第77話:弔問外交
天文十五年(1546)11月2日:越中富山城富山善光寺:俺視点
10月7日、稀代の梟雄である長尾為景が死んだ。
前世では上杉謙信のお陰でそれほど批判されていないが、戦国時代の武将の中でもなかなかの下剋上男だ。
そんな梟雄が、俺が遠征から戻るのを待っていたかのように死んだ。
俺が覚えている前世の死亡日よりも長生きしていた。
最後は痛みに苦しむ事もなく眠るように亡くなった。
誤嚥性肺炎か脱水症状だったのだと思う。
誤嚥性肺炎は食事が誤って肺に入るから起きるだけじゃない。
寝ている間に飲み込んだ唾液が入る事もあり、誰の所為でもないのだ。
どちらにしても、脱水症状から意識が朦朧として夢うつつの状態になる。
その御陰で発熱の苦しみも痛みも感じず楽に死ねる。
俺も前世から老人性肺炎で死にたいと思っていた。
二度も主君を殺した長尾為景とは思えない楽な死に方だ。
下剋上男でも俺の実父だから、今の状態に合わせた葬式をしなければいけない。
普通の武将なら一族一門だけで弔えばいい。
だが長尾為景は、長年朝廷と幕府に献金を続けていた。
俺の代に成って幕府とは敵対するようになったが、朝廷とはまだ繋がっている。
長尾為景の娘二人が、九条家と鷹司家の正室になっている。
当主の九条稙通と鷹司忠冬が富山城で優雅に暮らしている。
二人の姉と五摂家の跡をつける甥と姪が七人も生まれている。
それだけの政略結婚を行った俺は、勧修寺尹豊の娘を正室に迎えている。
公家と地下家に当主、その八割が越中富山大内裏に下向している。
彼らは遊び暮らしている訳ではなく、宮中行事を行っている。
お金がなくて京では行われなくなった宮中行事を再現している。
京では焼け落ちて再建されていない、朝堂院の大極殿や豊楽院の豊楽殿、帝が何時でも上皇に成れるように、後院と仙洞御所、複数の里内裏も用意している。
得度した全ての皇族を還俗させても良いという、無言の提案を行っている。
何より、既に日本の六分の一を支配していると言っても良い状態だ。
その気になれば、何時でも京に上って天下に号令をかけられる戦力財力がある。
今の三条長尾家はそんな立場と状況なので、勝手にさっさと先代当主の葬儀を済ます事ができない。
病で寝込んでいる鷹司忠冬には安静にしてもらって、九条稙通と多くの公家衆から助言をもらい、大々的な葬儀を行う事にした。
長尾為景は従三位・近衛権中将を追贈された。
潔癖な帝は反対されたのかもしれないが、公家衆が気を使ってくれたのだろう。
同時に長い葬儀期間を設けて、京に居る公家の当主が弔問に来られるようにした。
「殿、本当に何もしなくていいのでしょうか?」
「構わない、身重の晶に無理はさせられない。
勧修寺の父上も母上も、晶の代わりをしてくれると言っている。
姉上達も、晶の代理をしてくれる、安心して身体を休めてくれ」
「はい、殿がそう言ってくださるのでしたら、奥で休ませていただきます」
普段は京に居る公家が弔問のために富山城にやって来る。
だが最低限の公家と地下家しか残っていない京から、一度の大量の公家が富山城に来るのは問題がある。
そこで、普段は富山城総構え内の大内裏にいる公家と地下家の当主か跡継ぎが、一時的の京に行って役目を交代する事で人手不足を補った。
「何かあったら直ぐに知らせてくれ」
晶の世話をする地下家出身の奥女中に言葉をかけてから富山善光寺に行った。
俺が長吏を務める信濃善光寺の別院を、富山城内に造ってあった。
長尾家や家臣の葬儀は殆ど富山善光寺で行っているのだ。
古参の譜代家臣や、国人地侍から奴隷兵に落とされた者は別だが、本当の最低辺から奴隷兵に成った者達は、女も極楽浄土に行けると教える善光寺を選ぶ。
疱瘡の治療などを行う医師を善光寺の学僧としているのも大きい。
善光寺の学僧医師に命を助けられた者、周囲で疱瘡が流行っているのに人痘法を行った子供が助かっている家は、ほぼ全員善光寺の教えを信じている。
他の宗門を信じる者のために、総構え内に本願寺一向宗以外の寺社は全て別院を建ててやっているので、家臣領民も公家衆地下衆も安心して暮らしている。
「越中守殿、内々で話したい事があるのだが、よいか?」
喪主であり施主でもある俺に近衛稙家が話しかけてきた。
近衛稙家は足利義晴にとても近く、その力を背景に朝廷を支配している。
だが、その目的は帝と朝廷を守るためだと密偵達から報告を受けている。
問題は一緒にいる二人、一条房通と二条晴良だ。
特に二条晴良、密偵達から報告されるこいつに言動が気に食わない。
「大丈夫でございます、喪主が休む部屋があります、そちらへ御案内します」
俺が案内する形で富山善光寺の奥へ誘った。
俺は善光寺の最高権力者なので、過半数以上の部屋を好き勝手に使える。
そもそもこの別院も非常時には総構え内の砦として使える堅固な建物だ。
「話は他でもない、ここの大内裏の事でおじゃる」
俺が直々に部屋に案内して直ぐに、二条晴良が話しかけてきた。
まだ御茶も出していないし、場を温める前置きも何もない。
危機を感じているだけでなく、恐怖も感じて焦っているのだろう。
「勘違いされないでください、ここには大内裏などありません。
自分を大きく見せたい私が、唐の長安や洛陽に模して造った物です」
「そのような嘘や言い訳が通じるとでも思っておじゃるのか?
