第76話:遠征軍2

天文十五年(1546)9月21日:越中富山城:俺視点


「殿様、それで大浦左衛門尉殿の後はどなたの所に行かれたのですか?」


 晶が俺の行動を全て知りたいと言う表情で聞いてくる。

 嫉妬してくれているならとてもうれしい。


「左衛門尉の次は南部大膳大夫に会う事になっていたのだが、水軍の拠点を確保する為に、津軽や下北と言う海沿いの地を巡った」


「まあ、大膳大夫殿に恨まれませんか?」


 晶が心から心配してくれるのがうれしい。

 だが、恨まれるのは当然だからしかたがない。


 史実の南部大膳大夫晴政は、南部家中興の祖と言われる名将だった。

「三日月の丸くなるまで南部領」と言われるくらい領地を広げた名将だ。

 そんな傑物が俺に頭を抑えられて、分家や家臣を次々と独立させられたのだ。


 今回の遠征中に暴発する可能性も考慮していた。

 だが、伊達蘆名に続き村上武田今川が為す術なく負けた。

 それを知って反骨心が砕けてしまったようだ。


 伊達は領地を残されているが、蘆名村上今川は領地を失い他国に逃げている。

 武田に至っては、領地を奪われ半ば奴隷のような状態で飼い殺しだ。

 一度臣従を誓ったのに謀叛したら、本庄のようになると分かったのだろう。


 とても大人しくしていた。

 そもそも大浦左衛門尉が南部の遠い分家で家臣なのだ。

 俺が本領安堵した津軽と下北の国衆地侍も南部の分家や家臣達だったのだ。


 彼らが全て滅ばなければ南部の血は絶えない。

 本家が滅んだ時の為に、本家とは別の道を歩む分家を立てるのも武家だ。

 俺が南部を滅ぼして、分家に南部を名乗らせるのを恐れたのかもしれない。


 同じような方法に、養子を送り込んで家を乗っ取る方法がある。

 実際、俺の家臣が婿入りした国人地侍の家がとても多い。

 南部は無理矢理養子を押し付けられるのが怖かったのかもしれない。


 これまで長尾水軍が蝦夷との交易で使っていた湊を、銭金を惜しまずに整備した。

 領地百貫程度の城持ち国人が相手でも、婿を望む者には千人足軽大将を紹介した。

 今は湊を持っていない国人地侍でも、湊を造れそうな国人には婿を紹介した。


 湊の新造整備にも銭金を惜しまず湯水の如く使った。

 水軍に運ばせた銭と大麦を使って雇った奥羽の民に、湊の新造と整備をさせた。

 俺が支配者でいる限り豊かになれると思わせる。


「この乱世に生きているのだ、恨まれるのは仕方がない。

 だが安心しろ、十分手配しているから何の心配もない。

 二十万余の兵を率い、近習衆に守られているのは知っているだろう」


 晶を安心させるために、できるだけ詳しく話して聞かせた。


「それは分かっているのですが、不意に心配になり涙が流れてしまうのです」


 マタニティブルーズか、覚悟はしていたが、妊娠中に不安を与えるのは危険だ。

 だが、家臣に兵を預けて実績と名声を稼がせるのも危険だ。

 俺が貸し与えた兵を率いて、俺の命を奪いに来る、本能寺の再現だ。


「そうか、不安という物は幾ら否定しても浮かんでくるからな。

 今回は無理だったが、次回からは毎日伝書鳩で文を届けよう」


 これまでも奥羽には密偵達が拠点とする鳩小屋があった。

 だが、そこの鳩を使って晶に手紙を届ける事は出来ない。

 密偵達にはこれからも奥羽の国人地侍の動向を知らせてもらわないといけない。


 だが、今回の遠征で多くの国人地侍の家に婿を入れられた。

 上は千人足軽大将から下は三十人足軽組頭まで、多くの家臣が婿入りした。

 その全員に城を建ててやり、堂々と伝書鳩を飼わせる事にしたのだ。


「それに、南部一門の国人は忠誠を誓ってくれた、何の心配もいらない」


 南部の分家で俺の直臣に取立てたのは、九戸信仲、八戸勝義、七戸慶武、一戸長茂、石川高信など数限りない。


 そんな連中と朱塗りの杯で改めて主従の契りを結んだ。

 前回は使者の遣り取りだけの主従関係だが、今回は嘘偽りが許されない契りだ。


 ゆっくり時間をかけて南部領日本海沿岸部を移動した。

 これまで通り、家臣を婿入りさせた国人の湊を長尾水軍の拠点にしたのだ。


 俺が南部領で時間をかけている間に、前衛部隊が葛西領の安全を確保した。

 葛西家も越後上杉家や最上家と同じように、伊達家に養子を押し付けられていた。

 養子を迎える事で下剋上を抑えていたが、伊達家が滅んで四五分裂している。


 だから葛西領と言っても、元葛西家家臣団が分割統治している状態だった。

 主だった元家臣の国人だけで岩淵、薄衣、江刺、大原、柏山、亀卦川、金、熊谷、黒沢、寺崎、長坂、二階堂、浜田、星、馬籠、矢作、首藤などだ。


 もちろん、葛西本家を滅ぼしたわけではない。

 無用な恨みを買わないように、葛西晴胤と葛西親信の親子を残してある。


 同時に、伊達稙宗が養嗣子として葛西家に押し込んだ晴清も残している。

 葛西一族一門が手を結ばないように、争う要因を残してある。


 それは葛西家と激しく争っていた内陸部の大崎家も同じだ。

 伊達稙宗が養嗣子として大崎家に押し込んだ大崎義宣。

 本来なら後継者となるはずだった大崎義直。


 この二人を残して纏まらないようにしただけでなく、家臣も独立させた。

