第25話:駆け引きと勝利

天文六年(1537)3月20日:山城実相院:俺視点


 俺はこの戦に勝つために大将を九条稙通にした。

 だが九条家の名前を使えば大名や国人が素直に従うなんて少しも思ってはいない。


 もしそうなら、細川澄之は殺されていない。

 細川澄之は九条政基の子で、九条稙通の叔父にあたる人だ。


 細川澄之は、細川京兆家十二代当主、細川政元の養子に迎えられた。

 細川政元は澄之を京兆家の後継者にする気だったが、公家の子を跡継ぎにするのを嫌がる家臣が多く、愚かにも一族の細川澄元を養子に迎えて後継指名してしまう。


 細川政元の家臣は二つに分かれて争い始めた。

 もし九条家の名前だけで大名や国人が従うのなら、二つに分かれて争わない。


 結局、澄之の家臣が細川政元を暗殺して細川澄元を京から追い払い、幕府に管領だあと認められるも、たった四十日後に攻め戻ってきた澄元に殺されてしまう。


 今回も、九条家の荘園を押領した多くの大名や国人が、平気で九条稙通に逆らう。

 単に逆らうだけでなく、命まで狙うだろう。


 それに、敵は九条稙通の荘園を横領した奴だけではない。

 俺を敵視している連中も全力で命を狙ってくる。

 そう、俺に越中を奪われ、このままでは加賀まで奪われる真宗本願寺だ!


 厳しい戦いになるのは馬鹿でも分かる。

 いや、俺が京に常駐させている兵力だけでは確実に負ける。

 真宗本願寺は畿内に十万近い信徒を抱えているのだから!


