第75話:遠征軍1

天文十五年(1546)9月21日:越中富山城:俺視点


「良くご無事でお戻りくださいました」


 身重の晶が満面の笑みで迎えてくれる。

 二人目を宿した状態の晶を残して遠征するかどうか、少々迷った。

 だが、今なら余裕で出産に間に合うと判断して遠征を決行した。


「出迎え御苦労、臣従を誓った国人の領地を検分しただけだ。

 何の不安もないと言っていただろう?」


 覚悟を決めた以上は最短で日本を統一しなけばいけない。

 その為に必要な事は臆することなく、怠ける事もなく淡々を行う。

 そう決めたから、晶と景太郎を残して奥羽に示威出陣したのだ。


「そうは申されますが、東国の者達は気性が荒いと聞いています。

 何に怒って殿様を襲うか分かりません」


 心から心配してくれるのが分かる、胸に温かいものが広がる。


「ありがとう、大丈夫だ、忠勇兼備の家臣達がいる」


 これ以上言うと、家臣達を信用していない事になると分かったのだろう。

 まだ言い足りないが言えない、そういう表情の晶も可愛い。


「こんな所で話していては身体が冷える、自分一人の身体ではないのだ。

 景太郎の顔も見たい、部屋に行ってゆっくりと話そう」


 毎日状況に応じて、前日に考えていた策を改めて考え直す。

 同時に、自分の覚悟、精神的に耐えられるか壊れるかも自問自答する。


 前世で、善良な人が重圧に負けて心を壊すのを何十人と見て来た。

 俺は基本大雑把な性格だが、決して無神経ではない。


 不完全ではあるが、俺にも良心がある。

 何をきっかけに心が壊れてしまうか分からない。


 一度壊れてしまった人間は、なかなか元には戻れない。

 この世界の常識が、俺に耐えられるか、徐々に確かめて来た。

 兄達を殺さないようにしているのも、何が俺の限界か分からないからだ。


 恐らくだが、室町幕府を壊しても足利一族を皆殺しにしても大丈夫だ。

 長尾一族の下剋上歴を塗り直しても、不完全な良心は痛まない。

 そう思えたから、奥羽遠征を実行した。


 直率兵力は、俺の親衛軍とも言える黒鍬兵十万と男性ばかりの足軽兵十万。

 それに越後と越中、能登と信濃で耕作しなくて良い選りすぐりの武者達。

 もちろん、黒鍬や足軽から立身出世する途上の者、近習衆もいる。


 総計二十万余兵が越後通過して北上する

 最初に一族一門総出で俺を迎えてくれたのは大宝寺義増だ。

 武藤義増とも呼ばれているが、大宝寺義増の方が世間の通りが良い。


 どの戦国大名も同じなのだが、僧兵を始めとした宗教権力に苦慮していた。

 武藤家は出羽三山の僧兵を懐柔して、別当職を手に入れていた。

 もっとも、大宝寺義増が家を継ぐ頃は家中の統制力を失っていた。


 羽黒山の別当職を務めていた、家老の土佐林禅棟が俺を頼ってきたから、出羽三山の僧兵八千を俺の家臣とする事を条件に認めた。


 最初は渋っていた土佐林禅棟だが、圧倒的な戦力差がある事は分かっていた。

 敵対したら主君と一緒に奴隷にされる事も分かっていた。

 それに、善光寺と戸隠神社を通じて出羽三山にも人材募集はしていた。


 既に実力のある僧兵の多くが俺の家臣となっていた。

 表向きは僧兵八千と豪語しているが、実数は半数を切っていた。

 豪の者と呼ばれるような主要な僧兵も、既に俺に仕えていた。


 だから、土佐林禅棟もそれほど悩むことなく軍門に下った。

 それが五年前の事だから、時の流れるのは早い。


 俺の北上に合わせて、周辺の国人衆が挨拶にやって来る。

 特に伊達、最上、蘆名から独立した弱小の国人地侍が慌ててやって来る。


 密偵達から良い報告、問題なしという報告を受けている国人地侍は、俺自身で出迎えるくらい歓待する。


 だが、疑わしいという報告を受けている者は家臣に対応させる。

 危険だと報告を受けている者は門前払いにする。


 同時に、領地争いを禁じた命令に逆らいような奴は、脅迫する。

 最後通牒、僅かでも疑わしい事をしたら叩き潰すと言っておく。


「よく来た、金乗坊、横手城の佐渡守とは仲良くやっているか?」


「はい、家臣一同、主君左衛門佐を盛り立てて参ります」


 国人地侍の中には、陰に隠れて暗躍できると思っている馬鹿がいる。

 何食わぬ顔で、主君の小野寺左衛門佐稙道の横にいる腐れ坊主に釘を刺す!


