第34話:圧力と大義名分
天文八年(1539)2月1日:山城南禅寺:俺視点
「加賀守、晴景を越後守護にしてやる。
その代わり実相院と兵を引き渡せ」
足利義晴将軍が居丈高に命じて来る。
急に呼び出したかと思ったら、非常識にも程がある。
それに、実相院と五千の兵を渡してもお前には使いこなせないだろう?!
「加賀守殿、上様の御恩を忘れたとは言わせませんぞ!」
内談八人衆の一人、大舘尚氏が文句を言ってきた。
義晴の威を借る狐が、取り返してやった加賀の所領を押領してやるぞ!
内談八人衆とは、足利義晴将軍が自分の権威を高めるために、有名無実となっていた組織を再編成して権力を持たそうとしている連中だ。
虎の威を借りる狐や腰巾着と表現すべき連中だが、足利義晴将軍がこのような手法を使った気持ちも分かる。
足利義晴は細川高国によって、自分を護ってくれていた赤松義村から離された。
傀儡にされ、たった一人京で生きてきた。
赤松義村に助けを求めたくても、権威の象徴であり護身の盾でもあった義晴将軍を失った赤松義村は、家臣の下剋上で暗殺されている。
足利義晴は、自分を祭り上げた者が負ける度に、京を落ちて逃げ回る生活だった。
周りに集まるのは、将軍と幕府の権威を利用しようとする者達だけだ。
だがそれは内談八人衆も同じだろう。
御恩と奉公か……情の通わない即物的な関係だ。
割り切れるから楽だとも言えるが、何時切り捨てられるか分からない。
将軍や管領の座を狙う対抗者の動きはほとんどなくなっている。
密偵達から報告があったように、細川晴元との関係が悪くなって手元に兵力が欲しいのだろう。
義晴将軍が政務を執る南禅寺と山上に築いた詰めの城だけでは心許ない。
だが実相院と兵力が手に入ったら連携する事ができる。
だがそれは義晴に都合が良いだけで、俺には都合が悪い。
「恐れながら、上様が越後守護に任じられた玄清様が、兄上との約束を破られ、伊達家から養子を迎えると言い出されました。
その所為で越後国内が賛成派と反対派に分かれて争っております。
実相院の兵は大切な後詰、いかに上様の申される事でも従えません。
この事、管領の細川様に相談させていただきます」
「まあ、まあ、冷静に、冷静に、宝秀軒殿も言い過ぎですぞ」
朽木稙綱が俺と大舘尚氏の仲を取り持つように割って入ってきた。
六角や京極に飲み込まれないように、義晴将軍の権威を利用している弱小国人だ。
今回も八人衆で話し合って落しどころを用意しているのだろう。
だが、落しどころが一つとは限らない。
八人衆はできるだけ多くの利を手に入れようとしているはずだ。
まだ将軍や幕府と手を切る気はないが、こちらが大切な物は何としても守る!
こちらには大した物ではなく、義晴達には大切な物。
それが分かれば損を少なくできる。
交渉次第では、利益の方を多くできる。
「しかしだな、諱を頂き、越中と加賀の守護にまでしていただいているのだぞ!」
なるほど、そういう事か、だがその程度では、大切な兵、命は渡せない。
「何と申されても、上様が守護に任じられた玄清様と受天殿が敵なのです。
これは上様が我らを殺そうとしているともとれます。
拠点と兵を渡すなど、絶対にできません。
それに、諱を頂いた御礼も守護任命の御礼も御渡ししています。
それに加えて、最近では一万貫文もの大金を献上しています!
他の誰にも真似できない奉公をさせていただいています」
俺が本気で怒ったふりをして睨みつけると、大舘尚氏が怯んだ。
見かけは幼いが、中身は大舘尚氏以上の年齢だ。
平和な前世での年数だが、転生してから実戦も経験したから、負けない!
「そうですな、加賀守殿は良く奉公してくださっている。
それは分かっているのですが、上様も大変なのです。
もう少し奉公してもらいたいのですが、駄目ですか?」
「御恩と奉公の意味は分かっておられるでしょう?