 だからあらゆる手段を使って味方を集めた。 

 味方にできない相手は、全力を使って敵に回らないようにした。


 越後に下向している公家、召し抱えた公家や地下家の子弟子女は、ある意味人質でもあるので、公家や朝廷には九条家に味方するように大名国人に手紙を送った。

 俺ではない、あくまでも同じ公家である九条家の味方だ。


 これは公家達にとっても自分達の荘園を守る事にもつながる。

 それどころか、武家に押領されている荘園を取り返せるかもしれないのだ。

 他人事ではなく、真剣に手紙攻勢を行ってくれた。


 同盟関係にある高野山は、金剛峰寺だけでなく全山あげて味方してくれた。

 高野山は紀伊国にあるので、同じ紀伊国で力を伸ばしている根来寺が目障りで仕方がなく、できるだけ勢力を抑えたいと思っていたのだ。


 実は根来寺、元々は高野山の一派なのだ。

 派閥争い、勢力争いに敗れた一派が、高野山を降り根来寺を作った。

 天台宗の山門派と寺門派が争っているのと同じだ。


 宗教屋らしい醜い争いだが、今は利用させてもらう。

 最終的には全ての宗教を叩き潰して性根を入れ変えさせるが、今は利用する。

 高野山の三万を越える僧兵は、本願寺と根来寺を相手にするに必要だった。


 後詰は天台宗寺門派の総本山、園城寺の僧兵三千に務めてもらった。

 園城寺も同盟関係にあるが、親兄弟だって平気で裏切るのが戦国乱世だ。

 普通なら簡単に信用できないが、安心して任せられる理由がある。


 園城寺には不俱戴天の仇、比叡山延暦寺があるのだ。

 少しでも油断すると、何時焼き討ちに来るか分からない狂敵がいるのだ。

 延暦寺を牽制するには、叡山の山城側にいる三条長尾家の兵力が必要なのだ。


 俺がそれだけの味方を得た事で、足利義晴将軍と細川晴元管領も勝てると確信したのだろう。


 この機会を利用して将軍、管領、幕府の力を伸ばそうとした。

 未だに自分達に従わない大名国人を討伐しようとした。

 明確に手を結んだわけではないが、俺もその動きを利用した。


 本願寺と根来寺が協力する前に、和泉国の日根荘園と入山田村荘園を取り返す事にした。


 この場所なら高野山の僧兵を十分に使える。

 まだ高野山は雪深く、戦いには参加できないが、根来寺も本拠地から離れた和泉では、直ぐに僧兵を送れない。


 それに、今の根来寺は最盛期の力ではない。

 堂塔二千七百、寺領七十二万石、四坊二十七人衆の僧兵軍団が完璧に整えられるのは、津田監物丞が種子島から鉄砲を持ち帰ってからだ。


 完全に勝ち目がない訳ではないが、九条家の荘園程度の為に高野山と正面から戦ったら、損害の方が多いと判断したのだろう。

 根来寺も両細川守護家も兵を送って来なかった。


「根来寺も両細川守護家も、今回は手出しを諦めたようでございます。

 しかしながら、荘園の百姓達をそのままにしておくと、直ぐに逆らいます。

 今回も逃散して年貢を払わない気でいました。

 ここは厳しく対処いたしましょう」


 俺は九条稙通に献策した。


「厳しい対処とは、具体的にどうするのだ?」


「荘園を押領していた者、手助けしていた者、親戚縁者を捕らえて奴隷にします。

 奴隷にして越後に連れて行き、死ぬまで働かせます」


「それでは田畑を耕す者がいなくなるではないか?!」


「持ち主のいなくなった田畑は、ここにいる足軽に耕やかせます。

 私が四貫文の扶持を与えた上に、年貢以外の穀物を手にできるのです。

 名乗り出る者は多いでしょう」


「ほう、確かにそれなら確実に年貢が手に入る!」


「それと、荘園内はもちろん、周辺にある寺院を味方で固めましょう」


 荘園内には火走神社、蓮華寺、毘沙門堂、円満寺、香積寺跡、長福寺、禅徳寺、犬鳴山七宝滝寺、西光寺、春日神社、極楽寺、太師堂などがあった。


 その中で根来寺と関係する犬鳴山七宝滝寺などは、住職らを追い出して高野山の僧と僧兵を入れる事にした。


 同じように、本願寺と関係する寺院の住職らを追い出して、高野山の僧と僧兵を入れる事にする。


 これで根来寺と本願寺も、よほどの覚悟をしなければ九条家の荘園を襲う事ができなくなる。


「ほっほっほっほっ、越中守は悪党よのう」


「この戦国乱世、悪党でなければ生き残れません」


 俺は元々の日根荘園だけでなく、九条家の荘園を奪おうとしていた国人、地侍、百姓が持つ周囲の土地も九条家の荘園とした。


 日根と入山田村を合わせて七百石程度だった荘園が、千五百石もの荘園となった。


 俺達は本願寺から十分距離を置いて摂津国の輪田荘園に向かった。

 足利義晴将軍、細川晴元管領の両方が九条家の味方をしているからだろう。

 本願寺は行軍中の九条軍を攻めてこなかった。


 次に取り返した輪田荘園は、元々四百石程度しかなかったが、押領していた国人や地侍を奴隷にして領地を没収する事で、千石もの荘園となった。


 最後の仕上げに播磨国の荘園を取り返しに行った。

 細川晴元管領の軍が先に播磨に乗り込んで敵対勢力を攻めていた。

 晴元軍に圧倒された御着の小寺則職は、平身低頭謝ってきた。


 今の俺では、播磨三大平城の一つ、御着城に籠城されては攻め落とせない。

 そう判断して、細川晴元管領の顔を立てたように見せかけた。

 ただし、荘園の田畑を直接耕していた地侍百姓は許さない。


 小寺則職が守る者以外は奴隷にして越後に送る。

 小寺則職が守った者も荘園から放り出して田畑を取り上げる。

 残された田畑は俺の奴隷兵に耕させる。


 播磨国にある陰山荘園は、再盛期には三一八町で三千百八十石の取れ高があった。

 だが播磨御着の小寺家に押領されてしまい、最後には二七町分の年貢しか納めないようになっていた。


 これを全部取り戻せたのはとても大きい。

 同じ播磨の安田荘園と田原荘園を押領していた者も、小寺則職を見習って素直に返してきた。


 ただ、但馬まで遠征すると雪解けまでに越中に戻れない。

 それに、今の俺では但馬まで攻め込むのは危険過ぎた。

 

「禅定太閤殿下、遠征はここまでに致しましょう。

 これ以上は命の危険に見合いません」


「そうであるな、越中守の御陰で多くの荘園を取り戻せた。

 一万石の荘園か……土佐の支援がある一条は別にして、近衛や二条は千石ほどの荘園しか残っておるまい。

 これでもう惨めな思いをしないですむ。

 越中守、この恩は必ず返してやる」


『何とか維持していた荘園と取り返した荘園の石高』


 山城国の東九条荘園と小塩荘園 :九百八十石

 越後国の白川荘園       :三百二十石

 能登国の若山荘園と町野荘園  :九百四十石

 摂津国の輪田荘園       :千石

 和泉国の日根荘園と入山田村荘園:千五百石

 播磨国の安田荘園       :二千五百三十石

     陰山荘園       :三千百八十石

     田原荘園       :千二百五十石

 尾張の二宮荘園        :不明

 美濃国の岩田松園と下有智御厨 :不明

 但馬国の新田荘園       :不明

 安房国の衙領         :不明

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