第70話:駿河遠江三河
天文十四年(1545)12月17日:越後春日山城:俺視点
景虎は、俺が密かにつけた処刑役の誘導に従って京に上った。
側に置いて利用する事も考えたが、上杉謙信のカリスマが怖かった。
この手で殺す事も考えたが、まだ利用できると思い直して京に送った。
予想通り、足利義晴将軍は景虎を越後守護と越中守護にした。
御内書を出して、神余隼人佑に三条長尾家の財貨を景虎に引き渡すように命じたが、神余隼人佑が無礼な態度で拒絶してくれた。
足利義晴将軍は、晴景兄上にも一族の棟梁となった景虎の命令を聞くように御内書を出したが、無視され恥をかいただけで全く何の役にも立たなかった。
駿河と遠江の八割が俺の味方となった。
今川義元が当主となった時の花倉の乱、今川氏親と小鹿範満の家督争い。
北条家と争った河東の乱で領地を削られた家を取立てた結果だ。
密偵達が広げてくれた、今川義元を貶める噂の効果もあった。
今川氏輝と彦五郎が立て続けに死んだのは、今川義元の謀殺だったという噂。
健康だった兄二人が立て続けに死に、今川義元が三兄を殺して当主になっている。
あまりにも義元に都合が良過ぎている。
誰もがそう考えていたが、北条家の支援を受けた義元には逆らえないでいた。
だが今川義元は、俺に大敗して駿河館まで奪われ恐れる必要がなくなった。
今川義元を恐れて味方していた者は、全員臣従を誓った。
生き残るためなら、家族を守るためなら、泥水を啜る覚悟のある者が多かった。
これまでは、俺に逆らった家の家臣は、一度は奴隷兵に落とされる。
挽回、出世の機会は与えるが、領地と家屋敷を失うのが普通だった。
それが今回に限り、駿河での戦いで敵対した者の一部だけは例外とした。
義元に阿って得た領地や、今川家と敵対して奪われた領地までは認めないが、最低限の本貫地だけは安堵する事にした。
最低限の本貫地しか認めないが、俺の家臣として認める。
それでも、日本中で評判になっている三年五作を教えるから三倍の領地になる。
ただ、最低限の本領を安堵するのは今川に敵対した事のある国人地侍だけだ。
今川家に忠誠を誓い、領地や役料を得ていた者の降伏は認めない。
もっとも、今川家に忠臣で生き残っている者は少ない。
今川家に忠誠を誓う勇猛果敢な国人地侍の多くが、田子の浦に屍を晒した。
海辺に追い込まれ、船で逃げようとする軍勢に被害が多いのは今も昔も同じだ。
今川義元は何とか逃げ延びたが、反攻を担う忠義の国人地侍の多数を失っていた。
今川義元は、安部信貞の持舟城に入って徹底抗戦しようとした。
興津水軍に助けられた今川義元が、海に近い持舟城に入ろうとしたのは当然だ。
だが、持舟城を始めとした藁科川沿いの城は殆ど落城していた。
落城はしていなくても、大軍に包囲されていてとても入城できない。
直江大和守景綱、色部修理進勝長、柿崎和泉守景家が率いる戦闘能力が高い十二万軍に続いて、屯田が主な五十万軍を甲斐から転進させたのだ。
今川義元は、駿河遠江の海岸線を西に逃げ、入城できる城を探した。
俺と対峙できる城を求めて西に進んだ。
だが俺は、甲斐信濃から駿河遠江三河に注ぐ全ての河川を利用して軍を進めた。
義元はどの城に入っても、俺の軍に三方面からから挟まれる状態だ。
袋の鼠になると分かっていて家臣の城には入れない。
横山城の三浦範時、瀬名城の瀬名氏貞、丸子城の岡部信綱、庵原城の庵原之政、由比城の由比光教、丸子城の岡部信綱が船を降り城に戻って籠城した。
今川義元を逃がすために命懸けで時間稼ぎをするためだ。
新野城の新野親矩、見付端城の堀越氏直、掛川城の朝比奈泰能が時間稼ぎに上陸したが、天竜川沿いの諸城を俺の軍が降伏させているのを見て反抗を諦めたようだ。
家臣領民を集めて城一つを守り切る軍略を選んだ。
今川義元も有能で情け容赦のない戦国大名だ。
これまで自分がやってきた粛清の影響くらいは自覚している。
敗残の小勢力で遠江三河に入っても、騙し討ちされるだけだと分かっている。
