第45話:蘆名討伐

天文九年(1540)7月14日:陸奥会津郡:俺視点


 俺は伊達稙宗に味方した陸奥国会津郡の蘆名盛氏を攻めた。

 蘆名盛氏が俺の味方になる事は絶対に無いと思ったからだ。

 表面だけ降伏したとしても、必ず後に謀叛を起こすと思ったからだ。


 俺の父親である長尾為景は下剋上男だ。

 主君である上杉房能と関東管領上杉顕定を攻め自害に追い込んでいる。

 自害ではあるが、攻め殺したのに間違いない。


 蘆名家の当主蘆名盛氏は、上杉房定の曾孫で上杉房能の大甥だ。

 隠居の蘆名盛舜は、上杉房定の孫で上杉房能の甥なのだ。

 蘆名家が三条長尾家を信用する事は絶対にない。


 それと、蘆名盛氏は伊達稙宗の娘を正室に迎えていた。

 反抗的な会津の国人を攻め滅ぼす為に、伊達の政略結婚を受けたのだろう。


 俺は、その伊達家を武力で屈服させている

 そう言う点でも俺を憎んでいるのは間違いない。


 蘆名盛氏は、山之内家を始めとした国人に圧力をかけている最中だった。

 蘆名氏は元々佐原氏で、会津には支流の金上、猪苗代、新宮などがいる。


 前世の記憶で蘆名四天の宿老と呼ばれていた、平田、佐瀬、松本、富田の譜代重臣家もいるが、大槻、山之内といった反抗的な国人も多い。


 いや、蘆名四天の宿老と呼ばれる松本家自体が度々叛乱を起こしている。

 蘆名家はまだまだ家臣の統制ができていない、守護大名といえる。


 俺に従って蘆名に叛旗を翻した山之内七騎党、長沼一族の長沼豊後守実国、河原田一族の河原田盛信、穴沢一族の穴沢越中守俊清を助けるために後詰に急いだ。


 俺が四万五千兵もの大軍を率いて伊達を下した事は、会津でも評判になっていた。

 奴隷と兵糧の買い占めは会津にも大きな影響を及ぼしていた。

 食糧、奴隷、足軽が会津から米沢盆地に集まっていたのだ。


 会津も盆地で、大雨が降ると周囲を囲む山々から大量の水が流れ込む。

 特に会津盆地を流れる阿賀川は、狭隘部、蛇行部、盆地の出口で氾濫した。

 昨年も大雨で氾濫して凶作になっていたのだ。


 だから蘆名家では、俺に抵抗する力が激減していた。

 蘆名家と同じように凶作で苦しむ国人は攻められても、食糧と銭に余裕があり、凶作で苦しむ地で食糧の買い占めができる俺には勝ち目がない。


 元々反抗的だった国人からは、凶作を利用して攻め込む行為を憎まれていた。

 地侍や百姓からは、蘆名よりも俺が支配した方が幸せになれると思われていた。


 勝ち目がないと思った蘆名盛氏と蘆名盛舜は、会津から逃げ出した。

 反抗的な国人を攻めるのに集めていた、国人や地侍と共に逃げた。

 会津に入った俺を迎えてくれたのは、俺を主と認めた国人と地侍だった。


「叛服常無く、信用のできない松本右京から横田中丸城を奪ったのは見事だ。

 切り取った領地と共に領有を認める」


「有り難き幸せにございます」


 俺は山之内七騎党の当主、山之内刑部大輔藤原氏勝を褒めた。

 松本舜輔は俺に味方すると手紙を寄こしたが、実際には俺と蘆名盛氏と両天秤に掛けていたのだ。


 弱小な国人が生き残るため、強い者についたり離れたりするのは当然だと思う。

 一族一門領民を守るためは仕方がない事だと思う。


 思うが、忠義を尽くしてくれている家臣達の前でやられては、笑って許せない。

 許してしまうと甘く見られ、簡単に裏切る奴が出てくる。

 それでは領地が治まらず、戦国乱世が続く事になる。


 松本舜輔は、逃げた蘆名盛氏について行かなかった。

 内応を約束していた俺に従えば、本領を安堵されると思ったのだろう。

 何度叛乱を起こしても重臣のままでいられた蘆名家を基準にしたようだ。


 愚かな、俺はそんな甘い人間ではない。

 松本舜輔を始めとした松本一族は全員捕えて奴隷とした。

 松本舜輔は、誇りのために城を枕に討死するような武将ではなかった。

 

「伊達稙宗に味方した者を叩き潰す!

 領地を奪い一族一門を奴隷にする、かかれ!」


 伊達家譜代衆の時ほど徹底した事はできなかった。

 俺が伊達家を攻略している間に逃げた国人や地侍が数多くいたからだ。


 俺に内応を約束していなかった国人と地侍は、蘆名盛氏と一緒に逃げた。

 俺はちゃんと畏れられている、良い事だ。

 

 とても大切な事だから繰り返すが、蘆名家の当主蘆名盛氏は、越後守護だった上杉房定の曾孫で、隠居の蘆名盛舜は上杉房定の孫なのだ。


 長尾為景が殺した上杉房能の大甥と甥なのだ!

 越後守護上杉家を滅ぼした三条長尾家に頭を下げる事などできない。


 二人は守護と関東管領を自害に追い込んだ三条長尾家の恐ろしさを知っている。

 しかも新党主に俺自身が、上杉定実を強制隠居させて寺に放り込んだ直後だ。

 伊達家を徹底的に叩き、城下之盟を誓わせた直後なのだ!


 蘆名盛氏に再起する気があるなら、俺に下るよりも逃げる方を選ぶ。

 俺にその気はないが、戦国大名の中には降伏した者を謀殺する奴もいる。

 謀殺を避けるために逃げ、捲土重来を期すのも戦国の武将だ。


 蘆名盛氏と蘆名盛舜は関東管領上杉憲政を頼って逃げた。

 蘆名盛氏に味方した国人と地侍の大半も上杉憲政を頼って逃げた。


 彼らが、三条長尾家を養祖父の仇と考える上杉憲政頼るのは当然だ。

 だが、上杉憲政はそんな殊勝な事を考える奴じゃない。


 関東管領の権威を守るためには、関東管領上杉顕定を殺した三条長尾家を滅ぼさないといけない、そう考えている奴だ。

 そんな上杉憲政を蘆名盛氏が頼るのは当然だ。


 敵対する者の大半が会津を去ったので、支配を確実にする手を打った。

 俺は山之内七騎党を始めとした会津の国人地侍に安堵状を発給した。


横田中丸城主 :山之内刑部大輔藤原氏勝         :四百十貫

野尻牛首城主 :山之内兵庫頭藤原實良          :八十貫

瀧谷岩谷城主 :山之内内匠藤原俊基、嫡男治部少輔俊之  :二十貫

       :他譜代衆の領地             :八十貫

桧野原丸山城主:山之内左京亮藤原俊知          :二十貫

       :他譜代衆の領地             :五十貫

以下沼澤領

沼澤丸山城主 :山之内出雲守藤原政重          :百二十貫

西方鴫城主  :山之内右近太夫藤原重勝         :三十貫

       :他譜代衆の領地             :七十貫

以下川口領

川口玉縄城主 :山之内左衛門佐藤原俊満、嫡男川口四郎盛俊:百貫

布沢氏                         :三十貫

本名氏                         : 二十貫

宮崎氏                         :三十貫

中井氏                         :二十貫


 俺が会津の国人地侍に安堵状を支給すると言う事は、俺が会津の支配者、彼らの主君になったと言う事だ。


 その中でも山之内七騎党の心を掴めたのは大きい。

 山之内七騎党は、越後と会津を結ぶ会津街道の山間部に、拠点となる城を点々と持っていて、会津街道を使って越後を狙う敵を防いでくれる。

 

