兵を動かす事は出来なかった。
晴景兄上に止められたからだ。
「ならん、絶対にならん、この軍勢は殿の軍勢だ、山城介の勝手にはさせん!」
「私の勝手で動かす訳ではありません!
朝廷の命、帝の御意思を叶えるために動かすのです!」
「ならば勅命の御内書はどこだ、綸旨はどこにある!」
「それは、表になっては帝と朝廷が困るので、内々に頼まれたのです」
「表になって困るような事に、大軍を動かせるわけがないだろう、愚か者!」
「それは、我らが勝てば何の問題もない事です!」
「我らが勝てばだと、帝や御所を巻き込んだ戦を始める気か?!」
「いえ、近江です、近江で戦うので帝も御所も巻き込みません」
「愚か者、御所を護っていた御前が六角と戦うと言う事は、帝や朝廷が六角を滅ぼせと命じた事になるのだ、少しは考えろ!
進藤卿がお前に頼んだのは、軍を率いて六角を攻める事ではない!
詰問使について行き、圧力をかけてくれと言う事だ!
そのような事も理解できずに、公卿と付き合うのではない!」
「それは違います、直接頼まれたのです、間違いありません!」
「間違えるように、証拠が残らないように、御内書も綸旨もないのだ。
堂々とやらせられる事なら、綸旨を下されている、間違えるな!
二度と帝や朝廷から頼まれたとは口にするな!
それと、直接言葉にして頼まれた事以外は絶対にするな、帝の類が及ぶ!」
密偵から報告を受けて頭が痛くなった。
景虎も愚かだが、進藤長治も愚かすぎる。
馬鹿と鋏は使いようだが、景虎の使い方を誤ると帝や朝廷が巻き込まれる。
まあ、俺とすれば、自分の手を汚さずに皇室を滅ぼす事も可能だから、悪い話でもない。
公家の自業自得で皇室と朝廷が滅ぶのは、俺にとっては好都合だ。
だが、原因の一つが兄の景虎だと、俺がやらせた事になるだろうな……
「……私は何をすればいいのですか!?」
景虎は不貞腐れた態度で晴景兄上に従ったそうだ。
「今後二度と私のいない場所で公家や公家の使いとは会うな!
六角家に対しては、神余隼人佑を使いに送れば良い。
長年京都雑掌を務める神余隼人佑ならば、帝と朝廷の真意を間違える事はない!」
「分かりました、その通りにします」
密偵や神余隼人佑の報告で、畿内の事は手に取るように分かっていた。
密かに細川氏綱を支援する事で、京に騒乱を起こしていた。
とはいえ、多くの可能性に一つが実現するだけで思い通りにしている訳じゃない。
思い通りにできているなら、今頃足利義晴と義藤は討死している。
が足利義晴と義藤を殺した細川晴元を、晴景兄上が討ち取っている。
思い通りに行っているのは、三好長慶の力がとても強くなっている事だ。
細川氏綱を完膚なきまで叩き、言い成りに動かせるくらいに成っている。
細川氏綱を傀儡の管領にした三好長慶がこのまま力をつけて、足利義晴と義藤を殺してくれればいいのだが、どうなる?
晴景兄上には、捕らえた小笠原達を解き放つように命じた。
連中が誰を頼り、誰と戦うかによって、京の状況は大きく変わる。
できる事なら三好長慶と本願寺が戦ってくれればいいのだが、どうなる?
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