敵対して戦っていた織田信秀も頼れない。
織田信秀なら、助けを求めた今川義元の首を、俺との同盟の手土産にしかねない。
今川義元は駿河遠江三河をすっぱりと諦め、船で堺にまで逃げた。
俺が足利義晴将軍や細川晴元管領と敵対しているのは、誰でも知っている。
少なくとも今川義元はよく知っていたようだ。
京に上って将軍と管領を頼り、駿河遠江を取り返そうとした。
実際、春日山城には将軍からの詰問使が来て、駿河遠江を今川義元に返せと言ってきたが、門前払いで追い返した。
将軍や幕府が何を言ってきても、俺を倒せる戦力がなければ意味がない。
今川義元や景虎が何を言おうと、負け犬の遠吠えでしかない。
そんな事よりも大切な事、やらなければならない事があった。
「絶対に強制するな、進んで受けに来る子供だけにやれ」
俺は金と兵糧、時間と人材をかなり使って大量に育てた、医師に命じた。
但馬、信濃、甲斐に続いて駿河と遠江でも人痘接種法を行う事にしたのだ。
越後の実権を握ってからずっと続けている事だが、俺を生き神様にした大戦略一つが疱瘡、天然痘撲滅政策だ。
天然痘の予防接種は、三条長尾家が滅ばない限り続ける予定だ。
三年五作の立毛間播種と並んで、俺が家臣領民から絶大な支持が得られている理由で、絶対に中断できない大切な手段だ。
俺が命じた私戦禁止だが、今のところは支配下全領地で守られている。
百万の大軍による圧力も大きいが、末端の民が支持してくれているのが大きい。
領主が戦おうとしても領民が一揆するので、俺が認めない戦はできない。
豊臣秀吉の行った惣無事令は、命令だけでは守らせられず大軍を使っている。
奥州仕置の後で北条家が背き、小田原征伐を行われている。
宇都宮仕置の後でも一揆叛乱が頻発して、大軍を派遣している。
俺が一度支配下に置いた国人地侍、領民奴隷に謀叛一揆され難いのは、圧倒的な戦力と神仏の生まれ変わりと言う評判があるからだ。
末端の地侍や領民から、狂信的とも言える絶大な支持があるからだ。
俺の良い噂と評判は勝手に広まった物ではない。
姑息だと分かっているが、自ら密偵衆を使って広めたものだ。
同時に、敵対している者の悪評を広めてきた。
俺の領内で景虎の評判が一気に悪くなっているのも俺の策だ。
国人地侍には、内心では景虎を支持する者もいる。
だが、兵士を使い捨てに殺して武功を手に入れようとする者を、末端の領民や奴隷兵は絶対に認めない。
「銭と麦を使って人を集め、浮島沼を埋め立てて水腫の病を撲滅しろ。
臼井沼を埋め立てたのと同じだ、十分注意をしてやれ」
「「「「「はっ」」」」」
甲斐で水腫の病、日本住血吸虫撲滅のために指揮を執っていた者達に命じた。
患者数は甲斐盆地が圧倒的に多いが、富士川下流の臼井沼周囲にも患者がいた。
彼らを救うためには、沼を埋め立ててミヤイリガイを撲滅しなければいけない!
腰や胸まで浸かって田植えをしなければならない湿田は、できるだけ早く三年五作の畑作に切り替える。
その上で、五十万の屯田兵に荒地や放棄農地を開拓させる。
北陸や奥羽では厳冬期に開拓するのは厳しいが、東海ならできる。
連年の大洪水を起こした河川に堤防を築き、安心して農業ができるようにする。
人痘接種法、立毛間播種、堤防造りで民を病死や餓死から救い豊かにしたら、領主が俺に叛旗を翻そうとしても領民がついて行かない。
駿河、遠江、三河も、三年すれば北陸のように忠誠心の高い国に成ってくれる。
「殿、京から臨時の鳩が届きました」
政所で政務を執っていると、重要な鳩役を任せている近習が紙を持って来た。
今時点で一番早い伝令方法は伝書鳩なのだが、鳩に運ばせられる情報量はとても限られている。
毎日水軍と密偵衆が、鳩小屋の有る拠点に伝書鳩を移動させている。
最低一日一羽の伝書鳩を定時に飛ばしている。
臨時に飛ばすのは余程重要な事件が起こった時だけだ。
『義元、本願寺の証如と蓮淳に接触』
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