第69話:吐露
天文十四年(1545)10月21日:越後春日山城:俺視点
少しでも人が死なないように、常に多く手段を考えている。
軍略など考えなくても、百万の大軍がいれば必ず勝てると言う家臣も多くなった。
確かに死傷者を考えなければ、数で押すだけで天下を統一できると思う。
虚弱だった奴隷兵も、随分と肉がつき戦えるようになっている。
公家や地下家の子弟も実戦を重ね、それなりの足軽大将や侍大将になっている。
悪名を恐れず足利を滅ぼし天下を獲るべきだという考えも、ちらりと頭に浮かぶ。
だが今の俺には、どうしようもない大きな弱点がある。
俺が何かの拍子で死んでしまうと、獲った天下が簡単に瓦解してしまう。
後継者を務められる者が誰もいないのだ。
晴景兄上を第一候補にしているが、朝倉宗滴殿、山村若狭守、山吉伊予守、吉田源右衛門尉が素直に従うとは思えない。
織田信長が明智光秀に討たれた時と同じように、後継者争いが勃発するだろう。
それもあって、今直ぐ天下を獲ろうとは思わない。
堅実確実に、屯田を最優先にした戦略と軍略を執る。
領地を広げるにしても、隙を作らないように厚みのある領地を目指す。
「殿、長尾豊前守様、長尾備中守様、が参られました」
「入れよ」
史実では上杉謙信の年寄五人衆を務めていたほどの者達が、緊張と恐怖に身体を固くして部屋に入ってきた。
「「「「殿の御尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じ奉ります」」」
「俺の軍略は御前達にも聞かせてあった。
それなのに、景虎に手柄をたてさせて、俺の後継者にしようとした。
一度は許してやったが、二度目はない、梟首にする」
「申し訳ございません、勝手な事をしたのは心から御詫びします。
しかしながら景虎様は血を分けた甥なのでございます。
独り大軍に突撃されるのを、見捨てる事ができませんでした」
長尾豊前守がそんな言い訳をするが、目の奥に侮りが見える。
処刑などの厳しい処分を滅多に下さないから、甘く見てやがる。
前回奴隷に落としたが、直ぐに騎乗侍に戻れたからだろう。
「ならぬ、その方達三人だけでなく、古志長尾に連なる者は処刑する」
「殿、御許しを、なにとぞ御寛恕願います」
「身命を賭して御仕えさせていただきます、この度だけは御許しください」
「必ず殿の御役に立ちます、手柄を立ててみせます、御寛恕願います」
「何をしている、梟首と決まったのだ、城から放り出せ!」
「「「「「はっ!」」」」」
「殿、この通りでございます、もう二度と逆らいません!」
「妻子だけは、妻子だけは御許しください!
「ならぬ、俺の情けは一度のみ、さっさと首を刎ねよ」
「「「「「はっ」」」」」」
抵抗する二人を屈強な近習達が引きずり出した。
能力があっても何時裏切るか分からない奴はいならない。
ほんの少し甘い顔をすると付け上がる馬鹿が現れる。
俺も必ず処刑すると決めていた訳ではない。
命だけは助けて、奉公構にして領内から放り出す事も考えた。
奉公構は今川仮名目録や塵芥集でも定められている。
だが、戦国大名の領地はとても狭く、他国に行けば関係ない。
奉公構が厳しい罰になるのは、豊臣秀吉が天下を統一してからだ。
今回も、俺が奉公構えにしても気にせず召し抱える者は多いだろう。
古志長尾家の連中は三年五作を熟知しているから、俺と領地を接していない奴が召し抱えるだろう。
だが、古志長尾の連中も仕官する相手も選ぶはずだ。
俺が直ぐに攻め込めるような関東東国、北陸東海の大名国人は選ばない。
遠く離れた西国か九州の大名国人を選ぶだろう。
足利義晴将軍や細川晴元管領は、領地を失った古志長尾を直臣にはしないだろう。
召し抱えたら見直してやるが、まずありえない。
晴景兄上を誑かそうとするかもしれないが、胎田久三郎が防いでくれるだろう。
毛利や尼子を頼られると少々厄介だが、たぶんそこまでは行かない。
古志長尾の連中も、長尾為景と同じように下越よりも京を見ていた。
細川氏綱や三好長慶に仕えてくれれば、彼らの手で足利家を滅ぼさせる策を提案するかもしれないが、そこまでする必要はないだろう。
三年五作の立毛間播種だが、以外と広まっていない。
完全に盗み出したのは北条家だけ、他の家は盗んでも細やかな所ができていない。
特に肥料が不足してしまい、二倍弱の収穫になる程度だ。