 主だった者だけで黒川、宮崎、氏家、仁木、一迫、一栗、米泉、伊庭野、新井田、古川、湯山、南条、四釜、内崎、中目、師山、沼部、中新田、平柳などだ。


 俺が南部領沿岸部を南下していると、先年に直接臣従させた最上、最上八盾、寒河江、白鳥などの内陸部国人地侍が挨拶にやってきた。


 この連中には、日本海側を北上する時ではなく、太平洋側を南下する時に挨拶に来るように命じてあった。


 伊達稙宗は、越後春日山城で人質生活をしているが、伊達晴宗は西山城にいる。

 今回俺の命を狙う可能性があるのは伊達晴宗だった。


 その時に、元家臣や元味方が、全員俺に心から臣従していたら、伊達晴宗の心が折れるかもしれないと思ってやったのだが、見事に成功した。


 俺も人殺しが好きな訳ではない、戦いは起こさないようにしたいのだ。

 それはこれまで支配下に置いていた者達だけではない。

 これから支配下に置く関八州の大名国人地侍も同じだ。


 伊達晴宗の叛意が無くなっているのを確認してから、伊達の旧臣も率いて更に海岸線を南下したのだが、領地で言えば相馬と岩城になる。


 少し内陸部の二本松、石橋、伊東、田村、二階堂、石川、結城などが慌てて挨拶にやって来る


 ここまで来ると、行軍による隙が大きくなり過ぎる。

 安全を確認する前衛軍と背中を守る後衛軍で、とんでもない距離が広がる。

 同時に、特定の場所では人が集まり過ぎて、生活環境が極端に悪くなる。


 普通はそうなのだが、俺の軍は途中で兵を率いたまま国人に婿入りする者がいたり、湊の新造や拡張に残る部隊がいたりする。


 それでも十五万以上残っているので、行軍が渋滞する場所や、難所の前後では夜営する家が確保できないのが普通だ。


 だが長尾軍は、多数いる行軍奉行の手配で、上手く既存の城や寺に宿泊した。

 それに元々は最下級の奴隷だったので、最低の陣小屋でも文句を言わない。


 だからといって最低の陣小屋に寝泊まりさせている訳ではない。

 俺の家臣を婿に欲しいと言ってきた国人地侍の領地に、千人は籠城できる野戦陣地を築いて、安全安楽に寝泊まりできるようにした。


 これから長尾水軍の艦船や商船が利用する湊に、長尾家の宿屋や商家を建てて寝泊まりした。


 長期の野戦対陣をしても戦病が広がらない態勢を整えてから、関東の大名国人地侍を威圧する駐屯を続けた。


 上野と下野の国人地侍はほぼ掌握しているが、下野の那須だけは怪しい。

 まあ、戦国の国人地侍なら当然の事だが、何かあれば牙を向く。

 那須資房と那須高資の祖父と孫は、特に叛意が激しい。


 だが下野の那須も宇都宮一門も、俺に力がある限り裏切らない。

 それよりは、まだ臣従を申し出ていない常陸の国人地侍が問題だった。

 佐竹義昭、小田政治、江戸忠通などに頭を下げさせないといけなかった。


 佐竹領との国境に延々と続く、城砦群を黒鍬衆に造らせた。

 水軍が運んできた銭と大麦を使って領民を集めて、力仕事を手伝わせた。

 岩城家と結城家の領民に、俺に従えば銭の雨が降ると思わせた。


 荒地や山地を開拓させて、ある程度は自給自足できるようにした。

 領主権を持っていた国人地侍に銭を渡して、荒地や山地を譲渡させた。

 余計な恨みを買わないように、望むだけ銭を与えた。


 それは奥羽の岩城と結城領だけでなく、下野の宇都宮領と那須領でも行った。

 三年五作の開拓余地が少なくなった北陸ではなく、まだまだ開拓余地のある奥羽と上野下野に黒鍬部隊と屯田部隊を移動させたのだ、活用しなければ馬鹿だ。


 俺が陸路を移動している間、水軍の艦艇が常に沿岸部にいる。

 最低でも常時五百隻の大型関船が物資を満載して遊弋している。


 物資を使い切った大型関船は、奴隷水手を酷使して補給に戻る。

 毎日減る大型関船の数だけ、新たに物資を満載した大型関船が来る。

 奥羽と関東の日本海航路と太平洋航路を、長尾家が完全に握るのだ!


 このままでは攻め滅ぼされると思った連中が誼を通じてきた。

 水軍の半数、二百五十隻に進軍を命じて、里見水軍と北条水軍を封じさせた。

 最初から全く勝ち目がないと分かっていたのか、両水軍は湊から出てこなかった。


 奥羽、上野と下野に残す屯田部隊を選んだ。

 残存部隊の足軽大将には、築城と開拓を手伝わせる領民に渡す、銭を預けた。

 残っていた水軍二百五十隻にも駿河遠江三河に向かうように命じた。


 奴隷水手に全力で漕がせる事で、難所の房総半島沖を無事に渡れた。

 里見水軍と三浦水軍は二度目も湊から出てこなかった。


 これで五百隻の大型関船が駿河遠江三河に常駐する事になった。

 駿河遠江三河を敵の水軍を心配しなくても良い状態にしてから、晶が待つ越中に戻ってきた。


「殿様の智謀は漢の張良や燕の楽毅を超えるのですね!」


 晶がマタニティブルーズにならないように、今回の遠征が如何に安全だったか説明していたが、ただの自慢になっていたようだ。


 恥ずかしいが、それで晶が不安から解放されるなら進んで恥をかく。

 これからも身重の晶を残して遠征しなければならない。

 俺の次に武名が鳴り響くのは、家臣ではなく景太郎でなくてはならないのだ!

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