第10話:延喜式と造酒司の秘本

天文三年(1534)11月28日:山城国内裏:俺視点


 今日も後見人と一緒に内裏の庭先に控える。

 俺達に厳しい目を向ける公家が沢山集まっているのは仕方がない。


 義晴将軍だけでなく、武家伝奏の広橋兼秀を通じて色々工作していたが、今年も後奈良天皇が直接御礼を伝えてくれるのだから。


 後見人の山村若狭守と京都雑掌の神余隼人佑が緊張で身体を固くしている。

 俺も同じだからあまり偉そうなことは言えない。

 やはり天皇陛下、いや、帝に会うのは緊張してしまう。


「二年続けての献上、嬉しく思っておるとのお言葉じゃ」


 直答など許される身分ではないので、武家伝奏の広橋兼秀が後奈良天皇の言葉を伝えてくれる。


「三条長尾家が越後で力を持つ限り、毎年同じだけの献上品をお届けできると思いますが、朝敵の多い土地柄なので、何時どうなるか分かりません」


「その点は心配致すな、麿が心得ておる。

 それ以外に望む物があれば申してみよ」


 後奈良天皇の方を見た広橋兼秀が力強く請け負ってくれる。

 史実通りに頼むぞ、御旗と治罰綸旨を頂く前提で作戦を立てているんだからな。

 上杉景勝や側近が捏造していたら、上田長尾家を滅ぼすくらい暴れるからな!


「もっと多くの産物を献上させていただきたいのですが、越後は都から遠く離れた国なので、何もかも遅れております。

 せめて酒造りの方法が書かれている延喜式、常陸佐竹氏が持つ御酒之日記、大和興福寺塔頭多聞院の日記があれば、帝に美味しい御酒を献上できるのですが……」


 本がなくても清酒の製造法は覚えているが、帝から直々に製造法を賜り、献上するようになった酒だとなれば、今高値を付けているどのような酒よりも箔がつく。


 そうなれば、今一番高い値段で売買されている観心寺酒、天野酒、豊原酒、百済寺樽、南都諸白などよりも高値で売る事ができる。


 どうせ越後と京の間を運ぶのなら、付加価値をつけた商品を運んだ方が利益になるし、酒好きを味方につけられる。


 越後が雪に閉じ込められる冬の間にやれる仕事が生まれる。

 東西の銭相場で大儲けできる俺なら、材料の穀物はいくらでも手に入る。


「朝廷に残されている酒造りの書を写本してやろう」


 広橋兼秀が物欲しそうにしている。

 神余隼人佑からはちゃんと付届けしていると聞いているのに、欲深い事だ。


 だが、まあ、武家伝奏という役目をもらっていても、応仁の乱からずっと、激しい戦乱に巻き込まれ続けている公家の生活は苦しいのだろう。


「朝廷に献上させていただく前に、広橋様には味見をしていただきたいのですが、宜しいでしょうか?」


「当然である。

 帝が口にされる酒を、味見もせずに献上させる訳にはいかん」


 広橋兼秀が満面の笑みを浮かべている。

 後奈良天皇の護衛について来た多くの公家が、何か言いたげにしている。

 酒が欲しいのだろうが、帝の前で勝手な事ができないようだ。


 後奈良天皇が広橋兼秀に目配せした。

 直ぐに広橋兼秀が帝に近づいて指示を受けている。


「朝廷に伝わる酒造りに関する書は全て写本させて届けさせる、感謝せよ」


「有り難き幸せでございます」


「佐竹と興福寺には書を献上するように命じるが……」


「分かっております、寺社や豪族の中には、帝や朝廷を敬わぬ不遜な者達が数多くおりますので、そのような者には期待しておりません。

 延喜式と造酒司に残された書を写本させていただけるだけでも、身に余る光栄と震える思いでございます」


「造酒司の地下家、多村家と徳美家に何か残されているかもしれぬ」


「どなた様に限らず、延喜式と造酒司の書に残されていない酒造りの方法を写本させていただけるのなら、それ相応の御礼をさせていただきます。

 実際に酒造りのできる方なら、我が家で相応の地位を与えて召し抱えさせていただきますので、宜しくお願い致します」


 俺は後奈良天皇や護衛の公家がその場にいない体裁で、広橋兼秀に話した。

 これで全ての公家が、家にある書に酒造りが残されていないか家探しするだろう。

 多村家と徳美家に至っては、誰が越後に下向するか競争するだろう。


 公家の中には三十石や四十石しか領地のない者がいる。

 まして地下家だと、家禄が二石や三石しかない者がいる。

 

 彼らは、宮中行事に参加する事で下賜される下行米で生活している。

 だが、長引く戦乱で衰微した朝廷は、多くの儀式を中止している。

 公家でも生きて行くのが大変なのだ、地下家の生活など成り立たないだろう。


「広橋様、地下家の子弟はどうやって暮らしておられるのでしょうか?

 酒造りや書き物などの役目ができる方なら、我が家で召し抱えさせていただいても良いのですが、田舎国人の家になど来ていただけないでしょうか?」


「いや、それは麿も何とも言えぬ。

 家によって違うであろう。

 それに、どれくらいの扶持をもらえるか分からないと……」


「そうでございますね、我が家の足軽で四貫文、家族がいる場合は一人につき一貫文与える事になっております。

 住む所は城の中にある長屋になります。

 頭だった役目を果たしてくれる者には、盆暮れに服を与えています。

 我が家としても、どれほど役に立ってくれるか分からない者に、百貫文も二百貫文も与える事はできません」


「長尾家では、新規召し抱えの者に二百貫文も与えるのか?!」


「足軽を上手く指図して戦える武士、足軽大将なら二百貫文与えます。

 足軽組頭でしたら十貫文から四十貫文与えております。

 帝に献上できるような酒を造れる者なら、百貫文与えましょう。

 公家の方々と文の遣り取りができるように手伝ってくれる者には、十貫文与えさせていただきます」


「文の遣り取りで十貫文か……」


「地下家の方々だとそれくらいでないと」


「地下家の者だと?」


「公家の方々が下向してくださるような事があると、まだ守護代でしかない我が家では、十分なお世話ができないのです」


「まだ守護代……長尾家が守護に成れたら、公家の子弟を百貫文二百貫文で召し抱えると言うことか?」


「守護ともなれば、公家の方々とのおつきあいで、恥ずかしくない振る舞いができるようならなければいけませんから。

 母上や兄弟姉妹に、それなりの振舞を教えてくださる方が必要になります」

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