二倍でも大きな違いだが、四倍ほどではない。
三年五作の立毛間播種を熟知した古志長尾の連中を他国にやる方が、足利家を滅ぼさせる利よりも損が多いと思い直した。
「殿、景虎様を御連れしました」
古志長尾の連中に梟首を申し渡してから四半時後に、景虎が連れて来られた。
古志の処分を伝えて、自分も厳罰に処されると自覚させてから連れて来させた。
引き据えられるというような待遇ではないが、近習達が殺意を隠さない。
今ここにいる近習達は、全員が奴隷から成り上がった連中だ。
餓死寸前だったのを俺に救われた者達だ。
俺の命令に逆らう者は、誰であろうと許さない。
特に今回景虎が犯した軍令違反は、元奴隷の近習達には絶対に許せない。
俺が、奴隷であろうと家臣を殺さないために戦わずして勝つ策を与えたのに、己の武勇を誇るためだけに戦いを始めたのだ、元奴隷の怒りは怒髪天を衝いている
「一度だけ言い訳を聞いてやる。
それが人情道理から外れていないのなら、命令違反は不問にしてやる。
だが私利私欲で命に背いたのなら、兄といえども首を刎ねる、覚悟して答えろ」
景虎はとても悔しそうな表情をしている。
どのように答えるかは、普段の言動を密偵達から聞いているので予想できる。
「殿、三条長尾家は主殺しの家、恩知らずな家だと悪し様に罵られている。
そんな汚名を雪ぐには、正々堂々の戦いをするしかない。
絶対に勝てる軍勢を整えたのだ、卑怯な軍略は取られるな!」
やっぱり自分の見栄の為だけに多くの家臣が死傷する戦いを望むのか。
「三条長尾家の名誉のために、家臣領民奴隷に不要な戦いをさせ、死傷させると言うのか?」
「武家の名誉以上に大切な事が何所にある!
殿のやりようは、武家の誇りを考えない汚いやり方だ!」
「家臣領民を大切にしなければ誰もついて来ず、裏切られるだけだ。
それに、名誉を重んじるなら晴景兄上のような戦い方をするべきだ。
二度の戦い、正々堂々の戦いをせず背後を襲ったではないか。
それでは武家の名誉も何もない!」
「それは、一度目は殿の命令で仕方なくやったのだ。
二度目は逃げる敵を追撃しただけだ、奇襲を仕掛けたわけではない」
「俺と景虎では正義と名誉の考えが根本的に違う。
このような状況では何を言っても無駄だ。
だが家臣領民に対する態度だけは改めろ、武家であろうと命は大切なのだ」
「何を言っている、武家が功名のために戦うのは当然の事だ!
武家の棟梁ならば、家の子郎党に武功を立てる機会を与えるのが当然だ」
「ならば御前に何人の武士がついて行くか確かめてみろ。
古志長尾の連中は皆殺しにしたが、家臣や領民までは殺していない。
連中がお前と同じ考えならついて行くだろう。
何所でも好きな所に行って、景虎の名誉と正義を天下に轟かせてみろ。
そんな御前について行く者が、長尾家に何人いるか確かめてみろ」
「殿こそ思い知るが良い、長尾家の譜代は誇り高いのだ!
古志だけでなく三条からも私についてくる者が現れる!」
そう言う景虎を春日山城から放り出した。
俺が命じた者以外、誰も景虎について行かなかった。
ついてくる者があまりに少なくて、最初は意気消沈していた。
だが、負けを認められなくて、刺客とも知らず、ついて来てくれた者達に意気軒高な言動をしていた。
刺客に誘導されて、景虎は京を目指した。
晴景兄上が帝を守っているから、景虎は将軍か管領に仕えるかもしれない。
名誉と身分に拘る性格だから、将軍に仕えるだろう。
あの身勝手な将軍なら、景虎を越後守護や越中守護に取り立てて、京にある長尾家の財物を奪おうとする。
長尾家の兵糧と兵力を自分の物にしようとするだろう。
晴景兄上に異母弟を殺す覚悟があるかな?
帝と朝廷を守るためなら、親兄弟でも殺さなければいけないのを分かっているか?
景虎なら、何か自分に対する言い訳を作ってでも晴景兄上を殺そうとするだろう。
あの義晴将軍なら、晴景兄上を討てという御内書を平気で与えるだろう。
目障りな守護家は、親兄弟で争わせて力を奪うのが足利将軍の常套手段だ。
「京の晴景兄上に鳩を飛ばす、準備をせよ」
自分の手で景虎を殺さず兄上に押し付けたのだ。
それなりの支援くらいはしないと、不完全な良心がしくしくと疼いてしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます