第37話:東西為替差利益の終焉
天文八年(1539)6月24日:能登七尾城:俺視点
「若様、西国と東国の為替を使った交易が極端に減っております」
俺の後見役であり、交易の一端を任せている山村若狭守が深刻な表情で言う。
「宋銭と永楽銭の取引はいずれ終ると言っていたであろう?」
「はい、伺っておりました、伺っておりましたが、早過ぎます。
あれほど莫大な利益を失うと軍資金が心配になります」
「越中の富山城と新庄城の蔵に積み上げられた銭は莫大な量だ。
少々の事では使いきれない事くらい分かっているであろう?」
「若様の申される通りなのは分かっているのですが……」
「大丈夫だ、心配するな。
越後、越中の産物を求めて全国から、いや、唐朝鮮からも船が来ている。
その船道前だけで二十四万貫文もある。
酒、漆塗り、石鹸、茸、海産物などの乾物、真珠の利がある。
銭の取引等、無くなっても痛くもかゆくもない」
山村若狭守に言った事は嘘でも誤魔化しでもない、本当の事だ。
今の俺には、銭の東西交易利益など無視して良いだけの莫大な利益がある。
前世の記録に残っている、上杉謙信が手にしていた船道前は、直江津と柏崎の二つの湊を合わせて四万貫文だった。
色々な説はあるが、四万貫文は三十万石の石高に匹敵する。
あの武田信玄の領地、甲斐の石高が慶長年間で二十二万石だ。
上杉謙信は、湊の収益だけで一国の石高を超える銭を手に入れていたのだ。
四万貫文の元になっている産物は、青苧と越後上布だけだった。
俺にはそれに加えて、越後酒、越後塗、石鹸、干茸、俵物、真珠などがある。
更に俺が支配している全ての湊が、蝦夷と明国の三角貿易を成立させる中継貿易の拠点なのだ。
船道前を徴収できる拠点の湊も、越後の直江津と柏崎、越中の岩瀬湊、加賀の本吉湊があり、更に能登の輪島湊が加わるのだ。
これからもほぼ毎月船道前の額が増え続ける。
越後、越中、能登、加賀に新しい湊を造るだけでも増える。
南北に領地を増やせれば更に船道前が多くなる。
何より大きいのが淡水真珠の利益だ!
売る事無く保有している淡水真珠の含み益も莫大だ!
一つの母貝から五十個近く作れる淡水真珠一個が、最低でも金一両もする!
真珠だけではない、俺が奴隷を使って製造販売している越後酒などの各種の酒、越後塗などの漆塗り、原料別の石鹸、各種の干茸、干鮑や昆布などの俵物。
その全てが俺個人の商品で、しかも高値で買われるから莫大な富が入ってくる。
他にも朝廷と幕府の許可を得て買い漁っている粗銅の利益がある。
灰吹き法で取り出した金銀はそのまま蔵に蓄えてある。
金銀を取り出した後の銅は私鋳銭の材料にしている。
進んで買い集めている鐚銭も、私鋳銭の材料にしているから利がある。
特に日本で私鋳された鐚銭は、灰吹き法で熔かすと僅かだが金銀が手に入る、
話を東西の銭相場に戻すが、東西の銭の好み、永楽銭と宋銭の差は莫大な交易で是正されると思っていた。
ところが、銭の好みの違い、相場は変わらなかった。
だが、銭相場の違いは変わらないのに銭交換はできなくなった。
理由は簡単だ、交換できるだけの銭がなくなったのだ。
俺が西国で莫大の数の永楽銭を回収したのが一つ。
東国で莫大な数の宋銭を回収したのが一つ。
銭の交換をしたくても現物がない。
西国に出回っている銭は、以前から流通していた宋銭と鐚銭。
東国で使われている銭は、国人が私鋳している永楽銭と鐚銭。
交換して利益を上げるための、東西だけで嫌われている銭がなくなったのだ。
そもそも、俺以外に莫大な数の銭を持って移動する者がほとんどいない。
少数の護衛だけで莫大な銭を運ぶと、国人や野盗に奪われる。
奪われなくても法外な額の通行料を取られてしまう。
じゃあ、大規模な商人はどうするのか?
簡単な話だ、前世で言う所の信用手形を使う。
戦国時代に信用手形があったのか?