この大内裏を造る時に、帝や皇族方に行幸して頂きたいと言っておじゃた!」
御前には言っていないだろう、俺が言ったのは近衛と九条、それに鷹司だけだ。
まあ、帝や朝廷の許可を取ってくれと言っていたから、二条に話した事を咎めはしないから、目を逸らさなくても好いぞ、近衛稙家。
「それは過去の話でございます、今ではそのような事は一切考えておりません。
帝や皇族の方々に行幸して頂いたら、乱心した将軍家が、皇室とは何の血のつながりもない乞食の子を、御落胤として擁立すると注意されました。
そのような事がないように、すっぱりと諦めております」
「嘘をつくのも好い加減にするでおじゃる!
だったら何故多くの公家と地下家の者を集めて古式に則った行事をしておじゃる。
今更言い訳を口にしてもみっともないだけでおじゃる」
「愚かな将軍家や管領家が、帝や皇室を滅ぼした後の事を考えております。
朝廷の逆臣、足利を滅ぼした後で、唐のように新たな皇朝を開こうと思っておりますので、その練習でございます」
「何と恐ろしい事を考えているでおじゃる!」
二条晴良だけでなく、一条房通と近衛稙家の顔も真っ青になった。
「本当に恐ろしい事でございます。
先にも申し上げましたが、将軍と管領が内裏で殺し合う事もありえます。
このままでは、雑兵共が内裏に押し入って乱暴狼藉の限りを尽くす事でしょう。
その時には、帝や皇族の方々が儚い最期を迎えられるとしか思えません」
真っ青な顔の三人が、互いの顔を見合わせて小さく頷いた。
「麿達もその畏れがあると思っておじゃる。
だからこそ、越中守には京に上ってもらいたいのでおじゃる。
越中が京に居てくれれば、足利も好き勝手出来ないでおじゃる」
「本当にそれで良いのですか?」
「良いも悪いも、帝を守るのが一番大切でおじゃる」
「私が京に上る時は、足利を滅ぼして天下を支配する時です。
足利を滅ぼしたら、今のように朝廷を支配する事はできませんよ?」
俺は話している二条晴良ではなく、案内してからずっと黙っている近衛稙家の目を見て話しかけた。
「その辺は手心を加えて欲しいのでおじゃる。
禅定太閤が朝廷内で権力を取り戻せるように協力するでおじゃる。
甥子達が問題なく九条家と鷹司家を継げるように協力するでおじゃる」
「そいう事は、口にするよりも先に態度で示して頂きたい。
そんな事は、義父殿が京で友好的に迎えられるのは当然として、甥達の官職も先に上げ初めて言える事で、このような状況になってから言う事ではありませんね」
「いや、それは人手不足であるのと、甥御達が上京していないからでおじゃる。
京に上洛して、帝の拝謁がすめば、近衛殿と同じように叙官されるでおじゃる」
同じ五摂家でも叙官される年齢と昇官の早さが結構違う。
特に早いのは、将軍家と密接な血縁を結んでいる近衛家だ。
目の前にいる近衛稙家の嫡男近衛前久は、僅か五歳で正五位下に叙されている。
僅か三日後に左近衛権少将に任官、その二日後に従四位上に昇叙している。
更に五十日も経たずに左近衛権中将に転任、その三日後に従三位に昇叙され、一月後に伊予権守を兼任している。
それに比べて、俺の甥達は未だに無位無官だ。
俺がどれほど帝と朝廷、公家と地下家を支援しても、当たり前だとふんぞり返っているから、本気で脅かしてやることにした。
「そのような物はもう不要ですから、気になされないでください。
甥達には私から正五品の官位を授けてあります。
これまでは遊びで朝廷の行事を真似する者がいましたが、全て禁止します。
朝廷と我が家の両方に仕える事を禁じます。
我が家に残る者には、明国の宮廷行事を真似るように厳命します。
守る者には、元に身分に関係なく能力に応じて明国と同じ品階と官職を授けます。
近々大量の公家と地下家が退官を願い出るかもしれませんね」
「待つのでおじゃる、短気を起こしてはいけないのでおじゃる」
「そろそろ葬儀に戻らなければなりません。
もう二度とお会いする機会はないと思いますので、御身体大切に」
「待つのでおじゃる、ひぃいいいいい!」
俺の護衛を務めている近習が抜き手も見せない居合切りを放った。
二条晴良の喉元を、薄皮一枚残して斬っていない。
震えるだけで血が噴き出る近さに刃がある。
近衛稙家と一条房通もがたがたと震えている。
朝廷内の権力闘争は日常茶飯事だったのだろうが、実権のない場所での事だ。
領地と名誉を賭け殺し合いの場は経験がないのかな?
「ではごきげんよう、殿下方」
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