それとも、管領殿と話した方が分かって頂けるのかな?」
「何が欲しいのだ、さっさと欲しい物を言え」
義晴将軍が駆け引きに嫌気がさしたようだ。
「まずは上様が望まれる奉公を教え下さい。
それによっては、欲し物に見合わず、最初からお断りするしかありません」
「余は最初から言っておる、実相院と兵を渡せ!」
「それでは話になりません。
私では、いえ、三条長尾家では上様に奉公できないようです。
京を離れて二度と戻らない事にします。
実相院は禅定太閤殿下にお譲りして、守りは園城寺に頼みます」
「まあ、まあ、まあ、まあ、ここは私に御任せ下さい、上様」
「この者は無礼が過ぎる!」
義晴将軍は短気過ぎる、これでは腹芸などできない。
それともこれも演技なのか?
密偵からの報告だとこれが本性で、底の浅い人間だと言う事だが……
「上様、御恩と奉公でございます。
加賀守殿は、管領殿はもちろん他のどの守護よりも奉公しておられます。
一万貫文の献金、とても役に立っております」
朽木稙綱は完全な宥め役だな。
もしかしたら、義晴将軍を見限って俺に仕える気が有るのかもしれない。
「それは余も分かっておる、だから望む物を申せと言っておるのだ」
俺の予想が違っていたのか?
こいつら、俺が思っていたよりも馬鹿なのか?
以前は馬鹿だと思っていたが、八人衆を創って賢くなったんだよな?
いや、将軍も八人衆も内心では自分の利を優先しているのだな。
だから話に芯がなく、目標に向かった真っすぐな話にならない。
「加賀守殿、越後守護に御役目は欲しくないですか?
以前に兄を立てると申されていたが、我らは誰を越後守護にしても良いのです」
ようやく本当に欲しい物を口にしたな。
「玄清様を隠居させると、伊達家からの養子に賛成している者が叛乱します。
伊達家も越後に攻め込んできます。
なので、実相院も兵も渡せませんが、軍資金は御渡しできます。
それで味方を募られるか、兵を集められてはいかがです?」
「越後守護に幾ら渡して頂けるのかな?」
「諱を頂き守護を引き継ぐ時は、多くても五百貫文でしたね?
倍の千貫文などとは言いません。
三千貫文の御礼をさせていただきます。
それだけあれば、三千の足軽を百日は雇えるでしょう」
「三千貫文は確かに大きいが、上様は今直ぐ兵が必要なのだ」
お前は黙っていろ、大舘尚氏。
「拠点になる実相院や兵を御渡ししても、不利になれば逃げねばなりません。
氏素性も分からない兵は、簡単に逃げ散ってしまいます。
何にでも使える軍資金の方が良いのではありませんか?」
俺の言葉に八人衆だけでなく義晴将軍も考え出した。
事前にもっと考えておけ、頼りなさ過ぎるぞ。
「一万貫文、もう一万貫文だせないですか?」
「既に今年の一万貫文は御渡ししています。
私も無尽蔵に銭金がある訳ではありません。
越後で戦わなければなりませんし、越前や能登にも備えないといけません。
越後守護だけでは三千貫文が精一杯です。
それでも他の誰よりも多い献金ではありませんか?!」
「それは分かっております、分かってはおりますが……」
朽木稙綱は俺の言いたい事、本心が分からないようだ。
これでは交渉相手には不足過ぎる。
十年後くらいに息子が飛鳥井家から嫁をもらうから、能力があるなら味方に引き込もうかと考えていたが、この辺も歴史を変えた方が良さそうだ。
「越後守護は晴景に渡すと言っていたな?!」
義晴将軍が誰よりも先に気が付いたか?
「はい、越後守護は兄上にやっていただきます」
「能登守護をお前に与えると言ったら幾ら献金するのだ?」
「合わせて六千貫文と言いたいところですが、一万貫文献金させていただきます」
「越後と能登の二カ国で一万貫文では安すぎるのではないか?」
「二カ国と申しましても、寺社領はもちろん、公家の荘園もあります。
幕府に仕える方々の領地もお返ししなければなりません。
加賀や越中の領地をお返しさせて頂いたのと同じでございます。
一万貫文でも無理をしているのです」
「分かった、二つで一万貫文だ!」
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