かなり近い物が座などによって使われていた。
座とは、公家を後ろ盾にして各種の業者が産物の独占をしていた組合だ。
越後で有名な青苧も、座を管理している公家の三条西家に年貢を払っていた。
全ての産物に座があり、勝手に作る事も売る事もできなかった。
だが、座は独占するだけの組合ではない。
座に所属する者同士で通用する信用手形のような物を使っていた。
それを割符というのだが、座に所属する者の間では、銭を必要としない割符で売買ができるのだ。
元々の割符は、鎌倉時代にはじまった。
荘園の年貢を鎌倉にいる領主に運ぶ手間を省くために用いられた物だった。
それが室町時代になり、座の商人が遠隔地間の売買に利用しだした。
今では、京、奈良、堺、兵庫津などとの主要商業都市に割符屋がある。
直江津や岩瀬湊にもあるが、座に加わっていなくても割符で銭が受け取れる。
もっとも、座の人間同士でやり取りする方が、手数料が少ない。
割符屋を使うとどうしても手数料が高くなる。
俺がまだ楽市楽座を取り入れない理由がここにある。
越後に叛意を持つ者が残っているのもあるが、それだけではない。
全ての領内で治安に不安があるから踏み切れないのだ。
山賊や野盗が領内を横行する状態では、大金を持っての移動は危険だ。
銭金だと奪えば好き勝手に使う事ができる。
だが割符だと奪っても使いようがない。
怪しい者が割符を持ち込んでも銭金に換えてもらえない。
元の持ち主が殺されても行方不明になっても、割符を持つ者は追われて捕まる。
楽市楽座を導入して、誰もが自由に銭や商品を持ち運ぶと必ず襲われる。
誰かが襲われて金品だけでなく命まで奪われたら、次に続く者がいなくなる。
だから、楽市楽座を導入するのは領内の治安が良くなってからだ。
それと、単に楽市楽座を導入しても、俺には大した利がない。
いや、座の上納金が無くなる分、利が無くなる。
確定申告などないのだ、座に所属していない者は利を得ても年貢を払わない。
だったら織田信長はどうやって利を得たのか?
それは、ほとんどの商売を自由にさせる代わりに、特定の商品を専売にした。
具体的には、全ての人間が絶対に必要な塩を専売にした。
塩など誰から買っても大した違いはない。
その塩を織田家から買うだけで、誰もが自由に商売ができる。
商売をしない者にも利がある、座や関所がなくなれば物が安くなるのだ。
領民に喜ばれながら織田信長には莫大な利益が入った。
具体的に、塩を専売にしたらどれくらいの利が手に入るのか?
二石の穀物で一人の人間が生きて行けるとすれば、俺の領地には穀物の石高だけでも七十二万人が住んでいる事になる。
七十二万人が使う塩の利益は幾らになるのか?
前世で決められていた、一日食塩摂取量の目標は男性七・五グラム未満で女性六・五グラム未満だった。
平均して七グラムとして、三百六十五日で二千五百五十五グラム。
今の越中では塩一斗(十五キロ)が百四十三文だ。
人間一人が一年間の必要な塩の値段が二十文。
塩を俺の専売にすれば幾らでも高値で売れる。
だが高値くし過ぎたら必ず密売人が現れる。
製塩場から距離が離れると徐々に高くなるが、一律五文の利を乗せたら……
七十二万人×五文で三千六百貫文。
大した額に思われないかもしれないが、石高に直せば二万七千石で大名だ。
淡路一国なら六万二千石あるが、佐渡一国なら一万七千石しかない。
二万七千石よりも小さな国は、他にも隠岐国の五千石がある。
俺が実際に楽市楽座を導入する時には、領民一人から十文の利をとる。
十文だと五万四千石になる。
五万四千石よりも小さな国は、安房国の四万五千石、飛騨国の三万八千石。
塩の専売利益だけで、小国大名の表面的な石高を超える純利益がある。
「若狭守、全軍を使って領内の取り締まりを行う。
もう二度と山賊や野盗が現れないように捕らえて奴隷にする。
抵抗する者は殺してもかまわん!」
「はっ、直ちに!」
★★★★★★
現在の領地収入(販売せずに保有している銭や真珠を含む)
「石高」
越後:五十万石(三年五作の増収を含む、反抗的な国衆を除く)
越中:三十八万石
加賀:三十五万石
能登:二十一万石
合計百四十四万石
「船道前(入港税)」
二十四万貫文(百八十万石)
「特産品の販売利益(酒、漆塗り、石鹸、干茸、俵物、真珠)」
百万貫文(七百五十万石)(小粒一つ一貫文の淡水真珠が大きい)
「私鋳銭(宋銭)」一年間の鋳造額
十万貫文(七十五万石)
「粗銅からの金銀抽出」年間
金:百四十四両(5370グラム)
銀:千四百九十二斤(二十三万八千七百二十匁)895・2キロ
:金なら四千七百七十四両の価値
銅:二十九万八千五百斤(179トン)
銭一万貫文を表面石高七・五万石計算にしています。
玄米の値段一石一貫文を基準にすると、五公五民で一万貫文二万石になります。
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