第24話:九条家の荘園

天文六年(1537)1月20日:山城実相院:俺視点


 桃子姉上を花山院家の養女にしてから九条稙通の妻にする事になった。

 俺が正五位下越中守になっていた事が大きかったようだ。


 俺は下冷泉為孝と下冷泉為豊の親子に十分なお礼をしてから京に戻った。

 もちろん、九条稙通とその家族を伴ってだ。


 都落ちした九条家が京に錦を飾るのだ。

 威風堂々とした二千の奴隷兵に九条一家を守らせて入洛した。


 ただ、元々九条家が住んでいた東九条の屋敷はぼろぼろになっていた。

 洛中にある宿舎も、復権を印象付けさせたい九条摂関家には相応しくなかった。

 そこで両方の屋敷を新築するまで、実相院に住んでもらう事にした。


 実相院は俺が京の拠点としている寺門派の寺院だった。

 だが実際には実相院だけでなく、隣に園城寺の別院である大雲寺がある。


 正式な拠点は実相院だけになっているが、実際には両方使っている。

 並の国人では築けないように、連立式の城に大改造している。


 俺が冬場に常駐するための城なので、京の貴人を招き接待する事も考えて、品良くした場所、郭もあった。


 そこを九条一家に譲り、桃子姉上が嫁いできても安心できるようにした。

 だが、住む所が安心できるだけではどうにもならない。

 肝心の収入源、荘園を取り戻さなければならない!


 鎌倉時代に九条家が持っていた、四十ケ所の荘園を全て取り戻すのは無理だ。

 だが、九条経教時代の十二ケ所だけは何としても取り返す。


 俺が読ませてもらった九条家の記録では、一カ所の荘園にまとめられている所もあるが、以下の十六ケ所が九条家の荘園だ。


 山城国の東九条荘園と小塩荘園

 越後国の白川荘園

 能登国の若山荘園と町野荘園

 摂津国の輪田荘園

 和泉国の日根荘園と入山田村荘園

 播磨国の安田荘園と陰山荘園と田原荘園

 尾張の二宮荘園

 美濃国の岩田松園と下有智御厨

 但馬国の新田荘園

 安房国衙領


 山城国内の荘園は何とか維持できている。

 越後の荘園は俺が年貢を納めればいい。


 能登の荘園は押領している奴を脅し、素直に返さなければ当人の領地も奪う!

 守護の畠山が邪魔するなら、畠山を滅ぼして能登を俺の物にする!


 摂津、和泉、播磨の荘園は、九条稙通の名前を前面に押し立て、実相院に駐屯させている兵力を使ってでも取り取り戻す。


 播磨に関しては、下冷泉家が大名や国人とうまく付き合っているので、実際に兵力を進めなくても年貢だけは払うかもしれない。


 だが、和泉の荘園は武力が必要かもしれない。

 細川和泉上守護家と細川和泉上守護家、根来寺、国人と地侍。

 そんな連中に荘園の半分以上を押領されてしまっている。


 広大な荘園収入で同じ公家を家臣化していた九条家だが、大名や国人、寺社に荘園を押領され、公家家礼を維持できなくなっていた。


 そうして離れて行った公家に、日野、二条、海住山、葉室、高倉、醍醐、橘があり、そこに勅勘と家礼禁止の沙汰だ。


 残された僅かな荘園を維持管理するための人手が一気に減ってしまっていた。


『今残っている九条家の家礼、家僕』


 公家家礼 :唐橋氏、冨小路氏、石井氏

 諸太夫家礼:石井、矢野、小原、信濃小路、朝山、塩小路、宇郷、山本、竹原

      :河内、田中、小原、吉富、長谷川、長尾、芝

 侍家礼  :瓦林、雨宮、大林、村林、戸田、佐々木、日夏、島田、山村、平井

      :山田、伴、森沢、茨木、田村、上田、池永、松井、寺島、長法寺、

      :馬場、松本、古川、土屋


 よく唐橋家が残っているな。

 実際には臣下の礼は取らず、与えられている領地に確保しているだけだが。

 ここまでしなければ生きて行けないくらい困窮しているのだな。


 それと、どの家礼も一家とは限らない、多くの家が分家して細分化している。

 最初は穏便に、それらの家礼を使者に送って荘園の返還を求める。

 素直に応じなければ、三条長尾家の奴隷兵三千を送って武力で取り返す。


「禅定太閤殿下、軍勢の指揮を執られますか?」


 軍を率いて荘園を取り戻す事にした俺は、九条稙通に確かめた。


「いや、麿が指揮を執っては勝てる戦も勝てなくなる、越中守に任せよう」


 摂津と和泉の荘園を押領している連中は、言を左右して年貢を拒んだ。

 播磨の荘園も、小寺が頑強に年貢の支払いを拒みやがった!


