第8話:人工栽培と養殖
天文三年(1534)7月10日:越後春日山城:俺視点
水軍、海賊衆については、蔵田五郎左衛門と荒浜屋宗九郎の二人が直ぐに返事をくれて、既存の海賊を引き抜くよりも育てた方が良いと教えてくれた。
増産できた大麦を全て京に運んで売るのなら、船はいくらあっても足らないくらいだし、船頭や水主も育てられるだけ育てた方が良いと教えてくれた。
人手に関しては、漁村の次男以下を幾らでも雇う事ができた。
年四貫文で、陸の合戦に使わない水軍専門だと言えば直ぐに集まった。
集まったの越後だけでなく、越後から京までの漁村全てで人手が集まった。
漁村だけでなく京でも、応仁の乱以降の戦国乱世で行く場を無くした者の多くが、合戦に巻き込まれない主水だと約束すれば、多くの人が集まるそうだ。
いや、四貫文も払わなくても奴隷で買えば飯に喰わせる大麦一石ですむ。
毎日二度腹一杯大麦の雑炊を与えれば、決して逃げない。
それくらいこの時代の弱者は辛い生活をしていた。
正直に言えば、安く人を集められるならその方が良い
水軍用の関船も、七十二丁櫓の大型関船だと、櫓を漕ぐ水主だけでも最低七十二人も必要になる。
そこに地侍や足軽が乗れば、一艘で百人くらいの人がいる。
百人もいる関船が五隻以上で船団を組んでいたら、少々の水軍では襲う事ができない強力な戦力になる。
村上水軍などの巨大組織は知らないが、普通の水軍、海賊衆などは小規模だ。
俺が覚えているのは武田水軍だけだが、甲斐、信濃の大半、駿河まで支配下の置いた当時でも、安宅船一隻、関船二十七隻、小早船十五隻だ。
土屋貞綱(岡部忠兵衛):関船十二隻、同心五十騎
間宮信高 :関船五隻
間宮武兵衛 :関船十隻
小浜景隆 :安宅船一隻、小早船十五隻
向井正重 :安宅船五隻
伊丹康直 :関船五隻
後世に名が残っておらず、そこそこ調べても何も分からない、大名配下ではない水軍、いや、海賊など小早舟が数隻あるていどだ。
船団を組めば恐れる事はない。
それと、七十二人が一生懸命櫓を漕ぐからこそ、荒れる事の多い冬の日本海も、比較的安全に越後と京を往復できるのだ。
小規模の海賊ごときに追いつかれる事も無い。
この程度の事は、戦国仮想戦記を書いている時に思いつていた。
だからこそ大量の関船を建造させているのだ。
建造費用を稼ごうと、越後と京で為替差を利用した交易をさせたのだ。
越後と京での米と大麦の売買、人手を集めるのは蔵田五郎左衛門と荒浜屋宗九郎に任せて、俺は将来に向けて別の布石を打った。
春日山城の周囲に農業用を兼ねた溜池を沢山作った。
水害のない安全な山畠を欲した地侍と百姓がよろこんで手伝ってくれた。
郭の中の非常用の溜池は、俺直属の奴隷三千人に造らせた。
三千人もの奴隷を買うのに使ったのは、永楽銭でたった百貫文だった。
大麦を三千石使って雑炊を与えるだけで忠誠心が得られてしまう。
こんな戦国乱世はできるだけ早く終わらせないといけない!