 会津には置賜郡のような駐屯部隊を残さなかった。

 それができたのは、山之内七騎党が越後への道を塞いでくれているからだ。


 それに、これだけ歴史が史実と離れてしまったのだ。

 史実にはなかった上杉憲政の越後侵攻があるかもしれない。


 出羽や陸奥よりも越後越中の方が大切だ。

 だから四万五千の兵を率いて越後に戻る。


 戻ってこれまで以上に奴隷と足軽を集める。

 天文の大飢饉を利用すれば、数十万人の奴隷を買い集められるだろう。


 越後、越中、加賀、能登は完全に支配下に置いた。

 信濃川中島四郡、旧伊達領、旧蘆名領には絶大な影響力がある。

 食糧生産力が飛躍的に増大する。


 これまでは交易によって手に入れた銭金で不足する食糧を購入していた。

 今も大飢饉の対応するために交易で食糧を買い集めさせている。


 これからは、よほどの天変地異でも起きない限り、自領で生産する食糧でだけで奴隷と足軽を食わせて行ける。


 だが、油断は禁物だ、上手く行ったと思った直後こそ危険だ。

 上杉鷹山が作らせた救荒食品の手引書を、できるだけ思いだして広めておこう。

 俺の手に負えないような天変地異が起きる可能性もある。


 俺が買う事になる奴隷は数十万人だと思っているが、間違いないだろうか?

 戦国時代の総人口には幾つかの説がある。


 少ない人で五百万人、多い人で千二百万人。

 俺は千二百万人前後だと思っている。


 太閤検地で調べられた全国の石高はあまり信用できない。

 慶長三年に徳川幕府が調べた検地の方が信用できる。

 慶長三年の検地で調べられた全国の石高は二千四百四十二万石もある。


 人間一人が一年間生きて行くのに必要な米の量は幾らか?

 一石あれば生きて行けるのか、二石必要なのか?

 豊かな現代とは違って、戦国時代の人は、はぼ穀物だけで生きている。


 その目安になるのは、徳川幕府が定めは一人扶持だ。

 男は一日に五合の玄米を食べ、女は一日三合の玄米を食べる。

 年で計算すると男は玄米五俵で女は玄米三俵、平均四俵だ。


 徳川幕府は一俵の中身を玄米四斗に定めた。

 家臣の給料になるのだから厳守させた。

 一石六斗の玄米があれば、人一人が生きて行ける計算になる。


 二千四百四十二万石の石高なら千五百二十六万人が養える計算になる。

 小氷河期による不作凶作、田畑の青田刈り焼き払いが行われた戦国乱世でも、千二百万人くらいは生きていたと思う。


 その百分の一弱、十万人を専業の兵士にできればかなりの戦力だ。

 織田信長が上洛した際の兵力が六万兵と言われている。

 尾張美濃の石高を考えると誇張した人数に思えるが、可能性はある。


 周辺にいる多くの大名や国人、足軽団、野盗集団、牢人が勝ち馬に乗ろうと集まれば、一時的にそれくらいの兵力は集められると思う。


 その兵力に恐れをなした三好三人衆は戦う事なく阿波に逃げた。

 天下分け目の決戦で石田三成が集めた兵力が八万程度。

 徳川家康が集めた兵力が八万から十万と言われている。


 有名な第四次川中島の戦いでも、武田が二万三千で上杉が一万。

 戦国乱世の始まりとも言える応仁の乱で東軍が十六万で西軍が十一万。


 この時点で、俺個人で十万兵集められたら、それを全て一気に京に送れたら、戦わずに勝てる可能性が高い。


 それなのに、天文の大飢饉を上手く利用できれば五十万人は集められる。

 餓死する人を助けられて天下平定に近づける、この機会は絶対に逃せない!


「越中に戻って内政に力を入れるぞ」


★★★★★★


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