 下冷泉家は頑張ってくれたが、別所家を後ろ盾にしている御着の小寺家は、九条家や三条長尾家を舐めているのだ。


 俺は直接軍勢を率いて逆らう大名国人と戦う気だったが、九条稙通は自分だけでなく俺も御飾りの存在だと思っているようだ。


 確かに実戦で兵を指図するのは俺ではなく、百戦錬磨の山村若狭守と山村右京亮の親子だが、国を富ませる戦略を練っているのは俺だ。


 それに、戦術も山村親子から学んでいる。

 俺はまだ数え歳で八歳でしかない、これから幾らでも強くなる!


「この度の下向は、九条家が荘園を取り戻す大切な合戦になるかもしれません。

 京に錦を飾った時と同じように、九条家の旗を立てて威風堂々と参りましょう」


 これでこの戦いが三条長尾家の私戦ではなくなる。

 今残っている皇室の御料や公家の荘園を守るどころか、押領する家臣や国人を抑えない、足利義晴将軍や細川晴元管領を脅す戦いだ。


 聖戦とまでは言わないが、力関係を一変させる可能性がある。

 九条家を前面に押し立てれば、帝、皇室に飛び火させる事はないだろう。

 史実を大きく変えてしまうかもしれないが、戦略を変える事にした。


「そうだな、これで荘園を取り返せせたら、近衛家や一条家に対して優位に立てる」


 九条稙通がとてもうれしそうに言う。

 祖父と父親の愚行で九条家が没落しかけていたから、復権できそうなのがうれしいのだろう。


 九条家は、近衛家と一条家に対して含む所がある。

 九条、近衛、一条は長年本家争いをしているのだ。

 

 最初に九条家と近衛家が、どちらが正当な藤原家の後継者かで争った。

 名前は忘れてしまったが、近衛家と本家争いをしている状態で、今度は九条家の兄弟が当主の座を争う事になった。


 兄弟の父親の遺言で、兄弟の子孫で摂関の位につけなかった者が出たら、その家を分家にする話だったはずだ。


 だが、長い年月の間に、九条家でも一条家でも摂関に成れない当主が出た。

 ここでまた揉めに揉めて、帝の裁定で官職が高い者が九条一門の家長者とした。


 それなのに、祖父と父親の愚行で没落寸前だったのだ。

 このままでは、九条、一条、二条の一族の中で最下位になってしまう。

 妹の子供とは言え、二条家から養子をもらうと、二条家の下になってしまう。


 九条稙通が桃子姉上を妻に迎える決断をしたのは、土佐一条家という戦国大名家を後ろ盾にしている一条摂関家と、家長者に資格すらない二条家に負けたくない思いもあったのだろう。


 俺にも桃子姉上に対する複雑な思いがある。

 上杉景勝が嫌いだったし、上田長尾家が信用できなかったから滅ぼした。

 だがそれは、桃子姉上の嫁ぎ先を潰した事になる。


 実行者である俺は、安心できる嫁ぎ先を探す責任があった。

 とはいえ、何時敵になるか分からない大名や守護には嫁がせない。

 叛乱を起こすかもしれない国人にも嫁がせられない。


 どうせ政略結婚になるのなら、できるだけ地位が高く滅びにくい家が良い。

 その中でも、破滅に進まないように俺が意のままに動かせる家が良い。

 俺が破滅する事になっても、桃子姉上や甥姪が殺されない家が良い。


 そうして選んだのが摂関家だ。

 摂関家の中でも、何かあった時にも寺社への影響力が強く、僧になる事で助命される可能性が高い九条家を選んだ。


 九条家は関係のある寺社の領地も頑張って守っていた。

 まずは九条家の女が僧になる時に入る不断光院。

 不断光院の中にある南僧坊。


 大聖寺、顕行院、城興寺、九品寺、成恩寺、金輪寺。

 東福寺関係では九条家が領地を守っている一音院。


 九条家が寺領を寄進した光明峯寺はもちろん、関係がある供僧院、密厳院、十輪院、成身院の領地も九条家が護っている。


 他にも東福寺常住、東福寺正覚院・東福寺芽陀利院・万寿寺、嵯峨往生院、泉涌寺妙観院、心院領小塩荘、東山毘沙門堂領大原田、東山毘沙門堂門跡、大寺東南院領大和国石川荘園、東南院、随心院、相国寺松泉軒、嵯峨往生院、東山浄土寺、醍醐勝倶眠院・大慈恩寺、宇治知恩院などの領地も九条家が護っている。


 これだけ関係している寺社があれば、俺に何かあっても、甥や姪は殺される事なく僧になれるはずだ。

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