俺が心から信じられる者が拠点とする郭にだけ、俺の奴隷を住ませるのに新設した郭だけに、淡水の大型二枚貝を養殖するための大きな溜池を造った。
真珠の養殖も、戦国仮想戦記を書く時に徹底的に調べた。
最初に書いた主人公が武田義信だったので、諏訪湖で養殖できるように、阿古屋貝の真珠ではなく、淡水貝の真珠養殖法を徹底的に調べて覚えた。
その後、江戸時代中期や幕末の仮想戦記を書いた時に、傷のある真珠や形の悪い真珠も、漢方薬に材料として最低でも金一両で売れると知った。
真珠養殖に使う淡水大型二枚貝は、俺を信じてくれる地侍と百姓に、籠城時の非常食にすると言って集めてもらった。
淀川水系の池蝶貝が一番良いそうなのだが、残念ながら越後にはいない。
池蝶貝は京から持って来てもらう事にして、今は川真珠貝、鳥貝、松毬貝を優先に田貝、沼貝、石貝も集めてもらった。
問題は貝への核入れだった。
真珠や母貝を盗まれても現物の真珠を損するだけだが、養殖法を盗まれると取り返しのつかない事になるので、全部自分でやらなければいけなかった。
真珠の核は、沼貝の貝殻の厚い部分を丸く加工して作る。
だが淡水真珠を養殖するだけなら、核入れは必要ない。
形が悪くても傷があっても、明国に持って行けば一つで金一両になる。
気をつけないといけないのは、真珠の出来を大きく左右するピースだ。
ピースとは、真珠質を分泌する外套膜の組織片の事だ。
ピースと核を一緒に生殖巣に挿入するのが有核養殖で、ピースだけを生殖巣に挿入するのが無核養殖法だ。
無核だと、核を造る作業は省けるが、生殖巣に外套膜の組織片を挿入する手間は同じなので、どちらにしても結構時間がかかってしまう。
沼貝の貝殻の厚い部分を丸く加工するくらいは奴隷達に手伝ってもらえるが、生殖巣に外套膜の組織片を挿入するのだけは、誰にも知られる訳にはいかない。
幼い俺には、風邪をひくかもしれない過酷な作業になる。
だからそれほど沢山はできなかった。
気候の良い季節でも一日に千個が限界だった。
それでも細心の注意を払いながらできるだけやった。
俺がやったのは淡水真珠の養殖だけじゃない。
真珠の養殖に比べると楽な方法だが、よく戦国仮想戦記で使われる資金源、茸の人工栽培もおこなった。
椎茸の原木栽培に適した樹齢十年から三十年のクヌギ、コナラ、ミズナラなどの落葉広葉樹を切り出してもらった。
滑子の原木栽培に適した樹齢十年から三十年のサクラ、トチノキ、カエデ、ブナ、コナラなどの落葉広葉樹も切り出してもらった。
平茸は多くの樹木で原木栽培できるので、椎茸と滑子に使わないリンゴ、エノキ、ヤマフジ、クルミ、ヤナギ、ポプラなどの落葉広葉樹を切り出してもらった。
十月から翌年二月までの間に原木の切り出しと乾燥を行う。
翌年の三月から五月の間に玉切りと種菌接種を行うのだが、菌種は収穫してきた茸を使ってやらなければいけないので、種菌が買える前世のような楽な方法ではない。
菌接種後の秋または三年目の春までは、菌糸体を蔓延させる伏せ込み期間となる。
人工栽培茸の子実体が発生するのは、三年目の春から秋にかけてになる。
十月から数えれば収穫まで三年かかるのだが、真珠の養殖に比べればとても簡単なので、最初から完全に秘密にするのは難しいと分かっていた。
真珠に比べれば単価が安いので、ある程度は大々的にやらないと、国盗りができるほどの資金源にはできない。
最初の収穫から五年前後は使えるので、五年の間に越後を完全に支配する覚悟だ。
作業をさせている誰かから、茸の原木栽培法が広まるのは覚悟している。
大々的に人を使って原木の切り出しと乾燥をやらせる。
奴隷達に人工栽培させるのは椎茸、滑子、平茸だけではない。
原木栽培ではないが、マッシュルーム人工栽培も行う。
春日山城の厩で馬糞を集めて、マッシュルームを人工栽培する。
馬糞を集めて適度に混ぜると、発酵して火を噴くらいの熱を持つ。
そのまま放って置いても勝手に原茸が生えるが、希少な茸を選別して育てた方が、仕事量に対して返って来る利益が大きくなる。
人によって好きな茸が違うから何とも言えないが、原茸よりもマッシュルームの方が前世のフランスでは高く売られていた。
発酵した馬糞の山に藁で作った筵をかぶせて、少しでも多くのキノコを人工的に作れるようにした。
一度質の良い茸が作れる筵が完成すれば、次からは菌糸の育った筵を発酵させた馬糞の山に乗せるだけで大量の茸が作れる。
馬糞の数だけ茸が栽培できるから、軍馬育成費用の足しになるだろう。
これが騎馬軍団を組織する下地になればいい。
アミガサタケも人工栽培できるが、どうする?
俺の記憶では、菌床はおがくずに小麦粉を混ぜた物が必要だったが、大切な食糧である麦を流用してまで、アミガサタケを人工栽培する必要があるのか?
日本の企業が、放置竹林を有効利用する方法として、竹チップを使った人工栽培に成功していたが、細かい方法は調べられなかった。
アミガサタケは止めておこう、椎茸、滑子、平茸、原茸、マッシュルームを原木や馬糞から作れるだけで十分な資金源になる。
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