「そうか、それならば良い、越中越後に左衛門佐の家臣同士が争っているとの噂が流れてきて、心配していたのだ。

 忠誠心のない家臣など、死ぬまで船底で暮らす水夫奴隷にするしかないからな」


 俺はそう言って金乗坊の目をじっと見つめ続けた。

 近習達が何時でも抜き打ちで金乗坊を斬れるように身構えている。


 小野寺左衛門佐が青い顔で油汗を流しているのは、家中の争いを止められなかったのと、それを俺に知られているからだ。


「……はっ、御大将に耳障りな噂を聞かせてしまった事、心よりお詫びします。

 拙僧が隠居すれば、息子に家督を継がせていただけますでしょうか?」


「そうだな、ちょっと待て。

 左衛門佐殿、家中を上手く纏められず、何時謀叛で殺されるか分からないのでは、安心して眠る事もできないのではないか?」


「信望がない事、汗顔の至りでございます」


「形だけ臣従している、何時牙を向くか分からない者は独立させればいい。

 俺の家臣に成った者は、責任をもって手綱を握ってやる。

 少しでも疑わしい行動をした者は、この手で叩き殺してやる」


 その場の雰囲気がこれまで以上に緊張した。

 家臣と領地を渡せと脅しているのだから当然だ。

 意地を見せて断りこの場で死ぬか、恥を忍んで生き残るか二つに一つ。


「……某に叛意を持つ者は、御大将にお預け致します」


「そうか、良く受け入れてくれた、その礼としてこれを与える」


 用意していた刀を小野寺左衛門佐に渡した。

 世間で評判となっている、越後刀の一振りだ。


「有り難き幸せでございます」


 北上して次に訪れたのは、砂越信濃守が支配下に置いている庄内平野だった。

 俺が宿泊所に選んだのは、酒田城とも東禅寺城とも呼ばれる亀ヶ崎城だった。


 注意が必要な砂越信濃守の城に近いが、最上川の河口にあり、大型関船五百隻を動員した水軍の支援が受けられる。


 砂越信濃守のような日本海に近い国人地侍は勿論だが、角館城の戸沢飛騨守などの内陸部国人地侍も馳せ参じて来た。


 彼らの目には一様に怯えが宿っていた。

 陸兵二十万余も恐ろしいが、五百の大型関船が海を埋め尽くす光景など、夢にも見た事がないからだろう。


 二十万余の軍の中央で、できるだけ安全を確保しながら北上を続けた。

 由利郡の国人地侍、後に由利十二頭と呼ばれる者達が挨拶に来た。


 普通なら地元の国人地侍が俺を歓待するのだが、今回の遠征は違う。

 俺は前衛の黒鍬衆と関船艦隊が安全を確保してくれてから進む。

 国人地侍を歓待する魚介類、酒肴を陸路と海路で運んでから進む。


 歓待するふりをして毒酒を飲ませる謀略には嵌らない。

 俺が振舞う酒は一般的な濁酒ではない、甘口の清酒だ。

 太平の世では辛口が好まれ、乱世では甘口の酒が好まれるのだ。


 俺の知識を取り入れた酒精の強い酒は望む者だけに与える。

 酒毒で廃人にする気はないし、この時代の男は大酒飲みなのが自慢でもある。

 高酒精の焼酎を少量飲んで倒れてしまったら、人によったら恥じて腹を切る。


 酒宴は堅苦しい物ではなく、格式ばらない砕けた雰囲気の乱酒にした。

 俺が用意できる山海珍味と酒を用意した。

 酒も国人地侍の面目を考えて一般的な酒精の酒が多い。


 乱酒とは言っても、最初は身分格式に応じた順番で杯を下していく。

 普通は使い捨ての土器を使うのだが、そんな貧乏臭い事はしない。

 俺の富裕は天下に鳴り響いている、朱塗りの杯を下げ渡す。


 酒を注ぐ者、杯を受け渡しする者が俺と国人地侍の間にいる。

 万が一国人地侍が俺に刃を向けたら、盾となってくれる者達だ。


 毒を盛っていない証明と君臣の契りを結ぶため、最初に俺が口をつける。

 ほんの少量だけ飲んだ、恨まれないように最低限の仕来りは守る。


 大宝寺領でもやっていたことなので、もう噂が広まっていたようだ。

 最初に朱杯を下げ渡した大宝寺の国人地侍ほどではないが、かなり驚いている。


 目玉が飛び出るほど高価な朱塗りの杯は、弱小国人地侍では手に入らない。

 手に入れられたとしても、本当に大切に扱う。

 毎日の酒宴で百も二百も家臣に下げ渡すなど想像もつかないのだろう。


 挨拶にやって来る国人地侍がとても多いので、余程の領地を持つ国人以外は一回酒宴に参加したら終わりだ。


 そのまま領地に戻っても良いのだが、俺の歓心をかいたのだろう、ついてくる。

 邪険にする気はないのだが、謀叛を警戒して離れた場所に居させる。

 ちゃんと国人地侍に相応しい案内役をつけて、恨みを買わないようにする。


 由利の後は安東なのだが、湊騒動は起きていない。

 檜山城の檜山安東家と土崎湊城の湊安東家は分割支配する。

 両家だけでなく、城を持つ分家は全て同格にして一族の力を弱める。


 北上して次に訪れたのは大浦城主の大浦左衛門尉だった。

 前世の資料では身体が弱いと言われていたが、その通りだった。

 史実通りなら娘婿に津軽為信を迎えるのだが、俺の家臣を婿に迎えている。


 公家の三男が千の屯田兵を連れての婿入りなので、とても喜んでくれた。

 地下家出身の楽人達が奏でる朝廷雅楽を、夢見るように楽しんでいる。

 乱酒の宴なので、栄養剤代わりの本味醂をご機嫌な表情で飲んでいる。

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